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五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(1)

 朝、目が覚めた時も、マリアはわずかながら緊張があった。


 予定は明日だというのに、なんとも気が早い。そう自分で笑い飛ばそうとしてみたが、だめだった。


「……行ける、かなぁ」


 夜が明けそうな空は、まだ起床にさえ早かった。


 けれど彼女は二度寝なんてできもせずに、掛け布団越しに引き寄せた膝にぎゅっと顔を押し付ける。


(行ける、私は、大丈夫)


 この前だってアーシュ達と歩いた。


 昔は好きだったこと。

 だから、目を背けるように今の自分から引き離そうとした行動――。


 アヴェインに告白したら、きっとぶん殴られるだろう。


 友が、アヴェインが作って守り続けている大きな町。


 彼がいる城の外に続いているその町を、風景を、人々を見るのが好きだった。


 黒騎士部隊が王都へと来てしばらく滞在することになった時は、その土地の部隊に加わって見回りもしたものだった。


(――今なら、きっと、もう大丈夫)


 そんな気もしているのだ。


(笑って、いつか話したい)


 彼女のこと。テレーサのことを。


 思い出すと胸が温かくなるその人との、楽しい記憶を思うのなら涙なんていらないはずだ。


 戦争で失った友のことを話す時、酒を片手に笑って偲んだ。


(幸せだったことを思い出して泣いてしまうなんて、もったいないよな)


 だって短い期間だったけれと、何も知らなかった一年、確かにオブライトは彼女と笑い合っていたのだ。


 そして覚悟を決めて、再会した際にも二人は笑った。


『あなたって、ばかな人ね、オブライトさん』


 彼女の少し潤んだ目は、そう語っている気がした。


 けれど、聞こえたのだ。部屋まで送った時にオブライトは去ったふりをして、階段のすぐそこでその嗚咽を聞いた。


『ああ、神様。彼を手放せない私を、どうか許して……私、こんなにも幸せな恋をしてる……想いにも応えられない、結ばれることもできないのに、彼は私と、最後までいてくれようとしているんです――』


 こんなにも愛してくれているのに、私はひどい女です、と。


 そんなことはないんだよと伝えたくて、最後は笑って逝きたくて、彼女と過ごせる時間を一日ずつ心に焼き付けた。


 けれど結局、最後は泣かせてしまったけれど。


『――……オブライトさん、ごめんなさい』


 とぷりと血をこぼした、赤い唇を思い返す。



 ――あなたを大切に想う人達から、あなたを奪ってしまって、ごめんなさい。



 たぶん、テレーサはそうも言いたかったのだと思う。


「彼女の弟が生きてくれている、それで、いい」


 そのためにオブライトは〝二人で〟の道を選んだ。


 たった一人の弟を守りたかったテレーサ。彼女に、母のようにずっと育ててきた弟ではなくて、自分を選んでくれ、なんてことオブライトには言えなかった。


 彼女が守りたいものを、彼は守ることにした。


 これまで大勢を殺してきた手で、最後は大切な人の、小さな命を守れた。


「……こんなに思い出せるのも、みんなのおかげなのかな」


 つい、記憶が引きずられる。


 楽しいことの方がたくさんあったはずで、そちらを思い出したいのに。


 マリアは、静かに深呼吸する。心は落ち着いている。以前ジーン達に迷惑をかけた感じには、なっていない。


「きっと、大丈夫」


 幸せだけど、つらくて。悲しいけれど、愛おしい――その全部が、テレーサの最期の涙には詰まっていた。


 本当に、優しい女性だったのだ。


 くしゃりと歪んだ悲しい目は、懺悔だった。


(……ジーンにも、心で詫びたんだろうな)


 彼女が唯一知り合いになって、そうして一緒に食事をすることもあった。


(そうだ、今日はすることがある)


 マリアは、膝の上に抱えた腕から頭を起こして、正面をじっと見据えた。


 今度は黙ったまま動いたりしない。


 彼女は昨夜、汗を流す前にアーバンド侯爵に話をした際には、決めていたことを今一度思い返す。


「――さて、無理やりでも今日中には〝相棒〟に会わないとな」


 マリアはベッドを降りた。


              ◆


 いつも通り、婚約者と勉強があるリリーナを連れて王宮へと向かった。


 他にも気になることがあって緊張はしていた。


 いや、第四王子の私室で合流した際に、ヴァンレットの顔を見て思い出した、というべきか。


「昨夜ぶりだな」


 思わず笑顔のまま固まった。


(あ、ナイトドレス……)


 それが浮かんだ瞬間に、ロイドの顔が続いて脳裏に蘇った。


 マリアの返事待ちのせいで、遠慮を知らない男。


 空気も読まずに現れて、とにかく婚約して欲しいらしい人――。


 それは彼が〝マリアがまったくその気がないままだと思い込んでいるせい〟なのだけれど。


「……私、一気に色々考えるのは不得手なんだ」


 訳が分からないだろうに、ヴァンレットがのんびりとした間を置いたのちに「うむ」と頷いた。


「俺も、苦手だ」


 お揃いだなと朗らかに言う長大型わんこな元部下が、今のマリアには有難かった。


 まずはダンスの授業だというリリーナと、そして婚約者のクリストファーの可愛い、いや王侯貴族して立派な仕上がりを堪能したのち、一人ひそかに別れる。


(私は今日やるべきことがあって……)


 とりあえずロイドに向かってこられたら、ひとまず避けることを決めた。


 大臣に会うのは、普通ならとても難しいことだ。


 そのためにもまず手筈を整えなくてはならないのだが、ロイドのせいで、頭から全部飛んだら洒落にならない。


 何せ、マリアは動ける時間がほんと限られるのだ。


(いや、頭から飛ぶ方がどうかしているんだが)


 今になって思う。


 戦場をひとたび離れると、ちょっと鈍い、というようなことを言っていた友人や部下達の意見って、もしかしなくとも合っていたりするのだろうか――と。


(いやいや、今はまずジーンに連絡を取る方法……!)


 マリアは忙しなく表情を変化させながら、薬学研究棟へと向かう。


 声を掛けようとしていたアーシュの友人こと、救護班のメンバーが、手を上げても気づかれなかったことに首を捻っていた。


「……そもそも、一介のメイドがジーンに知らせを出すには?」


 個人的な事情なのに、アルバートやマシューに頼むのも違う気がする。


 彼らが、王宮にいるという暗殺部隊関係を動かすと平然と答えてくる場面を想像したら、余計に気が引けた。


 そんなことを思った時だった。


「おい、ジーンよりも〝俺〟だろうが」

「は」


 マリアの声は、その一語句を残して廊下から消えた。


 関係者用の細い通路、そこの一部で壁がガコン――と一瞬にして元に戻る。


 身体が自由になったと思ったら、そこは小さな穴から光が差す使用になっている、懐かしい王宮の隠し通路の中で――。


「俺にとって、お前は一介のメイド枠じゃないんだが」

「アヴェイン!」


 マリアは、ハッとして両手で口を塞いだ。


 目の前にいのはアヴェインだった。閉じ直したらしい隠し通路の〝扉〟があった場所なのか、そこに拳の横を叩くように押しつけたまま、マリアをじーっと見下ろしている。


 やや薄暗い中でも、映えてはっきりと分かる金髪と、金緑の目だ。


 豪華な装飾品に、上質な赤いマントまで羽織っているのを見るに謁見前だろう。


「なっ、な、何してんのー!?」

「お、今度は声を潜めてきたな」

「当たり前だっ!」

「そうしていると、不思議とまんまオブライトだな。子供時代でも見ているかのようだ」


 アヴェインが顎に手を添え、頭を屈めて興味深そうに覗き込んでくる。


(その美貌、これ以上近付けたら殴っていいかな)


 マリアは『俺は王だからだ』という名言でかなり自由、それでいて常にこっちの思い通りにまったく動いてもくれなかった王様に、口角がひくつく。

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