五十一章 剣を誓いあった者達(2)
悲痛な声を上げたマリアを、ルクシアは不思議そうに見つめる。
「私は良いと思いますよ。仕事で聞くファウスト公爵は、十代の頃から軍人達の規律にもなった仕事熱心な方でもある、という話がありますし」
うん、当時『破壊神』と呼ばれていたけど、確かに風紀やら規律やらには徹底していたのは覚えている。
だって、マリアはオブライトとして〝ロイド少年師団長〟を見ていたのだから。
「でも、相手が私なんですよ……」
うーんと思いながら、思わず口にした。
ルクシアが、そんな彼女を大きな眼鏡ごしにきょとんと見つめる。
「嫌、というわけではなさそうですね」
「うっ。その、嫌、ではあるんですけど。だって、断ろうとしているのにぐいぐい来るから、……奴と出くわさないように逃げてもいる」
後半、うめくように声が落ちる。
アーシュが目をつりあげ、「おい」とフォークで差す。
「言葉遣い、粗っぽくなってんぞ」
「だってさ、考えてもみてよ。相手は総隊長様で、公爵様で。こちとら速やかに行き来を終えたいのに、ニールは来るわドMヤローは来るわで、いつド鬼畜ヤローが出てくるか分からない恐怖におびえている……」
「お前、俺の意見をスルーしてるな? つか、言い方もひでぇなぁ」
総隊長様と、総隊長補佐様の呼び方に思うところはある。けれどアーシュは、ぞーっとしているマリアの横顔を見て、小さく息をもらすに留めた。
「確かに、まぁ、ルクシア様がおっしゃったように、理由は別みたいだなぁ」
言いながら、彼はマリアを見つめたまま頬杖をついた。
「身分差なら、気にすんな。あの時、アーバンド侯爵様が結婚できるように手配するというのは聞いたし。その場合、何も問題にならねぇよ」
「は? だ、だから、私は別に」
その時、続けそうなマリアに、アーシュがビシリと指を突き付けて黙らせた。
「見合いした時より、総隊長様の話する時さ、随分言い方が柔らかいんだ」
「え……?」
「俺は女性恐怖症だけど、そんなことに疎くなるような男じゃねぇよ。正直、お前が本気で嫌がるんなら、一緒に考えてどうにかしてやるつもりもあった。大事な友達なんだ、そん時は家を巻き込む覚悟でやってやるさ」
でも、そうじゃない。
アーシュの愛想のない目は、そうマリアに伝えてきた。大事な友達、その言葉を繰り返して手をぎゅっとした。
マリアにとって、オブライトだった時、ロイドは友達というには気軽に話してもくれないくらいに遠くて、そして後輩というにはあまりにも近い大切な戦友の一人でもあった。
でも、今のマリアにとっては?
『家族になりたい。家族を作りたいんだ』
お見合い会の時、ロイドがまっすぐそう語った目が脳裏を過ぎった。秘密があったとしても、話してくれるまでずっと待つ、と――。
その時、アーシュが真面目な雰囲気を解いた。
「つーかさ、マジでこれ以上巻き込むのは勘弁な」
「は」
「もうさ、とっととくっついちまえばいいのに、とか思う。その方が平和だよ」
アーシュは、疲れきった顔で言った。普段なら、言い返したり怒ったりしただろうに――マリアは、じわーっと頬を染めた。
「な、なんでそんなこと言うのっ」
思わず、ガタリと立ち上がって反論する。
ルクシアが「おや?」と小首を傾げた。以前と反応がやっぱり違いますね、と呟く。
その時だった。扉からノック音が上がって一同は口をつぐんだ。
ややあってルクシアが許可すると、そこから専属護衛部隊のバレッド将軍が、熊みたいな頭を屈めつつ覗き込んできた。
「何やら、メイドのマリアさんにご用があるそうです。一緒に来て欲しい、と」
「私?」
つまりは呼び出しだ。けれど、一体誰が?
マリアは、バレッド将軍の向こうに立っている近衛騎士に眉を寄せた。向かう先も告げないということは、公にしない類のものであるのだろう。
バレッド将軍も、そのため声をかけていいものか躊躇したらしい。しかし、臨時班の存在を知っているルクシアとアーシュは、顔を見合わせている。
「――分かりました。行きます」
予定は聞いていないが、ひとまず二人を心配させるわけにはいかない。
マリアは立ち上がると、コーヒーをぐいーっと一気に飲み干した。その見慣れない飲み方にルクシアとアーシュが顔を引き攣らせる中、バレッド将軍が案内してきた騎士のもとへと駆けた。
※※※
しかし、どこに向かうんだろうな?
マリアは、近衛騎士のあとに続きながら首を捻る。
彼は使用人通路の裏道を通り、人気のない場所をどんどん進んでいく。
気のせいか、見覚えがある気がした。ずっと昔、まだ密かに呼び出していた時代、とある友人が案内を寄越してこうして向かわせた気が――。
「こちらになります」
不意に近衛騎士が足を止める。
いつの間にか一つの部屋に来ていた。扉が開かれ、ガランとした使われていない部屋を覗き込んだ瞬間、マリアはギョッとした。
そこで待っていたのは、国王陛下のアヴェインだったのだ。
正装を着込んでマントまで着用しているということは、着替える間もなくここへ移動してきたのだろう。
なんで、アヴェインがここに?
マリアは驚きを隠せなかった。しかし、アヴェインの金緑の冷静な目がふっとこちらに向けられた拍子に、鋭く睨まれたような緊張感が全身を走り抜けた。
「し、失礼致します」
ひとまず立ち止まり続けているわけにもいかず、騎士に促されて入室する。
すると、ぱたん、と後ろで扉が閉まった。騎士が、速やかに離れていく足音が遠ざかっていく。
もしかして、以前あったようなまた唐突な休憩だったりするのだろうか。そう思って周りを見やるも、椅子一つ置かれていない。
――昔は、小さなテーブルといくつかの椅子があって、休憩の場の一つになっていたのに。
マリアは、場違いにも少しだけ感傷を覚える。
今になって思い出した。ここは、よく集まっていた部屋の一つだった。
ここは城の裏側で、アヴェインとジーンが十代の頃からよく遊び場の一つにしていたという警備も届かない部屋だ。
窓からは、相変わらず手が届きそうな位置に木の葉が広がっている。あの当時はテーブルにはチェス盤が常備されていて、よくレイモンドが負かされていた――。
「何もないのが、不思議か」
不意にアヴェインの声が聞こえて、ドキリとした。
うっかりしていた。ハッと目を戻すと、こちらをじっと見つめているアヴェインがいた。冷静な眼差しだが、その瞳の奥はやはり鋭い。彼の前で気を抜くなど、一瞬でもしてはいけないのに。
国王陛下、アヴェイン。
彼は絶対の〝王〟で、賢者で――そして自らも剣を振るえる最強の王。
窓の横の壁に寄りかかっていたアヴェインが、そっと身を起こした。たった小さな動き一つで、マリアはドキッとして一歩後退してしまう。
「それ以上動くな」
一言、落ち着いた声色だけれど足が強張った。
マリアの体が、オブライトだった時と同じくその〝命令〟を覚えていた。冷や汗をかきながらじっとしている間にも、アヴェインがどんどん向かってくる。
「俺は共に誓い、我が剣となる双剣を得た。一つは、ジーン。幼い頃からの心の友、ジェラン・アトライダー。そしてもう一つの剣――お前は、そのオブライト・ニールディークだ」
名指しされ、心臓が一層ドクドクと騒ぎ出す。
想定外だ。まさか、バレている。
なんでバレているんだろう。マリアは呼吸が止まりそうになった。目を合わせられず、俯き、早急に考える。
「わ、私は――」
「俺に、嘘をつくか、オブライト」
心臓が大きくはねた。