五十二章 ガネット・ファミリー(4)
「おい。おいおいおい、待てよ」
こらえのきかないレイモンドが、しっかりとした軍服の襟元を引っ張りつつ言う。
「お前、しれっと……」
「ははっ、トップの首狙いなんて、日常茶飯事ですよ。こっちの世界ではね」
ガネットは、悠然と笑みを浮かべてソファに背を預ける。見下ろすような切れ長の目が、動物的な線を描く。
面白がっている目だ。愉快なのだろう。
マリア達には、自分が暗殺対象として狙われている楽しみについては、理解できなかった。
「私が招待を受けたことによって、レッドムーンというファミリーが私を狙って動き出しました。それを促したのがエレゴルドファミリー。それから、全くの部外者ですが、暗殺の機会を狙って参加を決めたのが四組ほどいます」
指折り数えたところで、ガネットが不意につまらなそうに笑みを消した。
「まぁ、そちらは関係ないです。問題は、エレゴルドファミリーの反忠誠心。強さで押さえつければいいと先代もおっしゃっていましたが、例の異国の薬の密輸に関しても、完全に我々の失態ですよ」
それを聞いたジーンの目が、鋭くなる。
「――そちらが関わっていたとしたら、ガネットファミリーの〝意識改革〟が強制実行されただろうな」
「ええ、そうでしょうね。ですから先に『無関係である』ことを証明するためにも、私は全面協力の上で、ご報告したわけです」
誰に、とは言わなかった。
だがレイモンド以外の人間は、それが『裏』の頂点にいるアーバンド侯爵だと分かっていた。陛下が何も言わなくとも、彼が陛下にとって『不要』、もしくは『害あるもの』と判断して〝手を出して〟いただろう。
「これほど大きな反乱は始めてでしょう。あの豪華客船は、そもそも代々の『ガネット』の教えを守って、無戦場地とされている場所です。それがひっくり返されるとは通常なら考えませんから、大胆な計画といえばそうでしょうね」
本来、争いの一切を禁じられた所。
「いい機会なので、それを逆手に取ってやろうと今回の件を考えました。反乱のため、船の上の階は人選も考えられているでしょうし、全エレゴルドファミリーが集まる」
「しかし、そこまで計画を知られているとあったら、向こうも実行してこないんじゃないか?」
グイードが、胸の高さに手を上げてそう言った。
「ふふふ、私が知っていることを彼らは知りません。そして私は、無戦場地というルールのもと、遊ぶために部下も連れず参加するのです。絶好の機会でしょう?」
「なるほどなぁ……でも、あんたは参加していいのか?」
ジーンが口を引き攣らせると、ガネットが嗤う。
「もちろん。私は〝暇ができましたから〟こうして付き合うのです。傍観して楽しませてもらいますよ。――陸よりも安全ですし」
陸?
そう疑問を覚えた時、ガネットが懐から一枚の紙切れを差し出した。几帳面さが分かる、きちんと正方形に折りたたまれたものだった。
「日時は、今週に来る国の休日前夜。あなた方は、私が友好のあるマフィアとして紹介し乗船させます」
「騎士なのに、マフィアになるのか……」
「服に関しても全て用意いたしますから、ご安心を」
にっこりとガネットが微笑んだが、レイモンドはうーんと考え込んだ。
仕事で踏み込むとは聞いていたが、まさかマフィアへ変装しなければならないとは。マリア達には想定外のことだった。
「ヴァンレットとニールさんが、不安ですわね……」
マリアは、メンバーに含まれている二人を思った。
レイモンドが「確かに」と言いながら、ポルペオの方を見やる。
「俺としては、ポルペオが一番向いていない仕事のような――」
「馬鹿者が。貴様らだけ放り込んだら、本物のマフィアより性質が悪い乱闘になるだろうが」
「え、信用なさすぎね? 俺がいるじゃん」
ジーンが言った瞬間、ポルペオが元凶のごとく強烈に睨み付けていた。
乱暴者の黒騎士部隊。
マリアは、当時の言われ方の一つを思い出して、何も言えなくなる。気のせいでなければ、途中から殴り合いが面白くなってきて、よくジーンと筆頭で暴れていた……ような。
「それでは、またお会いしましょう」
ガネットが、優雅に挨拶して部屋を出ていった。
当日何をすればいいのか、どんな騒動が起きる可能性があるのか――それらは全て、本番の日に明かされるらしい。
秘密主義らしい『裏』らしい案件、といえばそうか。
マリアもオブライトだった頃には経験にあったので、小さく息をもらすに留めた。
その時だった。見送ったしもういいだろうと言わんばかりに、ジーンが勢いよくいい笑顔を向けてきた。
「早く終わったし、ちょっと歩こうぜ親友よ!」
「は? いや、私はルクシア様のところの仕事があるから」
マリアは、即、顔の前で手を振った。
「いいじゃん、少し散策するだけだって」
「ジーンは、大臣業をするべきだと思う」
「そんな真面目なこと言わんでも――ぐえっ」
次の瞬間、ジーンが首にかけられた縄を見て、衝撃的な表情を浮かべる。マリア達もギョッとした。
その縄の先を握っていたのは、ポルペオだ。
「……えーと、ポルペオ? これは何かな?」
「貴様は、私が責任を持って仕事に戻す。陛下から『よろしく』と頼まれた」
「嘘だろ? え、なんでそんなことになってんの? あっ、ちくしょーやっぱり悔しく思ってたのかよあいつ!」
ジーンが、ガタリと立ち上がる。
いや、そうじゃなくて、ただただ仕事を進めさせないとヤバイからだろ。
マリアは冷静顔で思った。さすがはアヴェインだ。週末にジーンが動くとなると、一日分は前倒しで大臣業をこなさせないとまずいだろう。
「そういやさ、ロイドとはどんな感じなんだ?」
「は」
突然、思い出したようにグイードに問われて、マリアは目が点になった。
一瞬、なんのことを言われているのか分からなかった。楽しげなグイードをしばし眺め、見合い騒ぎがあったロイドとの件だと気付く。
そういえば、こいつは恋の話が大好きなやつだった。
集団見合いに参加したグイードのことを思い出した直後、続けざまハッと思い出した。ポルペオが「なんの話だ」と振り返り、そういえばとレイモンドの目まで向く。
首にかかった縄を引きちぎろうとしたジーンも、ハタとしてマリアを注目する。
「野暮だと思って聞いてなかったけど、親友よ、そういえばこの前のデ――ぐはっ」
マリアは一瞬で間合いを詰めると、下からジーンの顎目掛けて膝蹴りを入れた。
なんでお前がデートのこと知ってんだよ、とも思ったし、余計グイードが食いついてくるだろ、とも思った。
あまりの勢いにポルペオがドン引きした。どしゃっと崩れ落ちたジーンに、レイモンドが「ひっ」と短い声を上げる。
「マ、マリアちゃん?」
唖然としたグイードが、恐る恐る目を戻す。
「いや、その、別に」
マリアは、やや赤くなった顔で手を振った。だが、その表情だとまるで効果はないし、そして何も言葉が出てこなくて。
意外と楽しかった、初めてのデート。
あんなきちんとしたデートは、テレーサとも経験になかった。そのせいなのか?
「そ、そのっ……じゃあ先に戻りますから!」
マリアはそう言い残すと、友人達を残して部屋を飛び出したのだった。