四十八章 巻き込まれた人達(3)
何やら思いところがありすぎて、ルーカスが口を一文字に引き結んでぷるぷるしている。しかし彼が口を開くよりも、若い騎馬隊の自由っぷりが先だった。
「おっと、そろそろ時間だ」
「俺らはもう行くぜ。ギリギリで菓子買いに行ってたからさ」
「じゃあまたな、メイドちゃん」
「今度、頑張ってるメイドちゃんの分のお菓子も買ってくるな~」
バレッド将軍に、律儀に挨拶をしたのち、彼らが廊下を向こうへと歩いていった。
通りかかったので立ち寄ってみたのか、それとも同じ所属先だったバレッド将軍を無視できなかったのか――。
そんなことを考えていると、マリアは不意にルーカスに向かい合わされた。
「お前っ、言い方どうにかしろよおおおおおおお!?」
なぜか、彼は涙目だった。
「え。何かいけなかった……?」
「そこで正直に事実を述べたところでっ、タイミングと言い方のせいで絶妙に誤解されるわぁあ!」
一体、彼は何を怒っているのか。
マリアは、昔からよく泣くし、泣き怒りもするルーカスにそう思った。やれやれと見つめ返して確認する。
「どんな誤解なんですか?」
「俺がっ、お前のこと『好き』みたいじゃねぇか!」
それこそ、ないない。
何を過剰反応しているのか分からないが、これはもしかしたら『言えば言うほど、子供みたいに反感してくる』というやつかもしれない。
ここは、自分の方が折れてやるか。
マリアは、青年だったルーカスの印象が強かった。だからオブライトだった頃と同じく、温かく後輩を見守る目でにこっと微笑んだ。
「だーかーらーっ! そこはしっかり何か言ってこいよおおおおおおお!?」
言葉で何も応えないマリアを前に、ルーカスが大袈裟に嘆いた。
見守っていたバレッド将軍が、何かを思ったように一つ頷いた。
「ふむ。ルーカス殿は、肺活量も素晴らしいですな。これも長年の鍛錬の成果か」
ふむふむと、また一つ尊敬どころを発見したようにそう言った。
完全に空気を読めていない気がする。このムキムキ……と思って、ついマリアとルーカスは黙り込んでしまった。
「そろそろルクシア様のおそばに戻らねば」
バレッド将軍が口にして、マリアも気付く。
「おもにルーカス様のせいで、すっかり時間が伸びてしまいましたね」
「おいっ、考えてることが全部口から出てんぞ! 言っておくがっ、俺のせいじゃねえからな! 絶対に!」
ルーカスがなぜか強く主張してきて、マリアは煩いなぁと思って彼の方を見た。
「じゃ、私も帰ります」
「そこで帰すかよ」
マリアがくるりと背を向けた途端、がしりとルーカスが肩を掴んだ。それを見たバレッド将軍が、朗らかにわははと笑った。
「左様でした、お二人は仲がいい同士でしたな! では、私は先に戻りますゆえ」
そう言い残したバレッド将軍が、先に速やかに護衛へと戻っていく。
一緒に戻ろうと思ったのに、タイミングを逃してしまった。マリアは、胡乱な目をルーカスへと戻した。
「え、まだ何かあります?」
「『まだ何かあります?』じゃねぇわ! 勝手に話しを終わらせんなよっ」
はて、とくにもう話はないはずだが。
用件は問題なく終わったし、こちらはもう研究私室に戻るだけのはずである。マリアは首を捻った。
「そのぽやっとしたマジで分かってない感じを見ると、なんか誰かに似てるような気がして苛々すんな」
「一体誰のことですか」
気のせいか、たびたびオブライト時代の者達が口にしていた。全く、ぽやっとした奴と一緒に並べられても困る。
けれど、ひとまずルーカスは何か言いたい様子だ。
他に重要事項でもあったら困ると思って、マリアは用件を待つことにする。するとルーカスが、念を押すように告げてきた。
「いいか、ひとまずロイドに殺されかけんのは勘弁だからなっ」
――それが言いたくて、引き留めていたらしい。
がっかりである。なんだ保身かよ、とマリアは思ってしまった。そもそも、ルーカスは怯えすぎではないだろうか。
「ロイド様のことですから、理由もなく殺しにかからないと思いますけど」
マリアは、やれやれとルーカスに述べたところで――ハタとした。
いや、ロイドだからこそ、理由もなく抜刀してもくるのだ。よく分からないところで切れたり、ちょっとしたことでも容赦なく制裁してくる。
それなのに、今の大人になった彼の評価を上げすぎではないだろうか?
そう思った途端、マリアはよろけた。
「そんなっ、あいつ、ただの腹黒でゲスなドSの鬼畜野郎なのにっ……!」
「メイドちゃん、それ、ロイドの前では絶対に言わない方がいいぞ」
直前までの感情をどこに置いてきたのか。ルーカスがちょっと同情する感じの目をして、マリアへと述べた。
「なんつうかさ、割りとちょっと繊細なところもあるというか……男はみんな繊細さを持っているというか……俺だったら、たぶん、泣く」
「まだ涙腺弱いんですか?」
「まだってなんだよ!? お、俺はそんな簡単に泣く男じゃねぇしっ」
元泣き虫の新人近衛騎士、ルーカス・ダイアンの言葉がしどろもどろになる。
その時、何かが迫ってくる気配がした。マリアとルーカスが反射的に息を詰めた一瞬後、サロンのある廊下を歩く人々が気付いてざわつく。
何かが猛スピードで駆けてくる。
それは壁やらも蹴っての、超時短移動の〝音〟だった。
その時点で、二人はとても嫌な予感がしていた。気付いた時には向こうに黒い影が現われていて、人々の間を縫うように進み、近くの円柱に飛びつくと蹴って跳躍し――。
人々の上を一気に飛び越えて、ソレがドッとマリア達の前で着地した。
息切れ一つなく涼しい顔を上げたのは、モルツだった。細い銀縁眼鏡の向こうから、青い目がマリアとルーカスに定まる。
「で、出たああああああああ!」
過剰反応で震え上がったルーカスが、まるで巨大な害虫とでも出会ったかのような悲鳴を上げた。だが、相手はまるで動じていない。
「あなたのサンドバック、モルツです」
着地を決めたモルツが、キリリとこちらを見上げて言った。
「んなの指名した覚えはねぇよ!」
マリアの反論を前に、モルツが立ち上がって軍服の乱れを整えた。相変わらずクールな表情は、一見するとただの美しい男だ。
「いえ、真面目な話」
襟元をしゅっと伸ばしながら、モルツが言ってきた。
「昨日ノケモノにされた感を受けましたので、会いに来ました」
「いやいやいや、そんな覚えは一つだってない……というかっ、誰だそんなこと言った奴はっ」
「ニールですが、何か?」
あいつ、ほんと余計なことしかしないな!
間髪を入れず答えが返ってきて、マリアは言葉に詰まった。一体、何をどう言ったのかと思っていると、モルツが丁寧にも説明してくる。
「総隊長の部屋から出た戻りの道中、合流してヴァンレットと楽しく過ごした、と。『へへんーんだ、羨ましいかろう』と、よく分からない自慢をされ、遺憾です」
いかがですかと、モルツの目があやしい光りを帯びて確認してくる。
機嫌が悪くなったのは確からしい。しかし、マリアは少し考えたが、まず一つしか浮かばなかった。
「……お前のニールの台詞真似が、予想以上に下手すぎてびっくりだよ」
感情豊かなニールに対して、淡々としたモルツの台詞はほぼ棒読みに聞こえた。
しばしモルツは動かなかった。その目が何を考えているのか全く分からなくて、マリアとルーカスはどぎまぎして見つめていた。
と、不意にモルツが動き出した。
その踏み込みを察知した瞬間、マリアとルーカスは反射的に逃走へ入った。後ろから猛スピードで追われて震え上がった。
「ほらっ、ルーカス様が引き留めるからこんな目に!」
「俺!? 俺が悪いのか!? つか、あいつなんで異常にお前の拳狙ってんの!?」
んなの知るか!
後ろから、モルツにギラギラとした目を向けられているのを感じた。マリアは、ほんとこのド変態がめちゃくちゃ嫌だと思った。