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五十四章 それぞれの任務前(2)

 ――少し前に、時間は遡る。


 その第三宮廷近衛騎士隊の副隊長は、しばらくは珍しく早めに仕事を終えていた。


 アルバート・アーバンド。

 アーバンド侯爵家の嫡男にして、十九歳。甘い美貌は社交界でも令嬢達に注目され、そろそろ誰か婚約者をみつくろうのではないかと、ぜひウチの家があの大貴族と縁を持ちたいものだと、名家達も噂している。


 彼は休暇の前に、数日は早め退勤をすると申請をしていた。


 それは貴族なら社交関係で、珍しくはないことだ。


 それを裏付けるように、彼が丈の長いジャケットとハット帽――という日中着の姿を多くの貴族が目撃した。秋に相応しいお洒落な装いは、とくに女性たちを虜にした。


「本日も社交クラブですか?」

「知り合いの経営する店にね」

「まぁ、羨ましい。ぜひご紹介いただきたいわ――」


 誘われれば、またの機会にとアルバートは柔らかく答える。


 約束通りその時を迎える貴族も多く、社交的な姿勢も友人だけでなく、味方や知人を多く持っている。


 とてもいい青年だとは誰もが周知していて、だからこそ『ぜひうちの娘を薦めたいんだがなぁ』なんて感想したりもする。


 だから、なかなか気付きにくい。


 人付き合いはいっぱいいっぱいのはずで、それ以外に裂ける時間はないだろう、と。


 アルバートが向かった先にあったのは、王都内にある数階建ての建物だ。

 その一階には高級BARがあった。入り口でのやりとりを見れば、よくある上流階級の会員制のものだと誰もが思う。


「いらっしゃいませ」


 カウンターで、マスターがそう声をかけた。


 窓が一つもないその店には、少しばかり重い煙も立ち込めている。


 重めの赤い壁紙は高級感があって美しく、店内には明るい時間だというのに、すでに数人の男達がまばらにいて煙と酒を楽しんでいる。


 アルバートは、ハット帽を入り口の男性店員に預け、入り口側のカウンター席の二人の客の後ろを通り過ぎる。


 そのうちの一人は珍しい灰色の髪をした若い男――マシューだ。


 カウンター席の中央では、楽しく左右二人の客と話しているベージュ色のコートの男がいた。


「やぁ、楽しくやっているな。ご機嫌じゃないか」


 その痩せた背に、アルバートが声をかける。


「気が合ってな」

「そうか、そりゃいい」


 アルバートが中央のその男の肩を叩きながら、マスターにカクテルを一つ頼む。


「あんたともまた気が合いそうだ」

「一杯やるかい?」


 言いながら、流れるようにアルバートが彼の右側に座った。元々、左右にいた男達はカウンター席を立つと「よぉ」「待ちくたびれたぜ」と言って、アルバートと手を握って引き寄せ、腕を強く叩き合う。


 それを見た男は、さらにリラックスした様子になった。


「いい店だな。誘われて初めて入ったんだが、これがまた酒もうまい! 入店の恰好を守れば、俺らみたいに貴族じゃなくても入れる」

「だな、こっちは商売でうまいこといってる」

「羨ましい限りだぜ」


 貴族ではないと話しを合わせたアルバートが、抱くようにして彼の反対側の腕をばんばん叩く。すると男が、グラスを突き合わせ、同じタイミングで飲み干した。


「はげまし、ありがとよ。こっちじゃそのやりとりさえ懐かしくなる。実は俺、ちょっとした野暮用で来て日が浅いんだ。この飲み方も懐かしいぜ」

「こっちもちょうど思ったところさ。同じ出身かな?」


 さあどれ、見せてくれ、と言ってアルバートが彼の顔を両手で支えて「うーん」と顰め面をする。


「おいおい、もう酔ったのか?」

「バカいえ。マスター、この友人と〝俺〟にショットグラスだ」

「かしこまりした」


 それを見た男が「ぶはっ」と笑い声を上げた。


「その流れも懐かしいな! やっぱ会ったことがあんのかな?」

「うん、やはり見覚えがある気がするよ」

「マジか。そう言われてみりゃあそうかもな。昔の仲間か?」

「そうかもしれない。少年時代はどっち派だった? こっちはベギー親分のとこだ」


 アルバートがショットグラスを二つもらい、自分と彼の前に置く。


 今にも溢れそうなほど注がれたグラスだ。それを「こぼさないようにな」と言いながら置いたのを見た瞬間、男は大笑いしていた。


「あっはっは! やっぱそうだ! お前もアドヤーバの出身だろ。初めに親分名前出しやがって、こっちの人間にゃあそれは通用しないぞ」

「そうだったか。じゃあ俺は運が良かったんだな」

「それだけ稼いでるのに、ほんと運のいい奴め」


 男が、アルバートのジャケットを指で軽く叩く。そして「ほんと懐かしいよ」と言って、続けた。


「俺は、ベギー親分とは仲が良かったオールゴ親分のとこだ」

「いい町だったよな」

「ああ、ほんと、あの町はよかった」


 男がグラスを持ち、アルバートも持つ。

 そして二人は少し掲げ「アドヤーバに」と言って、同時にぐいっと口にし、グラスの中を空にする。


「最低だけど、なくなった今もやっぱりあの町が恋しくなるぜ」

「みんなそれぞれ行ったからな。アギシャはどうしたかな」

「お前、あつい知ってんのか? なら俺ら、絶対知り合いじゃね?」

「よし、思い出そう――マスター、もう一杯だ!」


 相手の男はそれを聞いて「楽しくなってきたな!」と言い、アルバートと笑い合った。


 また一杯のグラスを煽る前に、二人の話は盛り上がった。


「そうそう思い出した、お前ドネだろう」

「そう! すげぇな、まさか本当に知り合いだったとはっ。あんたは?」

「今度は、そっちが俺の名前を思い出す番だ」


 アルバートがグラスをまた空にすると、男は「確かに!」と陽気に応えて、同じく飲んだ。


 店内の客はどのテーブルも楽しげに飲んでいた。

 若い客から三十代後半まで。堅苦しい雰囲気はなく、奥では葉巻もやっている。


「ここは俺らにとって、天国みたいな隠れ家だなぁ」


 男が「葉巻の匂いはちょっとアレだが」と正直な苦手さをこぼした。


「俺もだよ。カウンターが一番そっちから遠い」

「へぇ、いいね。そういうとこも気に入った。なぁお前、暇なら俺らの野暮用に付き合わねぇか? 急な寄せ集めだが、半分は俺らアドヤーバの兄弟達だ。グジ兄貴もいる」

「今も元気にしてるのか?」

「おぅ、元気だ。『ガネット』にも見つからないように、隠れ家のジペヤード家の元邸宅にいる」

「そうか、――〝ありがとう〟」


 酔いが回り出していた男が、感謝のタイミングに首を捻る。


 アルバートが立ち上がった。


「ここじゃあ積もる話もしにくい。上の個室へ行こう」

「おう、俺も仕事の話がしたい。今回つるんでいるグループもなかなか強力だ、ぜひ入ってくれよ」

「それは興味あるな。教えてくれるかい?」

「興味あるよな! はっはっは、もちろんいいぜ兄弟!」


 一緒に仲良く肩を叩き合いながら、階段へ向かう。


「それにしても俺、まだあんたの名前が思い出せなくてさ」

「そのうち思い出すさ。もっと聞かせてくれよ」

「もちろん。おい、そこのボトルもらっていっていいか」


 男が先程まで話していた二人の客に聞くと、彼らは「いいぜ」と気さくなに渡した。



 二人の姿が、細い階段を上がって消えていく。


 店内の話し声は落ち着いた。二人の客がカウンターの中央席に入れ替わり、一人がボトルごとごくごく飲んだ。


「おいおい、品がねぇですぜ坊ちゃん」

「いいだろ。だって胸が痛むだろう? 弔いの酒だよ」


 若い彼は「はーあ」と息をこぼし、頬杖をつく。


「あの人は痛まないだろ。嘘吐きだからな。ぜーんぶ、嘘。何が面白いんだか」


 飲んでいた際にテーブルに置かれたアルバートの黒いハット帽を、彼は引き寄せた。それをややあって、おもろむに入り口側の方へと滑らせる。


「分かってるよ。超一流の情報収集。人を使わないで自分でやる方があの人の場合は早い――あ、これ、悪口じゃないからな? マシュー」


 彼が、がたいの大きな男の背広の向こうを見た。


 入り口側のカウンター席にいたマシューが、テーブルの上を流れて来たハット帽を手で止めた。


「でもアルバート様は楽しんでいますよ」

「うへぇ、何が楽しいんだか……どうせ殺すのに、殺す相手と楽しくってのがまず理解できねぇ」


 その時、上階から大量の水がぶちまけられるような音がした。

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