五十四章 それぞれの任務前(6)
「そうマリアから聞いたのか?」
「いえ、同僚よ」
そんなことはどうだっていいのだ。二人は、ちょっとだけ面白くない。
「それで? あなたにとってジョークというか、別に気がなくても言う台詞なわけでしょう?」
「どうして私達には言わないわけ? 女としてはかなりのレベルだと思っているのよ」
ナタリーとミリーは、同時に足を組んで、今にも下着が見えそうなほどの脚を見せつけてやる。
ヴァンレットが顎に手をあて、その腕を抱えて「うーん」と言う。
考えているみたいだけれど、そんなふうに見えないのんびりとした感じの表情だ。そんなことを二人が思った時だった。
「あ、そうか」
向かいの座席で、大男が『閃いた』みいたな目をした。
「好みの女性には、どうやら言えないらしい」
「は」
「え」
「うむ、俺も気付かなかったな」
気付かせてくれてありがとう、なんて目の前の男は平気で言う。
ヴァンレットは納得したみたいに執事の方へ顔を向けたが、ナタリーとミリーはそれどころではない。
(――は?)
不意打ちで真っ赤になって、二人揃って膝に手を押し当てて俯いていた。
(え、何? なんて言ったの?)
(どういうこと?)
こんな、いかにも、という恰好をしているのに、ジョークも言えないのか。
ではなくて、そういうことではなくて――。
彼は、なんと言ったのか?
頭の中が騒がしい。とすると美女の侍女長より、ゆるふわ美人なマーガレットより――とナタリーとミリーは、らしくなくたくさん人物をあげて比較してしまう。
普段、よく分からない思考で『結婚しないか?』なんて言う男。
それが、今、遊ばないかと堂々誘った二人を前にして『言えない』と宣言したのだ。
ヴァンレットが執事に相談している。
「うむ、座るとローブ一つだと足りないかもしれないな」
「安心いたしました。目のやり場に困っておりました。それで?」
「俺が脱ぐとしよう」
「違います、やめてください、そうではなくてですね――」
いつものことなのか、執事が慣れたように『紳士としてすべきこと』っぽいことを説いている。
結局、ヴァンレットが『執事に頼んで何か用意してもらう』と指示する場面だった、と気付かさるまでに、少しかかった。
馬車内には予備の品が隠されているものだ。
執事がブランケットを出すのを、ヴァンレットは感心して眺めていた。
「何度もお教えしたはずですが」
なんて執事は言っている。身分は『隊長』で『旦那様』でもあるし、たぶん仕事はできる人なのだろう。
でも、変。
みんなが言っていた通り、かなり変かもしれない。
けれど――悪い意味での変ではなくて、今、ここで変なのは調子を崩されているナタリーとミリーの方だ。
(とくに〝姉さん〟が変だわ)
いつだって自分と同じ感性を抱いているのに、今は少しずれているのをミリーは感じた。
二人が帰ってきたという話を聞いたのは、マークが窓から顔を出して〝女子会〟を覗いてきた際にだった。
「―というわけだから、よろしく」
「分かった」
湯浴みも終えて、結局酒なしのホットミルクを飲んでいたマリアは、リボンで留めていないせいで、たっぷりかかっていたダークブラウンの髪を揺らし、頷く。
「女子の就寝着を見るなんて、さいてー」
「いつだって自気にもしないで自分から見せてくるくせに、なんで俺が怒られているんだ……」
窓に腕を乗せたマークは「というかさ」と、若いメイド達に言葉を続ける。
「お前らが後輩として来た時、未成年だったろ。今もその印象全然変わってないからな」
つまり、子供枠、と。
それは言わない方がよかった発言だったと、マリアは思った。
だが、その時にはもう遅かった。同僚達は窓から飛び出してマークに飛び蹴りを放ち、自分が言われたわけではないのに、なぜかマーガレットがスカートの下から銃を取り出した。
「えーっと……いってきまーす」
マリアは合掌したのち、駆けて屋敷側へと向かった。
半ば消灯しかけた玄関ホールへ移動してみると、伝言通りヴァンレットの姿があった。
「あ、マリア」
彼はこちらを見るなり、子供みたいな目をする。
「ヴァンレット、姉さん達を送ってきたって本当?」
「『姉さん』?」
うっかり、プライベートでの言葉が出た。
でも相手がヴァンレットなら安心だ。
「そうか、マリアにとって姉みたいな人達なのだな。うむ、やはり心配すると思って送り届けてよかった」
「ありがとうヴァンレット!」
「褒めるか?」
「もちろんっ」
妙に言葉を勘繰らないところも、と思いながら彼の頭をわしゃわしゃと撫でた。
玄関ホールには、出迎えてくれていたアーバンド侯爵もいた。挨拶は終わったらしい。ナイドガウンを羽織った彼のそばから、フォレスが咳払いする。
「マリアさん、就寝衣装なのをお忘れなく」
「あ」
気付いたが、今も全然気にならない。
そう考えたところで、マリアはますます『あぁ……』なんて困ってしまった。
(相手がロイドだったら絶対に無理、とかココで思いたくなかった)
アホか、明日も仕事なんだぞ、とか思ってしまう。
「……え、えーと、まぁ、きちんとした人に送り届けていただいて安心ですね」
そういえば、と思い出して、気にしつつアーバンド侯爵の方を見た。
そこにいるナタリーとミリーは、普段着だ。上からローブと、ブランケットをそれぞれ羽織っている。
マリアは、どう言い訳したのだろうと心配した。
だがアーバンド侯爵もフォレスも、かすかな表情と仕草で『予想していた難しさは拍子抜けするほどなかった』と伝えてきた。
(あ。そうか、〝相手がヴァンレットだから〟か)
マリアは、今の自分が湯浴みも済ませて、リボンもしていないことを思い出す。
女性の身となって初めて気付いたのだが、ヴァンレットは服が変わろうと髪型が変わろうと、とくに反応をしない。
以前、ドレス姿で遭遇した際に拍子抜けしたのは覚えている。
マシューの変装も見破ったというし、逆に、彼がどこを見てその人間を判断しているのか、気になったくらいだ。
「今日はありがとう。じゃあ、おやすみ、ヴァンレット」
「うむ。マリアと『おやすみ』の言葉が交わせて嬉しい、おやすみマリア」
それもあって、ずっとにこにこしていたようだ。
「さ、マリア。ナタリー達を連れて戻りなさい」
「はい、旦那様」
ヴァンレットのお見送りなどは、屋敷の主人として彼らがするらしい。
マリアは、ナタリーとミリーの手をそれぞれ引いた。
玄関ホールが遠ざかるまで、二人は珍しいくらい静かだった。
「あの、……まさかヴァンレットに困らされました?」
マリアは気にして、使用人出入り口から女性用の建物へ向かう外の小道で尋ねた。左右を一つずつ振り返って二人の様子を確認すると、明るい月明かりで、唇をちょっと噛んでいるのが見えた。
ショック、というより悔しがっている感じだ。
「彼、とにかく変なのよ」
「……まぁ、そうですね?」
マリアは心配事はなかったみたいだと察し、肩の力が抜ける。
「とっても変っ、もう嫌になるくらい!」
今回は珍しくナタリーが叫んだ。
二人にとっては、かなりタイプの違う人間だろう。
「でもヴァンレットは、とてもいい奴ですよ」
とてもいい男ですよと、マリアはふふっと笑って二人の手をそれぞれ引いた。
「あらぁ、先輩に向かってすごく嬉しそうね、マリア?」
「嬉しいですよ」
「ほんと、友達なのねぇ」
二人が左右から、むにゅっと胸を押しつけて抱きついてくる。
「ちょっと、自分で歩いてくださいよ」
「それでも軽々と歩いているマリアが、すごいわ」
「そうだ、彼、いつか私達に何かお土産を買って持ってくるんですって」
「送ってくれたのに?」
「そう、変でしょ?」
彼女達が、体重をかけてぎゅっと抱きついてきた。
身長差が彼女達とかなりあるマリアは、とうとう足を止めなければならなかった。
(落ち着きたいみたいだ)
そう思って、マリアはしばらくじっと立っていることにした。
ヴァンレットは、変だけど、個性であって悪い人でない。そうナタリーとミリーが分かってくれたのが、マリアは嬉しかった。
「ああいう人間も、いるんですよ」
マリアは、ナタリーとミリーの腕をそれぞれ、ぽんぽんと優しく撫でた。
月明かりが降り注ぐ庭園。マーガレット達から逃げるように走っていたマークが「あっ、マリアだ」と言って足を止め、気にしたみんなが結局こちらへと向かってくることになる。
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