四十八章 巻き込まれた人達(4)
迫った廊下の角を、一気に曲がった。
出くわしたメイド達に短い悲鳴を上げられてしまい、マリアとルーカスは謝りつつも猛然と走った。少しでもスピードを落としたら、モルツに捕まる。
「というかっ、俺が引き留めなかったら、お前バレッド将軍と歩いている時に出くわしていたんじゃないのかっ? もしくは、一人になったタイミングで来られるとか」
ルーカスが、隣から追ってそう反論してきた。
その可能性を突き付けられた途端、マリアはぴたりと静かになった。可能性は、かなりある。その状況を想像して、ゾッとした。
「ルーカス様、頼りにしています」
「何を!?」
マリアの深刻な横顔を、ルーカス目を剥いて見つめた。
「騎士様でしょう。だから――どうにかしてくださいまし」
視線を返したマリアは、真剣な目でルーカスを射抜いた。そう言われた彼が、ごくりと唾を飲む。
「敬語なのに、正体不明の圧を感じる……」
その時、後ろから聞こえたあやしげな溜息に、マリアとルーカスはビクッとした。
「羨ましい」
後ろからそんな声が聞こえた瞬間、ルーカスがぞわーっと震えた。たまらず肩越しに怒鳴り返す。
「やかましい!」
「逆切れですか? ――いいでしょう、もっと罵りなさい」
「お前、ほんとなんなの!?」
ただのドMの変態野郎だよ。
マリアは、ルーカスの隣を走りながら悟った顔で思った。後ろを見られない。よく勇気が出たなルーカス、と心の中で褒めてしまった。
「働き過ぎて、ストレスが溜まりました。その矢先に、同年齢とは思えない男に口喧嘩を売られたうえ、言い返せなかったことにも、ストレスです」
「その台詞、たびたび聞くが、俺はっ、今! お前にめっちゃストレス溜まってんだよ!」
同感である。彼は上から目線で言ってくるが、自分がどれほどの問題児であるだとか一度、真剣になって考えてもらいたい。
というか、ほんと、仲がいいのか悪いのか分からないな……。
マリアは、オブライト時代にもよく言い合っていたニールとモルツを思った。一方的に天敵扱いしているのはニールだが、モルツもつっかかっていた。
その時、廊下が交わる場所に出た。
パッと目に飛び込んできた人々の中、知り合いに気付いて、マリアとルーカスは同時に「あ」と声を上げた。
進行方向に、宰相のベルアーノの姿があった。歩いてくる彼もまた、びっくりした様子で目をこれでもかというくらいに見開く。
「なっ、一体何をして……ハッ、モルツ!?」
途端、ベルアーノが足を止めるなり、慌てふためいて言ってくる。
「マリア頼むから、こっちには来ないでくれっ」
自分らで解決しろ、と、ベルアーノはもう全身で語ってきた。
「宰相様……」
マリアは思わず呟いてしまった。相変わらず、ひどい。以前、ロイドに襲撃された際、彼に剣を寄越された時のことが脳裏に蘇った。
後ろでモルツが、無表情のまま活き活きと手を握って開く。
「さぁ、殴ってください」
「嫌に決まってんだろド阿呆!」
「『準備万端』みたいな感じがまた嫌過ぎる! うわああああもただめだっ、迫ってくる……!」
ルーカスが、そんな情けない声を上げた時だった。
突如、右手の廊下から、とてつもない速さで一つの影が飛んで迫ってきた。
「うちのマリアにっ、何してくれてんですか!」
それは、近衛騎士隊の軍服を着込んだマシューだった。怒り一色といった感じで、横からモルツに飛び蹴りを決めた。
全く気配がなかったことで、モルツも咄嗟に判断できなかったらしい。
攻撃をダイレクトに受けた彼が、吹き飛んだ。周りの通行人達が悲鳴を上げてよける中、唐突のことでベルアーノが驚いて腰を抜かした。
ルーカスと共に茫然としたマリアは、ふと我に返った。
「マシュー助かった! ありがとうっ!」
思わず感激した目を素早く向けたマリアに、マシューがハッとした。むくりと頭を起こした相手を確認した途端、怒気も消える。
「すみません。マリアがどこかの変態に追われているとばかり。つい、とび蹴りを」
マシューが、慌てふためいて述べてきた。
安心しろマシュー、変態の発言は、正しい。
マリアがそう思っていると、続いてマシューが目を剥いた。慌てて宰相のベルアーノへと駆け寄る。
「た、大変申し訳ございませんっ。もしかして、僕のせいで何かしら被害を? お怪我はございませんかっ?」
「い、いや、大丈夫だ。近くで見たものだから、お、驚いただけだ」
ベルアーノは、腰の方を撫でつつ差し出された手を取った。マシューが焦って容態を素早く確認しながら、丁寧に立ち上がらせる。
その時、周りがざわっとなった。
気付いた人々が、通る道を開けた。知った者の声が「ここまででいい」としたかと思うと、後ろで衛兵が退出の礼を取る中、ツカツカとポルペオが進んできた。
「一体なんの騒ぎだ、馬鹿者め」
ポルペオの鋭い目が、その場にいたマリア達の顔を順に見ていく。
今日も、とても似合わないヅラを被っている。太い黒縁眼鏡は重そうで、肌の色が白いものだから余計に浮いて見えた。
「知らせを受けて来てみれば、またか。しかもルーカス、お前も一体何をしている」
問われたルーカスが即、茫然としたままマリアを指差した。マリアも反射的に、ルーカスに指を向けていた。
「メイドちゃんが、俺を色々と巻き込んでくれたんです」
「ルーカス様が、私を引き留めたせいです」
同時に答えられたポルペオが、黄金色の凛々しい眉を顰めた。
「ハッキリと言え。この騒ぎは、どういうわけだ?」
「「いや、そこの変態が」」
騒ぎの原因を尋ねられていたようだ。そう察した瞬間、マリアとルーカスは声を揃え、すぐにモルツへと指先を移動していた。
戻ってきていたモルツが、注目を受けて銀縁眼鏡の横を揃えて指先で押し上げる。
「誤解です。私はソレの拳を求めていただけで、普段から犬耳付き帽子を被らされるような男を、追い駆けていたわけではありません」
「ちょっと待てええええええ!」
聞き捨てならんと、ルーカスが叫んだ。
「俺への感想がひどくない!?」
言いながらルーカスが掴みかかろうとしたが、モルツがひらりと避けた。普段、無表情の彼が、珍しくそっと眉を寄せている。
あ、これ、本気の嫌がってる顔だ。
マリアがそんなことを思っていると、ポルペオの目が、続いてベルアーノの衣装の裾を直したマシューへと向いた。
「それで? そこにいるのは、第三宮廷近衛騎士隊の副隊長補佐か」
「はっ。申し訳ございません。同じ屋敷勤めのマリアが、どこかの変態に追われていると思い、つい、総隊長補佐様を蹴り飛ばしてしまいまして……」
悩み込んだ顔で、マシューが非礼を詫びた。目立たないよう努めているのに、なんと失態をと考えている表情だ。
マリアは、慌ててポルペオへ告げる。
「ポルペオ様っ、マシューは違うんです。私にとって兄みたいな人で、一瞬で駆け付けて、だから相手が総隊長補佐様だとも知らなくて――」
「なんですか、その他人行儀な呼び方は。呼び捨てになさい」
モルツが、不服そうな顔をして口を挟んできた。
「お前は、いいから今は黙ってろ」
マリアは、咄嗟にモルツの胸倉を掴んで容赦なく床に沈めた。間の当たりにしていたルーカスが、叫ぶ。
「うわあああああ!? 大丈夫かよモルツッ」
「……大変な、ご褒美で」
床にべしゃっとなったモルツが、妙なポーズになったまま、よろよろと手を上げて答えた。
「お前いい加減にしろよっ」
ルーカスが「どんだけ頑丈なんだよっ」やら「心配して損したっ」やらと言いながら、モルツの頭を軽く叩いた。