八章 錯乱した魔王と、再会した親友(1)上
アーシュの補佐に付けられて一日目に、サロンの前で騒ぎを起こしたとして、ベルアーノを一時的に失神させ、友人達と揃って説教を受けた翌日の朝――
マリアは、憂鬱な気持ちで馬車に揺られていた。
今、彼女の目の前には、漆黒の正装姿が似合う魔王――銀色騎士団の総隊長ロイドがいて、腹黒さに見事な猫を被った状態で、にこやかにリリーナの相手を務めていた。
※※※
補佐二日目となる今日、アーバンド侯爵家へ寄越された王宮専属の馬車に搭乗していたのは、ロイドだった。
彼はアーバンド侯爵一向に礼儀正しく挨拶すると、全員に好印象を与えたうえで、実に打ち解けた様子で談笑した。
支度を終えたリリーナが降りてくると、ロイドは、王子様然とした態度でにっこりと微笑んで話し掛けた。それから「キレイな飴があるよ」と餌付けし、幼い彼女を数分もかからずに懐柔してしまったのである。
普段と百八十度違うロイドの様子もあって、迎えの御者も、護衛にあたった四騎の騎馬隊の男達も、戸惑いと恐れの表情を浮かべていた。
マリアも、彼の流れるような手腕には唖然とした。
そもそも、軍のトップが、第四王子の婚約者を迎えに来るのはおかしいだろう。
※※※
広い馬車の中で、ロイドとリリーナは、微笑ましい美麗な組み合わせのように並んで腰かけていた。
マリアは、その向かい側の座席にサリーと座り、出来るだけ正面を見ないようにしていた。
リリーナは、第四王子を良く知るロイドの話に夢中だった。ロイドは、クリストファーの幼少時代の可愛らしい失敗談や、好みなど、言葉巧みに話しを繋いで暇を与えないでいる。
出会い頭、ロイドに「良い騎士だ」と爽やかに褒められたサリーも、照れたように「恰好良い人だね」と口にし、すっかり信者と化して憧れの眼差しを向けていた。
サリー以外の使用人仲間達は、ロイドの腹黒さを見破ってはいたが、マリアがどんなに「性格の悪い鬼畜野郎」と説いても信じてくれなかった。年長組の印象は特に良好なようで、「出来る男は、少しぐらい腹に黒いものを抱えている方がいい」と言われた。
どうやら、ロイドは短い時間で、使用人も全て懐柔したようだった。
ロイドが何を考えているのかは分からないが、ひとまず理解しているのは、馬車の中に味方はいないという事だ。
というより、美貌を最大限に活用してキラキラと微笑む、この王子野郎は一体誰だと言いたい。
十六年経って中性的な幼さが抜けたロイドは、男の中の男といえるような凛々しい美貌をしていた。恐らくオブライトよりも、今のロイドの方が少しばかり身長も高いだろう。
そんなロイドの作り笑いは、胡散臭さも霞むぐらいに、眩しく輝いて完璧だった。
例え彼の目に温度がなかろうと、絶世の美しさが相手の冷静さを奪って、男女関わらず射止めてしまうに違いない。
そう、ロイドの目は絶対零度のままなのだ。
形ばかり笑みを作っているに過ぎない。
美形はもはや武器であると痛感する。なんて器用な奴なのだろうか、隙もない完璧な作り笑いが恐ろしい。
マリアとしては、馬車内でリリーナを膝に抱き上げて堪能するつもりでもいたので、その楽しみを奪われた事は不満だったが、ロイドの偽装笑顔の威力が凄まじいため、直視も出来ず大人しくしていた。
王宮までの道のりが、マリアには拷問のように感じた。
何故なら、リリーナとサリーに悟られない巧妙さで、ロイドが向かいの座席から笑顔のまま圧力を掛けてくるのだ。
昨日の件を怒っている様子はないのだが、私情の読めない視線が、先程からずっと槍のように突き刺さって、非常に居心地が悪い。
マリアは、ロイドの視線から目を逃がしながら「早く到着してくれッ」と願った。
◆
馬車が王宮に到着すると、ロイドは優雅な微笑みと仕草で、リリーナをエスコートして馬車の外へ連れ出した。
それを見ていた衛兵達が、何度か目を擦った。
互いの認識を改め合うように言葉を交わし、もう一度目を向けて青醒める。
うん、その気持ちはよく分かる。
少しでも意見を口にしようものなら、後で切られるパターンのやつだろう。
ロイドの本性を知っているだけに、マリアは彼らの心境を察して同情した。
彼の動作を熱心に見届けたサリーが、一つ肯いて「次は、マリアの番」と振り返った。「足元に気を付けてね」と、いつものようにエスコートすべく手を伸ばしてきた。
マリアは「ありがとう」と答えて、彼の手を取ろうとしたのだが――
「俺がやろう」
唐突に発せられた声が、一瞬、場にいた全ての人間の動きを支配した。
まるで、触るなと牽制するような、威圧感の滲んだ低い声だった。
マリアとサリーは、互いの手が触れる直前で動きを止めた。気のせいだろうかと声のした方へ顔を向けると、そこには、相変わらず爽やかな微笑を浮かべたロイドがいた。
目が合うと、ロイドがにっこりとしてサリーを手招きした。
「君はリリーナ嬢についていなさい」
そう温度のない柔らかな声で告げると、ロイドは小さな彼と入れ替わるようやってきて、「どうぞ」とマリアへ手を差し出してきた。
……これは一体、どういう事だろうか?
訝しく思っていると、急にロイドの周りの温度が下がり始めた。
彼は笑顔を貼りつかせたまま、視線で「俺の手は取れないのか」と高圧的に脅してきた。
猫を被っているせいでストレスが溜まっているのは分かる。しかし、その状態で何故、こちらのエスコートまでしようとするのだろうか。
周りにいた衛兵達も、戸惑いつつ緊張した様子でロイドの行動を見守っていた。何一つ意見出来そうにもない雰囲気に気圧され、完全に沈黙している。
マリアは、仕方なくロイドの手を取り、馬車を降りた。
今日出迎えてくれたのは、宰相のベルアーノだった。彼はマリアを見ると疲労が窺える吐息をこぼしたが、問題児組を思い起こしたように額に手をあて「まぁ仕方ない」とそう呟いた。
マリアとしては、第四王子クリストファーの姿を拝むべく、そのままリリーナ達について行きたかったのだが、ロイドに「一緒に執務室まで来い」と命令され断念した。
人の多い朝の王宮内を、マリアはロイドと共に歩いた。
当時は意識していなかったのだが、王宮でたった一人、黒い隊服を身にまとうロイドは、美貌も影響してかなり目立っていた。
行き交うメイド達が頬を染めて頭を下げ、すれ違う騎士達が「何事だろう」という視線を、ついでとばかりにマリアにまで送ってくる。
隣を歩くロイドの機嫌は下る一方で、猫被りをやめてからは無言を貫いていた。
マリアは、向けられる視線にぎこちなく笑い返すしかなかった。
◆
執務室に入り、応接席へと案内する時になってようやく、ロイドは「そこに座れ」と言葉を発した。
三人掛け用のソファにマリアが腰かけると、彼はその向かい側に座り、長い足を組んで背もたれに腕を乗せ、頬杖をついた。
人の目のない場所に腰を落ち着けられたせいなのか、ロイドの眉間からは、不機嫌を象徴する皺が消えていた。
「昨日、ベルアーノのところに報告が上がったらしいが、生憎、俺は紙の上よりも口頭証言を信頼している。今すぐ話せ」
ああ、なるほど。進展があったから、すぐに報告をしろというわけか。
マリアは、朝一番に連れて来られた理由を理解し、ルクシアの推測の詳細についてついては伏せるよう心がけて、暗殺に使用されている謎の毒が存在しているかもしれない事、推測される毒の効果と、現在は謎の毒を調べているのだと簡単に説明するべく口を開いた。
話している間、ロイドの視線がこちらから離れる事はなかった。彼は何気ないような態度を装ってはいたが、瞬きもせず食い入るようにマリアを見つめていた。
顔に穴があいてしまいそうだ。
マリアは話しながら、ぎこちなく視線をそらした。
彼に落ち着いた真剣な顔で話しを聞かれるのが、どうも慣れない。
オブライトの知るロイドは、いつも好戦的で狂暴だった。二人きりでこうして真面目に話し合った経験はあまりなく、いつも切り合いに発展した。
今のロイドからは、気まぐれに粗探しをして、突然切りかかってくるような気配は覚えなかった。経験を積んだ銀色騎士団の総隊長として、当時尖り過ぎていた性格も、若干は丸くなってくれているのかもしれない。
とはいえ、がっつり見てくるのはやめて欲しい。
マリアとしては、オブライト時代に受けた数々の奇襲と殺気のイメージが強すぎて、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまいそうになる。
話しを聞き終えた後、ロイドは、ようやく視線を少しそらした。
「――……痕跡が残らない毒か。切り札だとすると、可能性はある……なるほど」
形のいい唇で呟いたかと思うと、彼は口角をうっすらと引き上げ、マリアへと視線を戻した。
「もっと統率を乱してやれば、いい具合に粗が出そうだ」
「あの、どうして統率が取れなくなっていると……?」
「原因不明の死因は確かに消えたが、特に昨年あたりから、『老衰か、または精神的な病気が原因かもしれない突然死』は確認されている。しかも、中には暗殺の疑いがあるとされる者もあって、追わせていたところだ」
ロイドが愉快そうに目元を細め、「実に良い事を聞いた。そうか『謎の毒』か」と冷酷な美しい微笑を浮かべた。
碌でもない事を考えている時の表情だ。
軍の方では、一体どんな事が水面下で進められているのだろうか。
とはいえ、先にルクシアから話を聞かされていた事もあり、彼の言い分も何となく理解できて、マリアは顎に手を当ててしばし考えた。
「……あ。つまり、組織が次の世代を取り込んだことで、軽率に未知の毒を使う阿呆が出始めていると受け取っていいんですかね」
確認するように視線を投げたマリアは、疑問を覚えて首を傾げた。
ロイドが、またしても私情の読めない表情で、探るようにこちらを見据えていた。




