五十四章 それぞれの任務前(1)
その日も王宮の仕事を終え、マリアはリリーナ達と帰宅した。
アルバートが先に帰宅しているとあって、リリーナは嬉しそうだった。
夕食までリビングで家族三人で過ごすことになり、そばにはサリーが付き、メイドはマーガレットと数人が残った。
「マシューがずれて帰ってくるなんて、変な感じね」
「そうね」
マリアは、夕食の長テーブルをひたすら拭きながら相槌を打つ。
「ねぇ、マリア」
「何? カレン」
「お城で何かあった?」
持っていた布巾に力を入れ過ぎて滑らなくなり、テーブルからゴリィッと音が上がった。
支度用の荷物を運んでいた若いメイドが「ちょっと、やだ」と言った。
「マリア、どれだけ怪力を込めたのよ。テーブルは平気?」
「ひどい……」
「だって、マーガレット先輩に聞いたもの。何度か執事長様を怒らせたんでしょ?」
怒らせたというか、拳骨を食らったんです。
痛かった、という記憶が先行してマリアはそう思う。メイドが歩いていくのを、カレンも一緒になって見送った。
「それで? 何かあったわけ?」
早速、カレンが肩に腕を回して尋ねてきた。
「うーん……いや、何もない」
「マリア、また口調が幼い頃の変な感じになっちゃってるわよ? ほらほら、お姉さんに話してごらんなさいな」
ニヤニヤしているカレンが顔を寄せて、彼女の大きな眼鏡がゴリゴリほっぺたにあたってくる。
そういえば〝この手〟の話は、カレンは大好きだった。
マリアは、なんとかかわせないかなと考えた。ふと、廊下の向こうから視線を感じて目を向ける。
そこには、足を止めてこちらをじっと見ている執事長フォレスの姿があった。
女性同士くっついて何をしているのだろうかと、彼の生真面目な目が語っている――ような気がする。
(しかしごめんなさい、執事長)
マリアの迷いは、一瞬もなかった。
「あ、執事長だ」
棒読みで言ったら、カレンがぐりんっとそちらに目を向けた。
「指を向けるのはどうですかね」
言いながら、フォレイスはとっとと足早に廊下を進む。逃がすかと言わんばかりにカレンが猛ダッシュして、ダイニングを出て行った。
「――よし」
なんやかんやでフォレスは、カレン関係については叱ってこない。たぶん、大丈夫だろうとマリアは楽観的に考える。
(それにしても……)
また思い出してしまったのだ。
まったく、と思って、雑念を払うみたいに再びテーブル拭きに専念する。
『〝恋人〟からの甘いご褒美でもあれば――』
いっちょ前に、大人の余裕を持った顔をする。
誰が恋人だ、とマリアは心の中で反論した。見合いは〝返事を考える〟ことで止まっていて、付き合ってもいなくて――。
それなのに、と思ってマリアは袖で顔をぬぐってしまった。
「……触られただけで、なんで過剰反応してんだか」
ロイドに触れられた唇が、いまだに体温を持っているように感じる時があった。
リリーナ達と帰る頃には落ち着いていた。思い出しては荒れていたのは、王宮で活動していた間くらいだ。
そもそもオブライトだった時、指で頬をぬぐうのもあった。
(なのに、なんでもやもやさせられてんだ)
負けず嫌いみたいに胸を刺すのか、ギャップか、それとも――。
「仕事しようっ」
顔が見れないだとかなると、負けたようで嫌だ、とも思う。
しばらく仕事の作業に徹していると、やっぱり大丈夫だという気持ちも戻って来た。いつも通りカレンはフォレスに勝負を挑んで騒がしく、エレナ侍女長が注意していた。窓から庭師のマークがちゃちゃを入れて、紅茶の替えをしようとしていたマーガレットが偶然にも彼の前を通ったタイミングだったので、「私に言ってる?」と笑顔で切れ――。
帰って来たマシューも「何をしているんですか」と呆れていた。
楽しい家族で、マリアも笑った。
夕食も終わると、あとの大きな仕事は片付けだ。励みだしてしばらく、数時間前の不調っぷりも忘れて悩ましい溜息をもらす。
「私はリリーナ様の湯浴みのお手伝いはできないんですね……」
「毎度言ってるが、お前はそれに関してはメイド枠じゃねぇ」
「ひどい」
料理長ガスパーの指示を受けつつ、片付けに往復していた。
「その枠で言うと、あの双子と不器用すぎる三人もだめ枠に入ってる」
「『だめ枠』……くっ、なんのために髪のお手入れも極めたと思っているんですかっ」
風呂以外なら髪型のセットとかさせてもらっているのにっ、とマリアが主張するも、第二の司令塔であるガスパーは腕を組んで引かない。
「力強い言い方だが、お前の髪が当時半端なくやばかったからだよ」
そんなこんなで、結局のところマリアは、ギースやマークや、暇を持てあました衛兵組と一緒に厨房関係の雑用にも奔走する。
(まぁ、力持ちなのは自覚している)
細かい作業よりも、空瓶や厨房の食材移動の方が失敗が少なく、役に立つ。
やがて作業が落ち着いた頃、アルバートがひょっこり顔を出してきた。
「あ、アルバート様」
「今日はリリーナの読み聞かせをしながら先に休むから、挨拶に」
なるほどと、マリアもガスパー達も頷く。
(どうりでサリーを離していなかったわけか……)
ロリコン疑惑が再び脳裏をよぎる。
「今、失礼なことを考えてなかったかな? ところでニック、君、昼勤じゃなかったっけ?」
「え? ああ、雑用っす」
そこに居合わせた男性メンバーを一人ずつ眺め、今度はアルバートが「なるほど」と言う。
ガスパーが顎を撫でながら、ニヤニヤとして言った。
「いい人選でしょ、坊ちゃん」
「こういう時は、マークも立派に仕事をするよね」
きらきらとした笑顔のアルバートに、マークは否定せず拝む。
「夜のココアが、ほんと有り難いんで」
裏口から顔を覗かせているマークと共に、それを期待しているマリアも合掌した。ニックやギースも、ココアのご褒美待ちだ。
「あ。そういえばアルバート様は、騎士業の休暇を取ったんですね」
マリアは、フォレスから聞いた共有を思い出した。
帰ってきた際にマシューとは話したが、リリーナがいるそばではこの休暇についてアルバートとは話せなかった。
「週末まですることが色々とあるからね。一番大きいのは、休日前夜かな。リリーナには社交で遅くなる、と伝えてあるよ」
アルバートがにっこりと笑った。
最近聞いたキーワードに、マリアは「ん?」と声を上げる。
「休日前夜?」
「マリアもその日は任務なんだってね。無理をしないようにね」
それからアルバートは「おやすみ」と一同に挨拶をすると、手をひらひらと振って厨房を出て行った。