五十一章 剣を誓いあった者達(1)
そして、何事もなく週が明けた――かのように思われたが、王城では引き続き奇妙な報告が密かに行われていた。
それは、多忙な国王陛下の仕事の合間にされた。
一切は秘密。そう約束させられたうえで『報告を』と指名を受けた者達が、用件も分からないまま彼から問われて報告を述べた。
国王陛下が一人いる部屋で、第四王子付きのある若い近衛騎士はこう語った。
「第一宮廷近衛騎士隊長のヴァンレット・ウォスカー隊長が、『取ってきたご褒美をくれ』と〝その娘に〟なでなでを所望しておられるのを見ました。……満足そうでした。私は、どうしたらいいのか分かりませんでした」
兵ばかりではない。政務を担当する、年齢のいった高官まで呼び出された。
「大臣様が、窓からそのメイド目掛けてまた飛び降りようとしました。抑えるのがほんと大変でしたっ」
もちろん、若手も呼び出された。
「大臣様は、その……猪のように飛び出していったかと思ったらメイドを抱えて楽しげにしておられました。ぼ、僕は、彼の名誉を守るためにも何も話しておりませんっ」
なぜか途中手を組み、涙ながらぶんぶん首を振ってそう言った。
女性の腰に触れるなど、紳士としては言語道断。あの時、変態、と口から出掛けた言葉を彼は呑み込んだようだった。
ある日は、二人の衛兵も呼び出された。
「モルツ・モントレー総隊長補佐様が数刻前、『ずっとお預けだったんですけどおおおおお』と実に奇妙な雄叫びを上げ、拳を求めてそのメイドに突進しておりました! なんと恐ろしいっ!」
「相手はメイドの少女だというのに、なんたるストレスの発散方法! ですが怖いので、我々は何もできませんでした! あっという間に、そのメイドが殴って目を剥きました。ひとまず見なかったことにしました!」
平和的な解決である。
実のところ、多くの者が『ひとまず黙っておくか』という対応を取っていた。
「何せ、我が城には〝曲者揃いの英雄様達〟がいらっしゃいますから……いえ、『陛下も含めて』なんて言っていませんよ。ええ、はい」
見掛けたという側近は、国王陛下アヴェインから目をそらしてそう述べた。
ある日は、兵士長が憤った。
「赤毛の男が、そのメイドに泣きついておりました! なんたる頼りなさ! あんな男がいようとはっ!」
別の日、同じ内容を持ってきたとある衛兵は、悩んだ顔をした。
「一度、本気で通報しようかと思いましたよ。ええ。何せ、その真っ赤な頭をした男、腰にガッツリ抱き着いておりましたので……いや、その少女に引きずられていたというか。今度は通報していいか、上長に確認してみようと思います、はい」
別の場所の兵も、目撃情報を持ってアヴェインのもとへ報告へ訪れた。
「つい先程、その赤毛が図書資料館の前で『置いていかないでえぇぇぇ』と半泣きしているのは見かけました」
「先週だと、バレッド将軍を連れて、ルーカス・ダイアン様に突撃していましたね」
「レイモンド騎馬総帥様と、廊下で立ち話をしているのもよく見かけますよ。珍しかったので、てっきり親戚か何かなのかと思っていました」
「グイード師団長も、よくコーヒー飲みに行っているみたいです。同期の者が『上官がサボりでいないっ』と嘆いていたタイミングでしたので、黙っていました」
そして、その前日に唐突に終わりが訪れた。
定期報告を頼んでいた騎士に、ようやくアヴェインが報告会の終止符を打った。
「そうか。御苦労」
謁見の短い休憩を取っていた彼は、そう口にして静かに目を伏せる。
「もう、いい。十分だ」
――カチリ、と最後の判断のピースが埋まる音がした。
※※※
その日も、マリアは膝が隠れる程度の丈のメイド衣装を揺らして、パタパタと研究私室内で積極的に動き回っていた。
来たらまたしても積みあがっていた本や書類を棚などに片付け、掃除をし、扉から向かって正面にある窓ガラスも丹念に拭いた。埃一つ残すものかという勢いで棚の間まで払っていたし、床も猛然と磨いていた。
コーヒーもバッチリだし、「それじゃあ行ってきます!」と、城の入り口まで猛ダッシュして売りに来ていた店のケーキを買ってもきた。
午後の休憩、そんな彼女の一日を思い返したのか。ルクシアがテキパキと元気よく休憩準備を整えたマリアを眺めつつ、はぁ、と溜息をもらした。
「先日、『休みが休みでなくなった』というような愚痴を聞いたような気がしますが、ここ連日、随分パワフルなような……」
「いつものことでしょう。あいつ、体力馬鹿だし」
向かいの椅子からそう口を挟んだのは、二十歳の文官アーシュだ。十五歳である第三王子にして、薬学研究等の所長であるルクシアの助手をしている間は、上から白衣を羽織っている。
「赤毛野郎がいなくて静かだけど、あいつが動き回るのがほんと目に留まって集中が――いてっ」
ひゅんっと飛んできたスプーンが、アーシュの後頭部にヒットした。
勢いあまってくるくると回りながら、放物線を描いて宙を舞ったそれを、ルクシアが腰を浮かせて手で取る。
マリアは大きなリボンをひるがえして、ケーキの紙箱をたたんだものを入り口近くのゴミ箱へと入れる。それを、ルクシアがぎこちなく目で追った。
「……パワーが有り余っているというよりは、気を紛らわせようとしている、と考えた方がしっくりくるような気もします」
「もしくは、いいことでもあったのか、ですかね」
後頭部を撫でながら、アーシュは恨めし気にマリアを睨む。微塵にもそんなこと思っていない顔だった。
「お前さ、なんでそう器用に真っすぐスプーンで俺の頭を狙えるんだよ」
「投げ慣れているので」
「んな淑女いるか!」
テメェというやつは!と、アーシュが作業台を叩きながら男友達みたいな台詞を投げる。
いや、普段は武器なんで、これはノーカンだ。
マリアは、真面目な顔でそう思った。口にしない方が無難である。その心中を何やら察知したかのように、ルクシアが珍しい表情を浮かべる。
「んで? 総隊長様とは、あれからどうなってんだ?」
「ごほっ」
椅子に座ってケーキを一口食べた瞬間、アーシュが隣からそう言ってきた。
その質問をかわすため、今日まで忙しくしていたというのに。
マリアは、そんなことを思いながらコーヒー゛ケーキを流し込んだ。だらだらと冷や汗を覚えつつ、ぎこちなく彼の方へ顔を向ける。
「な、何が」
「だから、あの拷問のような見合いに巻き込まれた件だよ」
「うーん……拷問ってのも、ひどい言いようだなぁ」
「こら、口調がまた変になってんぞ。ほら、そっちの雇い主の侯爵様、結局は『回答保留』で断りはしなかったんだろ?」
今のところ公にされておらず、知っているのは当事者達のみとなっている。
それもそうだろう。銀色騎士団の総隊長にして、縁談も見合いの動きも全くなかったあのロイド・ファウスト公爵が、唐突に、メイドと見合いをしたいと直々に申し込んできて、集団見合いにまで参加したのだ。
相手は、ただのメイドだ。
それなのにロイドは、気にせず結婚したいとアーバンド侯爵に申し出た。
知られたら、恋の噂がとくに好きな貴族達の間で騒がれるのは、もう間違いない。そんなことになったりしたら、『メイドなのに断るのか』だとか『アーバンド侯爵家がとりはからう?』『それなら何も問題はないし、いいじゃないか』と、あっという間に結婚式まで迎えていそうな気がした。
私が、ロイドと結婚? いや、まさか……。
マリアがそんなことを考えていると、ルクシアがケーキをパクリと口にして「確かに」と首を傾げる。
「進展があるのか、気になるところではありますね」
「ルクシア様まで……!」