五十章 公爵様とのデート(4)
こいつ、数日会わない間に、なんかおかしくなってないか!?
「たしかにデートにも付き合いますけどっ、その、なんというかっ――ああもうっ、だからって調子にのんな阿呆!」
直後、マリアは思わず彼の腹にガツンッと膝蹴りを食らわせていた。
ロイドが、呻いて手を離した。通りの人々が、立派な紳士と十三歳くらいにしか見えない少女の攻防を、チラチラと横目に見ていた。
「ふっ――さすがはマリアだ」
ロイドが、腹を押さえつつ姿勢を戻した。
「一筋縄でいかないところも、ますます燃えるな」
勝手に燃えるな、お前は変態なのか?
マリアは、友人達の中にいる〝変態〟らを数人思い浮かべてしまった。
だが、不意に腰に手を回されハッとした。気付いた時には引き寄せられ、ロイドの隣にまたすっぽり収まってしまっていた。
「ちょっ」
マリアは慌てた。さっきよりも、近い。
「旦那様にお見合いで断られなかったからって、これはっ」
「夫候補だ。これくらい許される」
ロイドが、慣れたようにマリアの手を取った。口元にまで寄せると、その華奢で白い手の甲にちゅっとキスを落とす。
淑女に対する、紳士のキスだ。
マリアは、それをされていることに少し赤面した。
家族以外に、そうやって触られた経験はない。手にはロイドの吐息が当たっていて、自分の心臓の音まで聞こえてきた。
「アーバンド侯爵家も認めた候補だ。俺ほど魅力的な夫候補はないと、お前に気に入ってもらう」
手を口元に置いたまま、ロイドの紺色の目が妖艶に微笑む。
マリアは、ものの見事に固まってしまった。戸惑い、そして思考回路がいったん現実逃避して止まってしまったのだ。
やっぱり、ただ二人で外出する、というだけでは済まないかもしれない……。
ただ劇を見にいくだけで済まない予感に、マリアはどきまぎした。
※※※
アルトハレン劇場館は、グリーンラインの一等地に堂々と建つ、この町ならではの建物の一つになっていた。
建物の彫刻は美しく、物語に出てくる偉人達の像も人気がある。
一見すると厳粛な外観だが、貴族庶民にかかわらず楽しめる舞台だった。町の人も気軽に足を運んでくる場所だ。
そこも考えてくれていたらしい。
マリアは、なんだか変な感じがした。チケットを買うロイドをそわそわと待った。
「足元に気を付けて」
入館することになって進もうとしたら、ロイドが手を差し出しきた。にこっと微笑んできた目元も優しく、声も柔らかだ。
これは本当に、あのロイドなのだろうか?
マリアは、困ったことに不意打ちで胸が高鳴ってしまって、返答に詰まった。
「あの、ありがとうございます」
戸惑い気味に遅れて手をのせると、ロイドが優しく握って導く。
「どういたしまして」
紳士風に述べたロイドが、係の者ににこやかに切符を見せて、二人は館内へと進む。
その隣で、マリアは「くそっ」と髪をかきむしりたくなった。
不意打ちの心遣い、そして彼とは思えない言葉選びや大人の表情。これまで、やたらロイドにだけ苛々したり普通にできないでいたのは、そのギャップがあったからであったらしい。
マリアがよく知っているロイドは、小さくて、本性を知っている女性に対してはちっとも猫を被らず、温かく微笑むなんてできない〝子供〟だった。
ロイドが取った席は、最上段の一等席だった。
仕切りがされて半個室で、カーテンも備え付けられている。
「なんだ、落ち着かないのか?」
ふかふかの座席に腰を落ち着けたところで、ロイドに問われた。
そりゃ、お前とプライベートに、しかもデートしている状況なのが信じられなさすぎて……そう思ったが、マリアは本心は呑み込んだ。
「えっと、恋愛の演目を選んだのも、意外で……?」
全部が嘘ではない。出ていた看板の演目を見て、ちょっとそう思ったのは事実だ。
「十代の女性にも人気だそうだ。内容も短いから、難しく考えずに楽しめる」
「はぁ、そうですか……」
マリアとしては、人気であるのを誰に聞いたのか気になった。そもそもロイドが誰かに知識を求めるなんてことも、想像がつかない。
すると、またロイドがじっと見てきた。
「今度はなんですか」
「なんで身構えるんだ、何もしていないだろう」
これまでの全部を、何をしていない、と言い切れるのなら相当なもんだよ。
マリアは、女性慣れしているやつめと舌打ちしたくなった。けれど、次の言葉に空色の目を丸くした。
「お前も、こういうのが実は好きなんじゃないかと思って考えたんだが。あんまりだったか?」
「えっ? あの、私を中心に考えてくださったんですか?」
まさか演目の内容までそうだとは思わなかった。つまりロイドは、やはりこの恋愛演劇には全く興味がないのだ。
一人驚いていると、彼がチラリと美麗な顔を顰める。
「あたりまえだろう。俺はマリアを喜ばせたくて、このデートを考えたんだぞ」
ストレートに言われて、頬がほんのり熱くなる。
その気持ちは、マリアもよく分かっていた。初めてカフェに誘った時のオブライトも、馴染みがない場所だったけれど、テレーサに喜んで欲しかったからだった。
会場が暗くてよかった。
そう思いながら、マリアは赤くなった顔を隠すように俯いた。
「大丈夫です、その、好きではあります。連れてきてくださって、ありがとうございます」
スカートの上に置いていた手を見つめながら、ロイドが傷付かないよう言葉を選んでそう述べた。
「そうか、良かった」
ロイドの声から、ホッとしたものを感じた。
「この演目のメインは、歌だ。歌姫サーシャが特別出演している。その歌が聞けるとあって、今、人気の演目らしい」
なるほど、サーシャか。
マリアは気もそぞろだったので、あまり看板の内容を見ていなかった。サーシャという名前は、以前から知っていた。
オブライトだった頃、天才歌姫として幼い年齢でデビューした女の子だ。当時の歌姫とコラボしたのを、偶然近くで座って聞きもしたのを思い出す。
「そうですか。楽しみです、歌を聞くのは好きなので」
マリアは、本音だったので自然とそう答えた。
オブライトだった頃から、のんびりと座って楽器の演奏や弾き語りを聞くのも好きだった。
たぶん、戦争のない空気感が好きだったのだと思う。
平和になって、こうしてゆっくり聞けたのなら――と、叶わない望みを、聞いている間だけ少しばかり夢を見る。
『悪魔め』
『国一番の人殺しだ』
『この戦争が終わったのなら、生かしておかないだろうに』
人々が望むのなら、それでいい、と受け入れていた。
だから、戦争が終わったあと何をしているだとかは、想像しなかった。
定住先を決めず、もちろん自分の家だなんて持たなかった。自分という存在が必要なくなったのなら、誰かが処分するのに困ってしまうだろうから。
「マリア」
ふと、名前を呼ぶ声がした。
少し思い耽ってしまっていたようだ。
顔を上げてみると、気付けば舞台の幕は上がって開演前の挨拶をオーナーが始めている。
「なんですか?」
小声で聞き返したマリアは、もう少しのところで大きな声を上げてしまうところだった。
隣から、ロイドが手を伸ばして頬を撫でたのだ。
「お前は、笑っているのか」
「へ? あ、はい。えっと、楽しみですから」
見据える紺色の目に、心まで覗き込まれているようでトキドキする。
マリアを見つめるロイドの眼差しは、思慮深くて、どっしりと構えている芯の強さもあった。
「ど、どうして、そんなことを」
ロイドが、屈めていた背を座席に戻した。やや熱くなった頬から、手が離れて少しホッとする。