五十章 公爵様とのデート(3)
「俺は、休日のマリアを見られて嬉しい」
「えぇっ」
「デートのために可愛くした私服も新鮮だし、こうやって近くから見ても、より可愛いのが分かる」
どこか色っぽく微笑んだ彼の指先が、マリアの頬を控えめに撫でてくすぐった。
胸が早鐘を打った。なんだか、やたら甘い。
「可愛いって連呼しないでくださいっ」
思わず引き離さそうしたが、ロイドは馬鹿力でどうにもらなかった。マリアが痛くないような力加減で、自分の横に引き留めている。
くそっ、少年時代にもかなり悩まされたが、大人になって一層馬鹿力かよ……!
チィッとマリアが思った時だった。不意に彼が、ふっと柔らかな笑いをこぼした。
「そういう素直じゃないところも、可愛いな」
「また、可愛いって……! きょ、今日のロイド様がっ、素直すぎて変なんです!」
そう、素直すぎるのだ。可愛いとか平気で言ってくるし、会えたから嬉しいだとか、そんなこといつもの彼なら言ってこないはずだ。
できればそれ、少年時代にやって欲しかった。
マリアがそう思っていると、ロイドが肩を竦める。
「可愛いのは可愛いんだから、仕方がないだろう」
「ひぇっ、肩をすくめないでください余計にぎゅっとされますっ」
「わざとだ。気にするな」
気にするよ! お前、バカなの!?
マリアは、そこも正直に述べてきたロイドを、若干恥じらった目で睨み付けた。だが彼は、全くダメージを受けていない。
「マリア、可愛いよ」
視線を戻してきたロイドが、にこっと微笑んできた。
もうマリアは、我慢できなくなって恥じらいに口を開く。
「な、なんで、色々ストレートに言ってくるんですか。普段のロイド様と、全然違いすぎますよ」
なんでと思って、マリアは言い返した。
「隠すのをやめたんだ」
「は?」
ぽかんとするのも構わず、ロイドはマリアの肩を抱いて歩きながら、悠々と片手を交えて話す。
「バカだと思われようが、好きになった女には、正直にいる。簡単に言えば、自分の気持ちを我慢するのを、諸々やめた」
まるで吹っ切れたみたいに、けろっとロイドが言った。
「本人に伝えられないより、伝える方がすっきりすると分かったしな」
「そ、そんなことをいきなり言われても」
「そうやって俺に動揺するのも、すごくいいしな」
ロイドが横目に見下ろしてきて、ニヤリと笑った。
けれどそれは、普段のような意地悪なだけのものではない。温かで、いつもと全く違って特別な表情に思えた。
いたずらっぽい眼差しに、ドキドキする。
と、ロイドの微笑みが、不意に甘く蕩けた。
「可愛いよ、マリア。世界で一番だ」
「おっ――大袈裟です!」
もう、限界だ。
マリアは、適当に文句を言い返してロイドから顔を横にそむけた。
言うのを我慢しなくなった、ということは、つまりいつもそんなことを日常的に思っていたということ?
そう感じさせられた瞬間、頬がじわじわと熱くなってきた。
ロイドの周りには、少年師団長時代から美少女や美女が大勢いた。それに比べて、マリアは至って平凡だ。
あざとく笑えば、まぁまぁ可愛い顔だと思う。
でも……あのロイドが『可愛い』というくらいだとは、思わないのだ。
それなのに、彼はマリアが『可愛い』と言う。反抗的な表情をしても、可愛げなく隣を歩いているのすら――。
普通のデートだったら、好感が下がってもいいはずなのに。
マリアはどうも慣れなくて、気恥ずかしくなってきて話題を振ることにした。
「そもそも、デートだなんていきなりです。執事長達も驚いていましたし、もちろん私だって」
「アーバンド侯爵には、ちゃんと許可を取った」
「え? でも」
言いかけて、マリアはハタとした。
そうでなれば、執事長がすんなり対応しないだろう。
「つ、つまり、思い立った一昨日には知らせを? じゃあ執事長は、今日の可能性を見越していたわけですか!?」
「そうだと思うぞ」
たぶんな、と、ロイドは他者に対して興味がなさそうだった。通りの人並みの流れに目を向け、向かいからくる家族連れにマリアがあたらないよう避ける。
「戦闘メイドとしてではなく、一人の女性として『娘さんをデートに誘っていいですか』と送った」
手紙で伝えたらしい内容を、ロイドが口にしてきた。娘、といったところにも、彼がアーバンド侯爵という人間を理解しての配慮が窺えた。
アーバンド侯爵は、自分の家族のことについて『一介の使用人の一人』と数えられるのを嫌っている。
出だしの掴みはまずまずだった、ということなのだろうか。
「身分が違うことを悩ませたり、困らせたりするのはなしだと釘を刺された」
「そう、ですか……」
いきなり貴族流のデートをされたら、もっと困っていただろう。
そんなことを話し合っていただなんて知らなかった。旦那様も、ヒントくらい落としてくれていても良かったのに――。
と、ロイドが頭を屈めて、ひょいと顔を覗き込まれた。
いきなりだったので、マリアは、びっくりした。当時と身長は全く違うけれど、そういう仕草は、少年だった頃と重なる気がした。
「劇の鑑賞も、前々から経験があるんだな」
「え? ああ、旦那様に聞いたんですか? そりゃ、私達だってちゃんと休みはありますから」
アーバンド侯爵は、なんというか規格外の貴族様だった。貴族に多い社交の一環の外出、見栄を張ってお供を連れての面白くもない散策……ということもしない。
身支度を整えたかと思ったら、マリアやマークを脇に抱えて「さぁ、一緒に演劇を見に行こう!」「えーっ!」というのもよくあった。
二十三歳になったマシューも、いまだにやられている。
――先月、専属侍従を勝手に攫われたアルバートは、「僕がマシューと遊びに行こうと思っていたのに」と若干ご機嫌斜めで、極寒の笑顔だったけれど。
侍女長エレナも「ギースと一緒にどう?」と誘われるし、日頃からガスパー達と一緒に食材巡りもした。
アーバンド侯爵は、自分の家族を得て嬉しいみたいだった。
初めてアノルド・アーバンドとして家族ができた時から、ずっとそうだと、執事長フォレスは言っていた。ガスパーは悲しみに暮れる暇もなかった、と。
不慣れな外国での生活様式から、マナーに慣れるまでも大変だったという。
とても悲しい別れがあったのだろうかと、マリア達は時々、あの古い結婚指輪を思ったりする。
ふと、マリアは会話が途切れていることに気付いた。
頭を振って、いったん思考を目の前のことに戻した。
「それで? 劇を見に行くんですか?」
どうやら、目的地はアルトハレン劇場館になりそうだ。最初のデートとやらについては、それを一緒に見るくらいで済みそうである。
おかげで緊張が解けたマリアは、ロイドの方を確認した瞬間にまた驚いた。
じーっと、こちらを覗き込んでいる彼の顔がすぐそこにある。
ずっとマリアを見ていたらしい。その近さにもおののいた。
「な、なんですか?」
思わず、じりじりと身構えながら言ってしまった。
「思い返している顔も、正面からじっくり見ても、飽きないくらい可愛いな、と思って」
「は」
思い返していることを察知されていた。
マリアは、かぁっと頬が染まった。オブライトだった時、こうも顔に出やすくなかったと自負していた。
「もっとよく見せろ」
そんなことを考えていると、唐突にロイドに両手で顔を掴まれた。
大きな手、そして近くから見据えてくる美しい紺色の瞳。
なんだか体温が一気に上昇した。
「嫌ですよ!」
マリアは、咄嗟に両手両足を使って拒否した。だが、ロイドも譲らずギリギリと距離を詰めてくる。