五十一章 剣を誓いあった者達(4)
少女の身になったせいか、とても涙もろくなっている気がする。オブライトだった時は、滅多に涙腺なんか緩まなかったのに。
「ごめん。ただいま、アヴェイン」
「いい」
アヴェインが、ぎゅっとマリアをかき抱いた。同じく、けれどこぼれそうになった涙を、目を伏せてこらえる。
「いいんだ。あの『さよなら』の手紙だって、許す――……何もかも許してやる。こうして、帰ってきてくれたから」
だから、いいんだ、とアヴェインの静かな言葉が落とされた。
マリアは、たくさんの『ごめんなさい』を言いながら、泣いた。
泣いて、泣いて、『どうか許して』『愛してしまったんです』と、とりとめもない言葉を時々口にした。
けれどアヴェインは、理由も聞かず抱き締め続けてくれていた。それだけで、二人の間の帰還までのとても長い年月も、わだかまりも、もう溶けて消えてしまっていた。
※※※
マリアを見送ったあと、アヴェインは窓に腰かけてぼうっとしていた。話せたのは短い時間だったが、良かったと思う。
『それじゃあ、また』
いつもみたいに、困ったような笑顔でそんな言葉を残していったのが嬉しかった。そして、自分も、あの頃みたいに『ああ、また』と答えられたのが。
不思議なことも、奇跡も信じない。
けれど、一番の友が生まれ変わって帰ってきてくれたのだ。それだけで十分だった。――たぶん、あの男もそうなんだろう。
「おい、そこにいるんだろう? 俺から気配を隠せると思うなよ」
アヴェインは、マリアが十分に離れたと分かった頃、窓の向こうに声を投げた。
すると、木の幹を伝ってジーンがやってきた。
「あら、やっぱりバレてた?」
「そりゃそうだろう。お前、俺を誰だと思ってる?」
「えーっと、……おっかない王様?」
うーんと考えながら、ジーンが部屋へと足を踏み入れる。大臣衣装の装飾品が、長い裾といっしょにシャラリと涼し気な音を奏でた。
「お前、また部下に泣かれるぞ。よくもまぁ、その衣装でできるもんだ」
「色々と邪魔だけど、まぁなんとかなるよ」
「そんなの、お前くらいのものだ」
「そのなりで暗殺者も一網打尽にする『陛下』に言われたくねぇなぁ」
カラカラ笑ったジーンが、その横顔に急に静かな空気をまとった。
「すまん」
たった一言、ジーンはそう言った。アヴェインの横で、窓の下に背をもたれるように座り込む。
ほとぼりが冷めたのを見計らって、わざと近付いても来たのだろう。彼は、親友を心配したのだ。
アヴェインは、溜息をもらしながら前髪をかき上げると、同じように床に腰を下ろした。
「別に、いい」
そよ風が上の窓から流れ込んでくるのを、しばし二人揃って見上げていた。
「知っていたんだな」
それがやんだタイミングで、アヴェインが小さく口を開く。
「お前が、気付かないはずがないよな。そして、あいつの考えを一番に汲んだんだろう」
「――そんなところ。あいつ、泣いたんだ」
ジーンは、小さな微笑を浮かべたまま目を落とした。
「何度も謝られちまった」
「俺もだ。『愛してしまった』だと……バカめ、愛したことを怒るやつがいるか。状況が違っていたのなら……祝福したものの」
「そうだなぁ……なんとなく察しちまってるから、俺らもますます聞けなくなるんだよなぁ」
テレーサ。
二人の頭に浮かんだのは、一人の女性の名前だ。ある日を境に、オブライトの目はとても優しくなった。本人は、気付いていなかったみたいだけれど。
「もう、終わってしまったんだな」
「そういうことだ。親友も、もう分かってる。テレーサも死んだ」
ジーンは、衣装の上で拳を作った。
「あのあと、アヴェインに言われて走り回ったが、死体はとうとう見つからなかったけどな」
たぶん、オブライトの遺体のそばにあったのだろう。刺し傷に対して出血がひどかったから定かではないが、恐らくは、隣に。
けれど彼は、仰向けで手を腹の上にして横たわっていた。
誰かが、情を与えてそうしたのだろう。恐らくはテレーサも、彼へ想いを寄せていた。それを知っていてそんな二人に心を痛めた何者かが、敵の中にいたのだろう。
「相談くらいは――して欲しかったと、思ってしまうがな」
アヴェインは知らなかったから、きっと騙されているから引き離そうとさえ考えた。でも、まさかその女が恋心を抱いていたなど――。
そんな甘い刺客なんて、知らない。
「あの女は、プロではなかったのか」
「さぁなぁ。俺、そういうのがあるんだったら教えて欲しかったぜ。テレーサを知ってるのは俺だけだったし、まさか、こっちで話に上がっている人物だとも思わなかった」
「お前が思わなかったぐらいだ。暗殺のプロというわけではかったんだろう」
「そうだなぁ。テレーサは……、オブライトを前すると、ただの女の子に見えたぜ。色目を使って落とすだとか、そういうのは全くだめっぽくて、さ」
言葉が途切れる。
ジーンがくしゃりと髪に手を埋めて、じっと床を見つめた。
「しめっぽい話はなしにしよう。俺も、そろそろ仕事に戻らないといけない」
アヴェインが切り出した。
「今のあいつだ。マリアについて知りたい」
「今の親友というと、最近、ロイドがお見合いを申し込んで、先日の休日は誘われてデートしたらしい」
「は……?」
さすがのアヴェインも、目が点になった。
「なんだって?」
「だから、ロイドがマリアに見合いを申し込んだ。んで、アーバンド侯爵がそれを受けて、集団見合いを開催した」
「はぁ? あのロイドが『マリア』に惚れたと?」
納得していない顔だった。アヴェインも、ロイドがどれほど山のように美女に囲まれ、モテモテなのか知っている。
ジーンは「くくくっ」と忍び笑いをもらした。
「ロイドは、生まれ変わってもまた、親友に恋したのよ」
「は」
「実はさ、ロイド、オブライトに憧れて尊敬していたんだ。それでいて、本気で好きだった節もあるんだよなぁ」
ニヤニヤと目を寄越され、ようやくアヴェインは察した。
「あいつ、なかなか結婚せんと思ったら、マジで男が好きだったのか?」
「ははは、結婚活動もしないせいで、よくそうやってからかわれてたっけなー」
笑ったジーンが、急に真面目な顔になる。
「面白がってからかった張本人は俺だ。そして、ロイドがオブライトを好きなのは、マジだ」
「マジかよ」
アヴェインも、驚きを隠せずそう言った。だが――今のマリアは女。考えてみれば、結婚相手としては十分いい暮らしをさせてやれる相手でもあって。
「結婚したら、公爵夫人か」
「あ。それで納得しちゃうんだ?」
「いつか貴族籍を、と思ってはいたからな」
それに相手がロイドなら、悪くない。