オブライト時代番外編【コミックス5巻発売記念SS】オブライトとアリーシアとグイード
グイードは、恋の話には一番くいついた。
というのも彼自身が、十代からずっと恋に生きる男だったからだろう。
彼がゆくゆくは継ぐことになる子爵家の領地。そこにある町の幼馴染が、彼の想い人だった。
名前はアリーシア。波打つ濃い美しい髪を持った女性だ。
現在、王都に来て知り合いの衣装製作所で働いている。少女時代と比べてすっかり美人になったと、彼女の静かな仕事風景は少々注目を集めてもいる――のだが。
「オブライトさん!」
「ぐはっ」
無警戒だったオブライトは、食事処の外席でサンドイッチを食い終わったタイミングで、テーブルにしたたかに額をぶつけた。
ゴッ、といい音がした。
彼の頭と背中にのしかかっている女性、アリーシアが「ちょっと聞いてよ!」と問答無用で続ける。
「グイードったら、またどこかの女性に鼻の下伸ばしたの? あいつ、女の子に優しすぎじゃない? この前、オブライトさんと一緒に居た時の女の子だったって聞いたけど、オブライトさんじゃなくてグイードに惚れたってこと? ねぇ、ちょっと聞いてるのオブライトさん?」
周りの目撃者達が、小さくざわついていた。
水のお代わりを持ってきた小太りの店主が、恐る恐る声をかける。
「あの、お嬢さん……? そこの【黒騎士】さんから、非礼を買う前に早く離れた方がいい。怒らせると、怖い軍人様だよ」
すると、アリーシアが気付いて顔を上げた。背中にのしかかられているオブライトは、どうにか頭を起こすことができて額を揉み込む。
「あら。オブライトさんは、そんな恐怖政治をするような軍人じゃないわよ」
黙っていると、絵師に絵に描きたいと言わせる美人――にして、出身の田舎町一番のじゃじゃ馬娘がきょとんとした。
一体なんなんだろうな、とオブライトは思っていた。つい先程、ジーンや部下達とようやく離れて、ゆっくり〝つまみ食い〟をしているところだった。
部隊の方の騒ぎが落ち着いたかと思ったら、今度はアリーシアか……。
そう思っていると、首に腕を回しているアリーシアが、横から顔を覗き込んできた。
「というかオブライトさん、ジーンさんはいないの?」
「ん? ジーンに用があったのか?」
「んーん。いないと好都合だな、と思って」
「え」
なんだか、嫌な予感がする。
けれどオブライトは、女性の腕を払えなかった。それを知っているアリーシアは、そこでしてやったりと強気な笑顔を浮かべる。
「オブライトさん、私、して欲しいことがあるの」
「グイードのことでか?」
「そうよ。ちょっと協力してくれるわよね?」
問われて、彼は少し考える。
またしても、何かしらもやもやと考えていることがあるのだろう。彼子女はじっとしているタイプではなく、かといっても女性友達にも素直に打ち明けられないタイプだ。
グイードが知らないところで何かをされるより、彼を知っている自分がみている方が安全だろう。
「分かった、付き合うよ」
オブライトは、困ったように微笑んでみせた。
「さっすがオブライトさん! ありがとう!」
「いえいえ、どういたしまして」
立ち上がったタイミングで、改まって『お願い』をされ、オブライトもずっと隊長をしてきて板に付いた騎士としての礼を取って答えた。
「それで? 今度はなんだ?」
すると、アリーシアがとんでもないことを言った。
「私を抱き上げて、グイードから逃げて」
「は……?」
――その十分後。
オブライトは、アリーシアを抱えて王都の町中を走っていた。
怨念のような雄叫びが響き渡っているが、それはオブライトの方ではなく、後方から追ってくるグイードが発しているものだ。
「これはいいわ! グイードが私を追い駆けてくるだなんて!」
アリーシアが、悠々と後ろを見てガッツポーズする。
普段から、その素直さを本人の前で出せばいいのになぁ……と思ったが、オブライトは溜息をこらえた。
「はぁ、元気になってくれてよかったよ。で? なんでまたグイードを怒らせるようなことを?」
つい先程、近くを歩いているグイードの方へ連れて行かれた。そしてアリーシアは、オブライトにお姫様抱っこをされた姿勢で、『どうよ、羨ましいでしょう!』と周囲一帯に突然声を響き渡らせたのである。
アリーシアが、グイードからオブライトへと視線を移した。
「もちろん、私にぞっこんなグイードを見るためよ!」
ああ、そうか。彼女は、不安だったのか。
オブライトは、ふと察した。彼女が素直にならないのは、グイードと身分違いであることを考えてのこともある、とは聞き知っている。
思わず笑ってしまった。アリーシアがむっと眉を寄せ、いつものツンでじーっと睨んでくる。
「何よ。何か言いたいことでも?」
「ふふ、いや――可愛い人だな、と思って」
「かわっ」
赤くなったアリーシアが、異性としての意図はないと分かって咳払いする。
オブライトは、気付かずうーんと考えていた。
「それにしても、まずいな……俺、あとでグイードに殺されそうな気がする」
後ろから追い駆けてくるグイードの凄まじさは、居合わせた若い警備隊が「ひぃっ」と慄き、職務を放棄して追ってこないほどだ。「俺のアリーシアちゃんに何してくれてんだ」だの「羨ましすぎる」だのと言い、「止まれえええええ!」と嫉妬爆発で叫んでいる。
持ち前の馬鹿力が発揮され、ぶつかった空馬車が転がっていった。
恐ろしい――いや、俺もたまにやっているけど、あれほどひどくはないはず。
その時、オブライトの胸板を、アリーシアがぽんぽんと叩いた。
「そんなことしないわよ。グイード、なんやかんやで、あなたに一番甘いんだから」
「そうかなぁ」
「私からも、ちゃんと言っておくから平気よ」
アリーシアが笑った。道をまた曲がったところで、不意に彼女の笑顔が優しくなる。
「――また、戦いに出るんでしょう?」
柔らかな囁きのような声に、一瞬、間があいた。
オブライトは、濁った赤い目に彼女を映した。その形のいい唇が、ようやく開かれそうになるのを見た時、アリーシアが手を伸ばして遮った。
「死なないでね。元気に帰ってきて。私も、アネッサさん達と王都で待ってるから」
頬に触れてきた彼女の、女性らしい微笑を宿した目は、強い何かを宿しているように感じた。
待つ者のつらさ――ブライトは、以前友人達との話で上がったのを思い出した。
アヴェインも、きっとつらかろう、と。だから自分達は、笑って〝帰〟らなければならない。
オブライトは〝待つ者〟ではないから、分からない。
でも、アヴェインだって、王都で静かに〝戦っているんだ〟とは分かっていた。
「死なないよ」
オブライトが笑いかけると、アリーシアが「全く」と息を吐く。
「死んだりしたら、ボコるからね」
「そりゃ怖い」
おかしくなって、二人で笑い合った。
と、アリーシアが、両手でオブライトの頬を引き寄せ、額を合わせてきた。
「アリーシア……?」
「オブライトさん、どうか、どこにも行かないでね。あなたがいなくなっちゃったら、きっとグイードは大泣きよ」
この距離でも恥ずかしさを感じないのは、その相手が彼女だからだろうか。
――テレーサとは、違う。
先月、出会った異国の女性。彼女といると、不思議とオブライトの胸はドキドキしてくる。それはどうしてなのか?
そんなことを思いながら、オブライト困ったように微笑んだ。
「そうかな。グイードは、強い男だよ」
「ううん。きっと、とっても取り乱して泣くわ」
オブライトの足は、先程から速度を落としていってしまっていた。すぐ後ろから再び聞こえてきた声に、ようやく気付く。
「何羨ましいことしてんだゴラアアアアア!」
ガシリと肩を掴まれて、「うげっ」と思わず声がもれた。
振り返った途端、グイードに至近距離から睨み付けられて顔が引き攣る。鼻先が触れそうな近さに、間に挟まれたアリーシアが「あら」と口に手を当てた。
「あ、違うんだ。別に、何もしてない」
うん、自分からは触っていない。
オブライトが、そう思って申告した時だった。じっとグイードを見つめていたアリーシアが、唐突に呼んだ。
「グイード」
「へ? 何?」
「私を受け止めて」
「ええぇっ」
いきなり、アリーシアがグイードの方へ飛んだ。オブライトが咄嗟に力を緩めて助力すると、彼の方へ吸い込まれるように向かう。
グイードが、直後アリーシアを両腕に抱き留めた。騎馬隊のマントが、その背でふわりと揺れる。
「危ないだろアリーシアちゃんっ」
カッと目を見開き、グイードがアリーシアに言った。
「あなた、落とすの?」
「いや、いやいやいや、落とすわけないだろ。もそもアリーシアちゃんは、ハネのように軽いんだから」
ふふん、とグイードが胸を張る。
さらっと軽くそんなことを言ってしまえるのが、すごい。オブライトは、見ていてちょっと気恥ずかしさを覚えた。
「で? なんでオブライトを巻き込んだんだよ。昨日のこと気にしてんのか? ただの知り合いだよ」
グイードが、不意に吐息をもらした。先程までの怒りはどこにいったのか。心配そうにアリーシアを覗き込む。
「だって、私は貴族じゃないもの」
言い躊躇った彼女が、むすぅっとしてそんなことを口にした。
可愛い人だ。オブライトは、やっぱり笑ってしまった。こうしている今、彼女の抱える不安なんてありもしないのに。
「グイードは、アリーシア一筋だよ」
オブライトは、思わず含み笑いで口を挟んだ。
「そんなの、知ってるわよ」
照れ隠しで、アリーシアが唇を尖らせる。
その時、オブライトはジーンが向かってくる姿に気付いた。その隣には、グイードと同じく騎馬将軍で、相棒のレイモンドもいた。
「おーい、親友よ。大丈夫だったか?」
「なんでここにいるのが分かったんだ?」
「そりゃ、あんだけ派手な爆弾発言落とされたら、近くにいたら聞こえるっつーの。俺は友情レーダーで向かったわけだけど、途中で合流してな」
言いながら、ジーンが親指をレイモンドへ向ける。すると彼が、真顔でサッと片手を上げて詫びてきた。
「グイードがすまん。逃げていく警備隊の声を聞いて、またなんか起こしてるんじゃないかと思って」
「ああ、それでジーンと全合流する形になったのか……レイモンドも、相変わらず大変だな」
「何が? 俺、なんで逆に同情の目を向けられてるんだ?」
「ははは、ほんと、オブライトは問題を次から次へと起こすよなー」
いや、巻き込まれているだけなんだが……と思った時だった。
レイモンドが、不意に唇の前に指を立てた。なんだ?と思って、彼が向けた指の先を見てみると、アリーシアを地面に下ろして向かい合っているグイードがいた。
彼はアリーシアに微笑みかけ、口を開く。
「なんだ、不安になったのか? 何十回だって言うよ、俺は君が好きだ」
ストレートな台詞だった。見ている方も恥ずかしい。
オブライトは、見て見ぬふりをした方がよいのかと考える。レイモンドは苦笑いだし、ジーンは笑っていた。
「この前も、希望されて一晩中ベッドで言ってあげたのに。それなら今夜も――いてっ」
「もうっ、このお馬鹿!」
アリーシアが手を振り上げ、バチーン!といい音が響き渡った。
仲がいいのか悪いのか、本当に分からない二人だ。でも、彼女がグイードを昔から好きであることは、出会った時からとっくに分かっていることだった。
そして、グイードだって、アリーシアだけしか見ていない。
「よし、邪魔者は退散するか」
レイモンドが、溜息交じりで切り出した。オブライトも「そうだな」と彼女達に背を向けた。
「オブライトも、お疲れ。出身を気にしているみたいだけど、グイードならなんとかするだろうし。うまくいくといいよな」
「俺は貴族の結婚はよく分からないけど、うん、うまくいくのを願ってるよ」
「ははは、なんとかなるって。グイードの両親も、アリーシアのことは知らないわけじゃないしな」
ジーンのカラカラとした笑いに、考えすぎるのもアレか、それもそっかと、歩く三人に納得の空気が広がる。
だが、またしても後ろから、バチーン!と乾いた音が聞こえてきた。
オブライトは、思わず足を止めて肩越しに振り返った。グイードが慌ててアリーシアを追い駆けていく。
「……あいつ、またなんか言ったのかな」
「恥ずかしさ知らずってのも、あれだよな」
レイモンドが頷いて言うと、ジーンが「最近婚約者をことごとく赤面させている、お前が言う?」とツッコミした。
皆様のおかげで、本日5/24(月)、コミックス5巻発売いたしました!
紙書籍、電子書籍、同時発売です。巻末に特別書き下ろしSS【「アーバンド侯爵家の「家族」と「子供たち」と」】も執筆致しました。お楽しみ頂けましたら幸いです!