五十四章 それぞれの任務前(5)
「どの子と遊ぶ?」
「そうね――あら」
その時、何気なく向こうを見た二人は、頭一つ分以上飛び出た男に気付いた。
確か名前は――ヴァンレット・ウォスカー。
緑の芝生頭をしていて、屋敷に来た際に侍女長にもいきなり挨拶代わりのように〝求婚〟したとかいう、変な男だ。
「面白い男がいるわ」
「ええ、そうね。困らせちゃう?」
二人は顔を見合い、くすくす笑いながらそちらへと足を進めた。
夜の遊びを覚えたての若い青年が、正面からすれ違う際に頬を染めた。ぽーっとして目で追った彼を、一緒にいた青年が引っ張る。
「し、身長も高い……」
「やめとけ、彼女達はお前には高すぎる相手だぞ」
「にしてもすげぇ足が長いな」
後ろからしげしげと見つめられる視線を感じるが、そのために出しているのだから、気分はいい。
「でもねナタリー、本気でOKされたらどうする?」
「その時はそれでいいんじゃない? どうせ私達だと気付かないわよ」
「それもそうね」
「楽しければどっちでもいいわ」
好きな服装と髪型をしている時に、気付かれたことはなかった。
――だから、もっと楽しい。
「お兄ーさんっ」
ほぼ同年代だが、あえてそう呼ぶ。
するとローブを掴まれたヴァンレットが「うん?」と言って、振り返ってきた。彼が立っていたのはワイン店の前だった。
「遊んでいかない?」
「それとも、騎士様はそういうの嫌かしら?」
ローブから見えた軍服に指を滑らせたら、彼は警戒心もなく首をゆっくり右へと傾げる。
「嫌ではない」
「そう、よかった」
「でも条件があるわ。私達、とっても仲がいいの」
ここぞとばかりに、二人は互いの大きな胸で谷間を作るように軽く抱き締め合う。
「二人一緒に相手してくださらないと、だめよ」
「でも、それが嫌だというのなら別をあたるから――」
「いいぞ」
あっさり返ってきた回答に、二人は目を丸くする。
「えっ、いいの?」
「『いい』だったら、困るのか?」
「いえ、そうじゃないけど……」
いかにも純情そうだから、意外だったのだ。
(カレンは『お断り』って警戒してたけど、本当にソウなのかも?)
(そういうの全然知らないかも、の説はなくなったわね)
二人は、横目を合わせて意思疎通をする。
すると店内から綺麗な服を着た男性従業員と、いかにも執事といった恰好の男が出てきた。
「旦那様、すべて運び入れてよろしいですか?」
「ああ」
ヴァンレットが頷く。
ナタリーとミリーは、その時になって初めて、近くに停められていた馬車が彼のものだと気付く。
「……買い出しの付き合い?」
「俺の方が力があるから」
……『旦那様』なのに?
なんてことを、ナタリーとミリーは同時に思った。
「ワインの管理はよく知らないから、すべて任せているが。それで今夜の話だが」
ああ、次は〝料金〟の話かな?と二人は察した。
「部屋代だけでいいわ」
「お腹もいっぱいだし――」
「いや、そうではない」
彼の大きな手が、ずいっと二人の目の前に寄せられて、ナタリーとミリーはきょとんと目を丸くする。
その間も、執事は職務に徹していた。
「もうこんな時間だし、帰るのがもう一、二刻遅くなったらマリアも帰りを心配するだろう?」
「そうね。あの子、今日は少し残業するって言ってたし」
「きっとまだ起きてるかもしれないわね」
そう、互いの顔を見合わせて言い合った直後だった。
ナタリーミリーは、同時に、素早くヴァンレットへと視線を戻した。
「は、――はああああぁあぁ!?」
「ちょっ、待って、私達が誰か分かっているわけ!?」
「うん?」
鋭いのか鈍いのか分からない大男が、今度は左へとゆっくり首を傾げる。
(うん、大男がやっても全っ然可愛くないのよ)
(細身のイケメンにやって欲しいわ)
(もしくは旦那様みたいな超硬派の年上イケオジ)
(アルバート様、――は無しね。可愛さの欠片もないわ)
ひそひそと話しができるくらい、とにかく返事まで間があった。
するとようやく、彼が答えると言わんばかりに頷く。
「そっちが姉のナタリーで、こっちが妹のミリーだろう? マリアが双子だと話していた」
二人は、あんぐりと口を開けた。
「うむ。薄着だと今の時期は風邪を引きやすい」
ヴァンレットがローブを脱ぎ、二人の後ろへ回してかぶせた。
大きすぎる男のローブは、細い二人をすっぽりと包むほどに広かった。
すると近衛騎士の軍服にマントという姿は、夜でも目立ち過ぎた。悪いことをしているわけではないが、通りの向こうの酒と女と男が楽しめる店々の前に、しばし緊張が走る。
そばに戻ってきた執事が、小さく息を吐いた。
「旦那様、外ではローブを外さないようお願い申し上げていたはずですが」
「寒い恰好だ」
「いえ、それは、そういう服です」
するとヴァンレットの目が、くりっと二人に戻る。
服のことをつっこんで聞いてくるのではないかと、ナタリーとミリーは予感した。だがまたしても予想は外れる。
「送っていこう。道案内を頼めるか?」
ちょっと、一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「……何度か来たことあるでしょ?」
「ある。だから、連れて行ってくれ」
ナタリーも、普段ならないくらいに「はあ?」と顰め面をした。
「帰らせてくれると言ったのに、今度は連れて行ってくれ?」
頭がおかしくなりそう――と考えたところで、二人はマリアのとっても説明に困っていたような顔を思い出す。
遊戯室の酒飲みで、男性陣は何を言われたのか、一部が『自分はヴァンレットという男は苦手かもしれない』ともらしていた。
そういえば、方向音痴とは聞いた。
それに加えて、少々風変わりみたいだ。
そんなことを思い出したのは、ヴァンレットがレディに対して何も尋ねないまま、二人一緒くたに持ち上げて歩き出し、勝手に馬車に乗せたあとだった。
「普通、聞くわよ」
「何が?」
「というか、二人一緒に持ち上げるとかすごく力があるのね」
「普通だ」
二人は、彼の口から『普通』と聞くと、ものすごく変な感じがした。
馬車が走り出した。車内には執事もいた。とにかく身長が高く、それでいてやや筋肉質な太さもあるヴァンレットの横で、少し窮屈そうにしている。
なんか、ごめんなさいと謝りかけた。
けれど会話をきっかけに、その執事に尋ねられでもして、自分達が侯爵家のメイドだと知られるのも気が引ける。
「あっ、そうだわ。これ、馬車代代わりに受け取っておいて」
ナタリーはお札があったのを思い出して、ヴァンレットの大きな手に握らせた。
執事に目を光らせられるかと思ったが、素早く確認してみると、彼は足元の方をずっと見ている。
「受け取れない」
「なら、今度〝友達のマリア〟にお土産を買ってあげたらいいじゃない」
ミリーも助言した。
昔と違って、彼女達はお金には困っていない。
ヴァンレットは、手に乗ったお札をじっと見つめていた。
ややあって彼が頷いてくれたので、二人はほっとしたのだが、またしても予想外な言葉が彼の口から飛び出て驚いた。
「分かった。なら、二人の代わりに俺が、これで何かを買って持っていく」
「…………」
金額に見合わない徒労ではないだろうかと、二人は彼の立場からも考える。
「というかね、ようやくマリアからの話とか色々と思い出したんだけど、あなた侍女長に出会いがしら求婚してたじゃない?」
「したな」
執事にお札を渡した大男が「うむ」と頷く。
仕草も、それから何度も見つめ返してくる真っすぐな目も、子供みたいだと二人は今になって気付く。
今の二人の姿を見ても〝そんな目〟のままで見てくる男は、まれだった。
「それなのに、目の前にこんな美女が二人いて、全然その『困った突拍子もない求婚発言』はしてこないじゃないの」