五十三章 マリアと彼と彼らと(3)
落ち着いたとはいえ、会うことを想像するとそわそわしてしまう。
(いや、別に二人きりでというわけでもないのに……)
とにかくロイドのことは放っておいて、今は目の前に集中だ。
マリアのルクシアの研究私室の手伝いも、問題なく定時を迎える。気になるライラック博士についても、今のところ異変はなさそうだ。
(――彼の場合、何かあれば顔に出る、か)
ルクシアからの相談もないことから、今のところイレギュラーは発生していなさそうだと判断する。
「これ、仕事が終わったらみんなで食べて帰ってね」
「わざわざすみません、気付いたら時間が……」
「いいんですよ。本当にお疲れ様です」
いったんルクシアとライラック博士も、続き部屋から出てきた。アーシュも含めて「お疲れ様」「また明日」と言って、マリアはいつも通り薬学研究棟をあとにした。
ニールとは会ったが、今日もロイドには会うことがなさそうでほっとする。
あと一日は時間を置いた方がいいのかな、とも思えていた。
ヴァンレットの迎えはなかった。仕事が重なっていたのだろう。リリーナと同じ時間に、婚約者である第四王子クリストファーの授業も終わる。
「まぁ、普通、迎えはいらないんだけど」
メイド服も、袖が長袖へと変わったくらいには、ここに通っている。
ヴァンレットの個人的な行動だろうとも推測がついていた。
暇が空いたらスケジュールの確認や書類仕事――は、彼の隊の者達がやっているイメージが強い。
公務の日程に関しては、マリアのような者に知らされるものではなかった。
その答えを、帰るリリーナの身支度を待ちながら、使用人仲間のサリーから答えを聞くことになった。
「公務が入っているみたい。ヴァンレットさんが、護衛の第一責任者として付いていたよ」
相変わらずの美少女顔に、耳元で喋られてそわそわする。
「リリーナ様は大丈夫だった?」
待つ間の時間を使って、気を紛らわせて情報共有する。
「うん、講師の先生とも楽しそうだったよ」
「ああ、今一番憧れている女性講師、だっけ……?」
実に羨ましい。
先にクリストファーが教室を出たのち、少しリリーナはお喋りを楽しんだようだ。
「今日は殿下と別の授業は一つだけで、二人揃って手を繋いで歩いてたりしてた」
「何それ、めちゃくちゃ見たかったやつ」
「ふふ、マリアならそう言うと思った」
サリーが持たれていた壁から背を起こし、にこっとマリアの顔を覗き込む。
「リリーナ様も楽しみにしていたよ。帰る時に、三人で手を繋ごう」
「ありがとうサリー!」
マリアは、思わずサリーの手を両手で握った。
「元気、出た?」
「あ……あー、ご迷惑をおかけしました……」
「ううん、別に? 『悩むのはいいこと』だってみんな言ってたよ」
ロイドとあった見合いを、どうするかといった件だ。
結婚を決めて婚約をするのか、きちんとお断りするのか。
とはいえ彼は〝答え〟をもらえるまで諦めない姿勢だ。結婚しないという意見だったとしたら〝頷くまで諦めない〟といった方向で、だ。
(まさかの、誰も反対意見を言ってこないという……)
アーバンド侯爵も、あとは任せるといった様子だった。
(デートする時も、いちおうまずは許可を取ってはいる、んだよなぁ)
娘の父親にするみたいに。
そう考えて、頬が熱くなった。家族、という言葉が実感させられたせいなのか、ロイドの意外にも律儀な部分のせいなのか……。
「それから、アルバート様が帰る前に声をかけにきていたよ」
うーんと彼なりにそわそわして数秒、サリーが笑って話を変えた。
屋敷の中で、最年少組の使用人コンビだった。新しい話題を有り難いと思いながら、マリアも自分の中を落ち着ける。
「ああ、そういえば最近早いわよね。スケジュールの調整中、だっけ……?」
「今日か明日あたりには、確定しそうだって言ってたね」
今回は、マシューだけ城に残るとは聞いていた。
王宮側の助っ人にもなっているので、それも理由に含まれてはいるのだろう。
(帰りは早いけど、忙しさは増してる)
アルバートは、どうも〝裏〟の仕事で動いているようだ。
いったい何をしているのか、マリア達は使用人なので分からない。
そんなことを思っている間に、リリーナが出てきた。
「今日もねっ、アルバートお兄様が先に家にいると思うと嬉しいの!」
馬車乗り場までの道のり、マリアとサリーは、彼女の左右一つずつの手を握っていた。話すたびに振られて、一緒に手が動く。
「そうなんですねぇ。可愛いですねぇ」
「マリア、口から出ちゃってるよ」
サリーが言うものの、話すのに夢中なリリーナも、彼女をずっと注目しているマリアも気付かない。
今日一日の、悩んでいたアレやソレやもいったん飛んだ。
馬車が止められている場所まで、あっという間だった。
しかし屋根の下から出ようとした時、リリーナの話しがはじめて止まった。びっくりして目が丸くなる。
「きゃっ――あれ、何かしら」
リリーナが目で追う。
幸せな気分を中断されたマリアは、何が、と思ってそちらを見た。
なぜか、獣の着ぐるみを着たルーカスの必死の逃走が見えた。筋肉むきむきのバレッド将軍達の集団に追われている。
「将軍から聞きました! ぜひ特訓をおぉぉぉぉぉぉ!」
「だーかーらっ、俺ムキムキになる方法は知らないって! メイドちゃんの誤解! 俺は巻き来れただけ!」
「ルクシア様がご休憩されている今がチャンスなのです! ぜひ特訓を!」
「なんだ俺が脱がないと納得しないってか!? いいぜ見せてや――」
脱ぐんじゃねぇよ。
マリアは、パニックになって半泣きのルーカスに一直線へと向かった。サリーが「あら」と目で追う。
「ウチのリリーナ様に、あつっくるしいもん見せてんじゃねぇよ!」
次の瞬間、マリアの足が、首元に手を引っかけていたルーカスの脇腹を直撃した。
続いて、彼女は暴走気味のバレッド将軍達に挑んでいった。
「……あの、お送りご予定が」
馬車の前で待つ兵が、困ったように言う。
サリーがリリーナをエスコートして、「大丈夫ですから支度を」と告げた。
◆
その騒ぎに気付いて、上の階から眺めている者達がいた。
「うわ、あれってマリアじゃないか?」
書類を両手で抱えたレイモンドの横から、グイードも「なんだ?」と首を伸ばす。だが、直後に見なければよかったという顔になった。
「おぅ、なかなか荒れてんな……」
「久しぶりに見たと思ったら、また暴れてるな」
そこでレイモンドが、ふと思い立ったように後ろを見る。
「お前的にどうなんだよ」
そこにいたのは、同じく次の話し合いにも出るロイドだった。まさかの人員配置になりそうで、その件について彼が直々に説明予定だった。
珍しく動じていないので、グイードも思い出したように視線を戻した。
「そういやそうだな。舌打ちの一つもない」
「ああいうの、風紀が乱れるとかで嫌なんだろ?」
「『どう?』と言われてもな」
レイモンドの問いを受けて、ロイドは下で暴れているマリアを見た。
「…………」
ただひたすら、じっと見ている視線が嫌だな……とレイモンドとグイードは思った。
沈黙が、ちょっと気まずい。
すると、ようやくロイドが口を開いた。
「どうだと言われても、ひたすら可愛いだけだ」
「マリアちゃんのあの狂暴具合を見ても!?」
「どんだけ好きなんだお前!」
マジかよ、とレイモンドの声が響き渡った。