四十八章 巻き込まれた人達(6)
普段はクールでいるエレナに、優しく微笑みかけられた。
日中を気にして、わざわざ彼女自ら訪ねたのだと気付く。
「ずっと落ち着かない様子でしたので、何かあったのかと」
「すみません。なんでもないんです」
敵わないなぁと思って、マリアは困ったように微笑み返してみせた。悩みごとではない。いや、むしろ、そんなものなど吹き飛んでしまった。
「何か、すぐにでもじっくり見ていたい物があったみたいですね」
部屋の中央で足を止めたエレナが、柔らかな声で訊いてきた。
それ以上進んでこないのは、プライベートを守ってのことだろう。マリアはそれとなく胸飾りを、彼女の視線から隠すように引いていたから。
きっと、他の騒がしいメイド仲間達だったら、好奇心で覗き込まれていた。
そんなことを思いながら、マリアは問題ないことを笑顔で伝える。
「大丈夫なんです。これは私にとって特別な物で――とても大切だったものを、返してもらったんです」
マリアは知らず息を吸い込み、そして心の底から言葉を紡いだ。
「そうですか。先に待っていますから、大切にしまっておくのですよ」
エレナは、それ以上は尋ねずに静かに微笑んだ。品のある仕草で、長い髪と寝間着の裾を揺らして部屋を出ていく。
あの頃、軍服を着ていた自分の胸元で輝いていた物。
マリアは、ついまたじっくりと眺めた。
そこには十六年前と変わらない輝きがあった。ポルペオがずっと手入れをし続けて、待つかのように持っていてくれていたのが分かった。
「……なんだよ。素直じゃない奴だな」
マリアは、泣きそうな顔で笑った。どこでバレたのだとか、もうバレてしまったんだなだとか、もうどうでも良かった。
おかえり、と。
ポルペオが、彼なりに言ってくれたことが、マリアはとても嬉しくて泣けてきた。
※※※
改めてポルペオと会ったら、どんな顔をしたらいいのか。
一晩経ったら、頭も冴えてなんだかそわそわした。ロイドのこともあるし、かといって心の準備もないままポルペオと顔を合わせて大丈夫なのか。
マリアは心配になってくる。
リリーナ達と登城したのち、ルクシアを手伝いながら気もそぞろだった。
「今日は、いつも以上に結構な数の本を持って来たのねぇ……」
「へ? あ、いえ、半分は別から送っていただいたものなんですが」
質問されて我に返ったマリアは、カウンターにいた女性司書員に、困ったように笑って答えた。
ルクシアが発注をかけて、知っている研究機関から送ってきたもらったものだ。そのうちの必要な分を、先程までにアーシュが書類にまとめた。
アーシュは優秀だ。昨日と今日でこの量を読破して、速筆であっという間にまとめてしまったのだ。
今、彼はライラック博士が追加で持ってきた分にとりかかっている。
「考えてみたらすごく優秀というか……魔法みたいだなぁ」
つい、マリアは思い返すままに呟いた。ルクシア達が続き部屋に入ったのち、彼は本の紙をがーっと鳴らしたかと思ったら、
『覚えた』
と言ったのだ。だから、もう見ずとも紙にまとめられる、と。
カウンータ内で本を数えていた女性司書員が、ふっと顔を上げた。
「リスト通り、間違いなく返却を確認しました。けれど、何かさきにおっしゃいました?」
「あっ、いえ、なんでも」
マリアは、ぺこりと頭を下げて礼を告げると、図書資料館をあとにした。
警備にあたっている衛兵も通過し、公共区の大きな三叉路の一つに出る。そこから西に進むようにして、人の多い王宮中央を過ぎた。
そろそろ軍区と公共区が交わるところだ。つい、そこに知っている顔がいないか、探してしまう。
――ポルペオに緊張してしまうなんて、らしくないことを。
またしても気付き、マリアは頭の大きなリボンを揺らして頭を振った。
「今更、どんな反応をされるか、だなんて」
言い掛けて、彼女はハッと言葉を切った。
いや、たぶん、ポルペオの中ではもう折り合いはついているのか。
マリアは胸飾りを返してもらった一件から、今になってようやく察した。
彼は、ジーンのようにぶつかってもこず、モルツのように「いつか」という思いも告げてこず、ただただ「ただいまくらい言え」とだけ……。
ポルペオにとって、何よりもそこが優先だった?
「……帰ってくるだけじゃ、だめだろうに」
ジーンにも、モルツにも『おかえり』と言われた。でも、マリアは、オブライトとしてはこの城に戻ってこなかったのだ。
オブライトは、十六年前に死んだ。
気付いたら少女に生まれ変わっていて、そしてここには戻ってくる予定もなかった。それなのに、いいの……?
今、マリアは、もう肉体さえも違っている〝マリア〟なのに?
その時だった。どこからか知った声に大きく名を呼ばれるのが聞こえて、思考が現実へと引き戻された。
振り返った目にパッと飛び込んできたのは、人混み向こうからぶんぶん手を振ってくるグイードだ。
「マリアちゃん! こんなところにいたんだなぁ~」
見付けたと笑った彼のいい笑顔に対して、マリアは露骨にテンションを下げた。
なんだか、嫌な予感がする。
「よっ、元気?」
そう思っている間にも、あっという間にやってきたグイードが、改めてそう言ってきた。
オブライトだった頃、『よっ後輩』と声をかけられたことが重なった。マリアは警戒心をこめて、じりじり身を後ろへ引きながら答える。
「ええ、元気ですわ。グイードさんは、どうしてこちらに?」
「アーシュ君に訊いたらさ、図書資料館に行ってるって教えられたから」
わざわざ研究私室を訪ねたのか?
マリアは、グイードの様子を素早く確認した。珍しくマントを取っている。雰囲気を見る限り、明らかに暇そうだ。それでいてストッパーのレイモンドの姿がない。
よし、回れ右だ。
途端にマリアは、すかさず彼を回避する方向で動き出した。
「それじゃ、私は研究私室に戻りますので――」
だが、言い終わらないうちに、ガシリと肩を掴まれた。
「休憩しようぜ、マリアちゃん」
「そう堂々とサボりに誘わないでくださいよ……」
お前仕事はどうしたよと思って、マリアは嫌がる顔で見上げた。そのやや引き攣った表情を、グイードが見て楽しそうに笑った。
「ははは、安心しろって、サボりじゃなくて休憩だってば。陛下公認の」
「なんだって?」
マリアは、随分上にあるグイードの顔に向かって尋ねた。
唖然としている間にも、彼は勝手に参加を決めた状態で話を進めてくる。
「せっかくだし、マリアちゃんも誘うことにしたんだ。ルクシア様には伝言を頼んであるし、アーシュ君には『どうぞ』と言われたし。それじゃっ、行くか!」
伝言を頼んで済ませるな。そしてアーシュ、ひどい……。
気のせいか、『陛下公認』と聞こえたんだ。まさか、今から行くところって――と茫然と考えている間にも、マリアはぐいぐいグイードに引っぱられていった。