五十章 公爵様とのデート(6)
「さ、行こうか」
「あっ、ちょっと!」
くらくらしている間にも、手を引かれ、マリアはロイドと共にその店へと足を向けた。
そこは、女性客向けの装飾品や小物を扱うお店だった。建物も大変可愛らしくて、数組のカップルが店先に並んだ商品を眺めていた。
「この花柄の髪飾り、マリアによく似合いそうだ」
店頭に並んでいた髪飾りのうち、一つをロイドが手に取って「どうだ」と見せてきた。
こんな風に笑うロイドは、初めて見た。
マリアは、とても楽しそうに笑っている彼を、つい見つめてしまった。それが素の笑顔なのだろうか。自然と満面の笑みを浮かべたロイドは、爽やかで、どこか少年みたいでもあった。
そうやって笑うと、全然怖い感じもないのに……。
「この花のデザインは、好みじゃなかったか?」
「えっ? ああ、いえっ、とても可愛らしいと思いますよっ」
慌ててそう告げたマリアは、ハッとした。
そういえば、貴族も買いに来ているみたいだけれど、ここって高価なものを扱っているお店なのでは?
思えば、値段を見ていない。まさか買わないだろうなとドキドキしていると、ロイドが試すようにマリアの頭に髪飾りを添えてきた。
「ああ。ほら、やっぱりよく似合う。花弁の青い宝石が、瞳の色と同じだと思ったんだ」
嬉しそうにロイドが笑った。
まるで、ロイドじゃないみたいだ。マリアはそわそわしてきてしまって、顔を少し横にそらした。
「似合いませんよ。たぶん……」
「よく似ってるよ。これを買おう」
「えぇ! 大丈夫です要りませんっ」
やっぱりそう来たか!
マリアが焦って取り上げようとしたら、ロイドが高い身長をいかして、ひょいと手を遠ざけてしまった。
くそっ、この身長差が憎い……!
当時は、自分がそっちの立場だったのにと悔しく思った。
「ロイド様っ、それ、本当にいいですからっ」
「ふうん。そんなに買って欲しくないのか」
やれやれと、ロイドが視線をよそに流し向ける。少し考え、その目がマリアへと戻された。
「じゃあ今度、別で特別なものを贈ろう」
「えぇぇ! いや、いりませんったら!」
まさか、宝石店で買うつもりなんじゃないだろうな!?
マリアは大変困った。確かに、ロイドのチョイスにしては、マリアの好みだどんぴしゃではあった。しかし、別に驕ってもらいたいなんて考えていなくて――。
ぐるぐる悩んでいると、ロイドがくすりと口角を引き上げた。
ドキッとした拍子に、彼が背を屈めてマリアの目を覗き込んでくる。
「それじゃあ、ここでこれを買うのと、あとで高価な特注の品を贈られるの、どちらがいいか選ばせてやる」
「ド、ドSだ! なんて意地悪なことを考えるんですか……!」
マリアは、うっかり本音の方も口走ってしまったが、ロイドはニヤニヤして待っているだけだ。
どうしてそう買わせようとするのか?
劇のチケットだけで十分だった。それなのに、いくらかも分からない髪飾りを、買ってもらうだなんて……。
「で、どうする?」
「ぐぅ。待ってください、今、考えてるんですっ」
マリアは、手で『待って』と伝えて目頭を揉み解した。
考えてみると、やはりあとで買わせる方が金額がヤバい。それをアーバンド侯爵家に、となると正式な贈り物として取られることもあるだろう。
今すぐ付けろと言っているわけではない。それに、ここで買うだけなら、まだマシな方だろう。
マリアは、とうとう心を決めた。
「分かりました! それをくださいなっ」
すると、待ってましたと店主が「はいよ」と満足そうに答えてきた。
え、いつの間に待機してたの?
マリアは呆気に取られた。そのそばで顔を横にそらし、「どうして重なるんだ……!」と悶絶しているロイドがいた。
「はいよ、まいどあり」
準備が整った店主が、慣れたように言って商品をロイドへ手渡した。
受け取ったロイドが、包んだものをマリアへ差し出す。
「はい、どうぞ」
「えっ。あ、その……ありがとうございます」
戸惑いながらも受け取ると、ロイドが顔を寄せてきた。
「次のデートに、付けてくるのを期待していいか?」
そんなことを甘く囁かれた。
マリアは、不意打ちでかぁっと顔が熱くなった。とうとう赤面してしまい「~~~~~!?」と声にならない声を上げてしまった。
店主は、大変微笑ましそうだった。続いて金を支払いにかかったロイドへ、尋ねる。
「旦那様、もしや、あなた様の最愛の人ですか?」
「今、落とそうとしているところだ。でも、なかなかつれなくな」
「おやまぁ、ご執心ですな」
それなりの貴族と見たのか、商品代金分を受け取った店主は恭しく言った。
その様子を眺めながら、マリアはこっそり舌打ちした。
「ぐいぐい来すぎだろ……!」
慣れなくて、くらくらした。
――けれど、それはロイドが、それだけ魅力的だからだ。そう自覚していたから、マリアは余計に顔が熱かった。
買ってもらった髪飾りの包みをポケットにしまったのち、再びロイドと歩いた。
マリアは、またしても顰め面だった。あの買い物でうやむやになってしまうことを期待していたのに、またしても恋人繋ぎに戻ってしまったのだ。
「ロイド様、手、邪魔になりませんか?」
「全然?」
ロイドが、鼻歌交じりに答えてきた。
とても上機嫌だ。なんだか悔しくなる。思い返せば、マリアはずっと彼の調子に振り回されている。
こうなったら、無理やり離してくれる。
そう負けず嫌いに火がついた時、ロイドが察知したように言ってきた。
「手を繋ぐだけで我慢してやっているんだ。少しは、多めに見ろ」
他に何をしたい気なんだよお前は!?
元同じ男だった身として、マリアは我慢の方の意味を分かって、ゾッとした。ロイドが思案気に視線をよそに向ける。
「できれば、キスでもさせてくれればいいんだがな」
「ロイド様。あなた様は、こんなに本音を言う人でしたかっ? 違いますよね!?」
「今のもわざとだ」
しれっとロイドが言った。一本取った、みたいなご機嫌な様子で、再び前を向いて鼻歌交じりに歩く。
わざとかよ! もうこいつ嫌だっ!
マリアは、うおおぉおぉ……と何か叫びたくなった。だがそんなドスの利いた声を、こんな街中で出すわけにもいかない。
その時、知った顔が見えてハッと視線を向けた。
そこには、こちらを、まん丸くした目で見つめているアーシュの姿があった。
「あ」
「え」
マリアの口から驚きの声がもれると同時に、アーシュの方からも、ぎこちなく固まった声がもれた。
私服姿からすると、プライベートでこちらまで遊びに来ているのだろうか?
もしかしたら、あの幼馴染の友人らと散策しているのかもしれない。けれど正直、今はそんなことはどうでもいい。
み、見られた……。
マリアは顔が引き攣った。アーシュの方こそ、顔面の強張りがひどい。
「まさか、デートか……? そ、そういや、見合いの結果は、審査が進行中なんだっけか……」
理解が早い。
しかし、これはそれでいいタイミングなのではないだろうか。このロイドと二人きりの時間を、少しでも削れる可能性がある。
そう思い至った次の瞬間、マリアはあざとい笑顔を浮かべると、わざと大きな声で呼んで手を振った。
「アーシュ! 偶然ね、買い物? それとも、友人と着ているの?」
今、気づいたと言わんばかりの台詞を放った。だが聞こえる距離のはずなのに、アーシュがますます固まってしまった。
「アーシュ?」
「お、お前は気付いていないのか。虫けらを見るような目を……」
「何が?」
ごくりと唾を飲み込んだ彼を見て、マリアはきょとんとした。その隣で――絶妙に彼女に引っ掛からない極寒の冷気を、ロイドがアーシュに向けて放っていた。