四十九章 陛下も参加の休憩(5)
マリアは、小走りで公共区の広場入り口を目指した。
レイモンドの言っていた『焼きチーズ』売りは、すぐ目に留まった。
まだ仕事も始まって少し、貴族達が集まっている姿があった。これからサロンへ行く者達だろう。
皆、マリアより背が高くて前が見えない。
売りきれてしまわないだろうか。そわそわしつつ列で待っていると、ほどなくして順番が回ってきた。
「すみません、カットされているものを一ホール分ください」
「ふふっ、お買い上げありがとうございます。皆様がすぐ頂けるよう、お店の方で切ってきてありますので、ご安心ください」
はいどうぞ、とひと箱を手渡してきた娘は、職人の手をした可愛らしい女性だった。
残っていてよかった。ホッとしつつ、礼を告げてそれを受け取ったマリアは、続いてコーヒーセットを求めて再び移動した。
まずは、いつものところでコーヒー豆を調達した。
そして王族の休憩室に一番近いメイドの仕事部屋へと向かい、開いた入り口からひょいと中を覗き込んだ。
「すみません、コーヒー用品をお借りしてもよろしいでしょうか?」
忙しいところ申し訳ないと思い、遠慮がちに尋ねた。
仕事をしているメイド達が、手を止めてマリアを見た。頭の大きなリボンを見るなり「あら」と目を丸くした。
「殿下のご婚約者様の、リボンのメイドさんじゃないの!」
「読んだわっ、最新作も!」
以前からよく知っているような口ぶりだが、第四王子クリストファーの部屋でも見なかった顔ぶれだ。
マリアは、心当たりがなくて首を捻る。
「最新作……?」
すると、一人が「ちょっと」と言って、同僚の脇をつついた。
「秘密だって言っていたじゃない。彼らは、ひっそりと見守っているのよっ」
「尊い見守り愛なのですわっ」
「そ、そうでしたわね。ごめんなさい」
謝るメイドのそばから、一番年長のメイドが腰を屈めてマリアを見下ろした。
「コーヒー用品? いいけれど、もしかして陛下の休憩の?」
「え? ああ、そうです」
「わたくし達が淹れましょうか?」
もう一人、横から覗き込んできてマリアに提案してくる。
さすがに部屋の近くとあって、事情を知っていたらしい。だが、こちらもメイドなのに、どうしてそう提案されているのか……?
「いえ、大丈夫です。私もメイドですから」
マリアは、とりあえず「ははは……」と苦笑いでそう答えた。
紅茶も出ているのに、コーヒーが飲みたいとは。
本当に自由で、いつもながら急なやつらだ。そう友人達を思っていると、メイド達が荷物を抱えているのを改めて見つめてきた。
「ケーキの箱もあるし、誰か呼びましょうか?」
「そうですわね。こんな小さい子に荷物を持たせるのも、かわいそうですわ」
「え!? いえ、大丈夫ですよっ」
マリアは、慌てて拒否を示した。しかし、大人のメイド達は聞く様子がない。
「自由な方々ですけれど、さすがにねぇ」
「陛下も、一言申してくださればよかったのに」
「宰相様もいらっしゃるというのに、一体何をしているのかしら?」
陛下をよく知る年上のメイドも、揃って「全くもう」と目を吊り上げた時だった。
「あら。話している矢先、とはこのことですわね」
「へ?」
気付いたメイドの一声で、彼女達が一カ所に注目した。マリアもつられて振り返ると、扉から一人の近衛騎士が顔を覗かせていた。
「ああ、そのリボンは『マリアさん』ですね?」
「えっ、あ、はい。そうですが」
目が合った途端、確認されて慌てて答える。
「あの、私に何か ご用でしょうか……?」
「お迎えに上がりました」
胸に片手をあててそう騎士の姿勢で言われ、マリアはびっくりした。
「私、一人で戻れますよ」
「陛下の御命令です。一人で荷物を持つのは大変だろうから、と。お言葉をそのまま伝えると『暇をしているのなら仕事をしろ』だそうで」
あー……なんとなく、分かった。
今、部屋にはジーン達がいる。彼らが最強の護衛みたいなものなので、昔から、集まっている時は警備を一任している形だった。
つまりは仕事を与えた、みたいなものなのだろう。
なのでマリアは、渋々親切に甘えることにした。
「じゃあ、これをお願いします」
手を差し出してきた騎士に、重い方のコーヒー一式の荷物を預ける。
すると、受け取った彼が、余っていたもう一方の手をまた差し出してきた。
「全てお任せください」
「えぇぇ。……あの、一つくらい持ちますよ」
そんなのは悪いとマリアは首を横に振ったのだが、笑顔の彼も、譲らない姿勢で申し訳なさそうに首を左右に振る。
「全て持って差し上げるように、何も持たせるな、というのがご命令です」
荷物を全部持たせるなんて、普通させない気がする。
そう思いつつも、一般の娘だったのならそうなのだろうか?と考え、仕事であるし、マリアは彼に荷物を手渡すことにした。
「はぁ、そうなのですか……それなら、お願いします」
「はい。ありがとうございます」
任務遂行できなかったとなると、叱られるのは騎士の方だ。柔らかな苦笑のその返答は、それを見越してくれた礼だとマリアも分かっていた。
安心したメイド達に見送られて、その部屋をあとにした。
マリアは、不思議に思って歩く騎士の方をちらりと窺った。
「こけたりしないんですけどねぇ……」
そんなに信用がないのかな?
そこを考えての荷物持ちなのかな、とようやく推測に至った。思わずぽつりと呟いたマリアに、騎士がにこっと笑いかけてきた。
「陛下はお優しいので、きっと、小さな女の子のことを考えてのことでしょう」
「……『小さい』、ですか……」
こいつら、私のことを十二歳とか、そこいらだと勘違いしてないか?
なんだそんなことかと思って、ついむすっとする。マリアは十六歳だ。この体格と、そして……まさかコレのせいなのか?
ふと思い至り、マリアは胸元につい目を落としてしまう。
「成長期が来るのが待ち遠しい……いつ来てくれるんだろうか……」
「え? 何かおっしゃいましたか?」
問われて、マリアはパッと顔を上げた。
「なんでもないです!」
「そうですか。他に入り用がありましたら、なんなりとお申し付けください。ルクシア殿下のことでもご貢献されていると、密かに隊長達にも聞いているのです」
普段、国王陛下の護衛に付いているその隊の近衛騎士は、にこにこしていた。それもあって好感があるようだ。
しかし、外部のメイドなのに陛下の騎士にお願いなんてできない……。
マリアは困ってしまって、返答できなかった。
そうしている間にも、先程の休憩室が見えてきた。なんだか賑やかな気がする。いや、華やか?というか――。
そう考えた時だった。
ちょうど足を踏み入れたタイミングで、非常に愛らしい声が中で上がった。
「あっ、マリアだわ!」
リリーナだ。
そう分かって、ぴたりと足が止まる。ハッと目を向けた次の瞬間に、マリアは空色の目を見開いた。
そこには、お勉強中であるはずのリリーナの姿があった。そして、同じく十歳で、一緒に授業をしている婚約者、第四王子クリストファーもいる。
「ほんとだ! マリアさん、こんにちは!」
目が合った途端、クリストファーもぶんぶん手を振ってくる。
なぜ、二人がここに?