五十四章 それぞれの任務前(4)
「何よー、恋する殿方のために色々と髪型を考案するくらい、いいじゃない!」
「そういうのはいいです!」
マリアは、廊下からカレンに反射的に大きな声を返した。
「カレン、あなた空気読まなすぎ……」
「せっかくマリア落ち着いてきていたのに……」
「いいじゃないっ、私なんて執事長ぜんぜん相手にしてくれないのに! 私のことまだ子供だと思っているんだわっ、ちっともメロメロにもなんないしっ」
「その作戦が使えるのはマーガレットくらいよ――……」
声が、どんどん離れていく後ろへと遠ざかる。
(ああもうっ、勘弁してくれ!)
デートから日が過ぎるごとに話題は落ち着きつつもあるが、カレンは酒が入るとロイド関係を聞きたがった。
たぶん、姉みたいに力になりたいだけ――なのは分かっている。
マリアは考えることが苦手だから、途中で思考を止めてしまうことがある。
それを女子メンバーが心配してくれているのも分かっていた。考えた際、何か悩みにぶち当たって〝マリアが諦める〟のではないかと。
「…………そう、簡単に切り離せたらいいんだけど」
マリアは、月夜が見える窓の前で足を止めた。
「生憎、それができないんだよなぁ」
そうすることが、とっくにできない相手になっていることは理解している。
これまで伝えられない想い、隠さなければいけない恋しかしなかった。それは前世のオブライトがした経験であると同時に、マリアの記憶そのものであり、彼女にとっては十六年前の〝過去と経験の話〟だ。
自分が一度だけしたそれと、ロイドのものは違い過ぎた。
だから、初めてみたいに心はかき乱されて、パニックになることもしばし。
でも、マリアも子供ではない。前世の二十七年、そして今もコツコツと年齢と経験、人との出会いなどを重ねている。
自分のことが分からない少女ではない。
混乱も、いつしか自分でどうにかできてしまえるくらいに心は大人だった。
(私がした〝経験〟とは違い過ぎて、かえって、ロイドは眩しくて――)
マリアは、欠けているのにとても明るい月を眺めた。
堂々態度に出せて、人の目も憚らず想いを口にできて、とにかく真っすぐで。
好きだったのに、誰かにそうできない経験なんて、身を引くことや諦める思いも彼は知らないに違いない。
そんなことを考え、マリアは月に目をそむけた。
「はぁ……」
息をこぼしながら、窓ガラスにコツンと頭に横をあてる。
「……失恋して早々、そこに少しずつ入ってくるなんてなぁ」
少し前、終わってしまった恋だと実感し、泣いた。
そう自覚できたのも、一人で抱えていた悲しみを、時にはモルツのように無理やり、そして友人達がいろんな形で一人ずつ受け止めてくれたからだ。
ずっと我慢していたのに、再会した友人たちに徐々に泣かされた。
涙と共に、まるで少しずつ過去の悲しみが流れ落ちているみたいな気もした。
マリアの心を、事情を知らない友人達も揃って前へ、前へと――みんなが背を押してくれていっているみたいだ。
(そう感じるのは、それくらいに、私にとって大切な人達だから)
向き合えと、心が訴えている。
それでいて同時に、足が怖がって委縮する。
怖い、なんて死の覚悟を受け入れた時にも感じなかった。
全部、マリアになってから知った。あの頃の『ごめんなさい』も『悲しい』も、マリアの身体になったら全部素直に溢れ出てきた。オブライトだった頃、彼は大泣きなんて覚えがなかった。
「私も、……努力すべき、かな」
まだ友人達に再会していなかった頃、彼らの姿を見られないと思っていた。
今となってはどうだろう。懐かしい顔を見ても、当時恐れていたような胸の激しい痛みというのはなかった。
けれど前世の記憶を持っているせいでの『怖い』は、一つではない。
何をしていても、自分の姿が違うだけで、あの頃を思い出しては悲しくなる――それが怖いのだ。
だから、自分のことを話せないでいる。
こんなにもテレーサのことを知ってもらいたいのに、大切な友人達に『テレーサ』という一言だって口にできないでいる。
思い出した弾みに、激しい胸の痛みが蘇るせいだ。
いつか話すと決めた。だから、このままではいけないのは分かってる。
それから――ロイドに向き合うためにも。考えるにしても、このままではいけないとは感じていた。
(勇気を。大丈夫、きっとだ)
マリアは、自分に言い聞かせる。
ほどなくして彼女の足は、来た方向へと変わって、一度駆け足で引き返した。
「えっ、どうしたのマリア?」
室内の明かりが差し込む廊下で、マーガレット達がびっくりしたように声をかけてきた。
マリアは足を止め、そちらを見た。
「明後日の半休、旦那様に王都のおつかいがないか頼もうかと思って」
「お休みで町を歩くのに、理由はいらないでしょう?」
自分が、逃げてしまわないように、だ。
今はあの町を歩くだけでも理由が必要だった。
少しでも、この背中を押してくれるような『理由』が。
「――目的が、いるの」
考えた末、マリアが困ったような笑みを浮かべると、みんな何も聞かないでくれた。
「そうね。マリアも、一人で考える時間が必要だものね」
マーガレットが頬に手を当て言うそばで、隣の椅子に座っていたカレンが「うっ」と反省の呻きをもらしていた。
◆
その頃。
今日が半休だった双子の先輩メイド――姉のナタリーと、妹のミリーの姿は屋敷から隣の町にあった。
そこは、人々が眠る気配もない賑わいに溢れていた。
「今日は遊んで行かないのか?」
「うーん、もう酔っぱらっちゃって、あまり動けそうにないから」
語尾にハートマークをつけるように答えると、男達は「そうかそうか」と言って鼻の下を伸ばした。
「でも次の店行くんだな~」
「どっちがミリーちゃんだっけ」
「うっふふ、どっちが姉でどっちが妹でしょうか?」
ナタリーとミリーは、カウンターの前で互いを抱き合い、短すぎるスカートの足を絡めて妖艶に微笑みかける。
「あーっ! どっちか分からねぇ……!」
「どっちも美人! それでいて遊び好きとか、最高だろ!」
「こういうのは身元を探らないのがルールだろうが。なぁナタリーちゃん」
「おいっ、お姉様にそういう言い方は失礼だろうっ」
「お前はマジで狙いすぎなんだよ」
わっはははと酒屋に笑いが起こる。
「うふふ、お姉さん達は先に出るわね」
「あと一杯おごらせてくれ!」
「やーよ、今日はお触りはな・し」
「大人しくしてくれたら、今度相手してあげる」
男達は「またな!」と上機嫌に言った。二人がほっそりとした長い腕に薄地のレースの上着をかけて出る際、店の女性たちが集まる。
「今日は本当にありがとっ、すごくいい売り上げよっ。少しだけど報酬を――」
「いらないわよ、それもお店の役に立てて」
そもそも『旦那様』の領地なのに、と二人は思ったりする。
いや、そもそも二人は彼からこのお遊びのお小遣いをもらっているわけで、男ではなく、仲のいい女友達や大好きな夜の町に〝お金を落として〟いる。
二人は身体にぴったりとした、今にも下着が見えそうなドレスから伸びた足先にある、真っ赤なヒールをカツンと鳴らして店の外へと出る。
すると客引きや、次のお相手を探している男性も女性も、魅力を感じて一斉につい視線を向けてしまう。
歩く二人の腰に流れる広がった髪、そっくりな美しい顔に似合う濃いメイク、お揃いの赤いリップ――女性達は、途端に「どこで買った化粧品かしら」と注目する。
何せここで、二人は紹介できる化粧品を使っていた。
ミリーが、ナタリーの胸の谷間に挟まっていたお札を取った。
「殿方っておごるの大好きね。これ、どこかで使ってあげなくちゃ」
「ジャスミンの店はどーお?」
「それかこの口紅を売っていたお店ね。今の時間ならまだ若い子がいるから、飲んだ勢いってふりをして、買えないでいる子にあげるのは?」
「素敵ね。でも、そろそろ〝遊びたい〟気分ねぇ」
腕を絡めて歩く中、ナタリーの言葉にミリーも「そうねぇ」と同感な口調で呟く。