四十八章 巻き込まれた人達(2)
「ああ、そのライラック博士、だっけ? 俺の部下が、町で警戒して歩いているのを見掛けたらしい」
不安そうな横顔だったという。少し気になって注意して見てみようと思った矢先の後日、彼らはまたライラック博士を見掛けることになる。
「プロっぽい探偵かなんかが、一般人に紛れて同行を窺っていたようだ――と、見ていた何人かが俺に報告をくれた」
「一般人に紛れて……」
「俺の部下達が気付くくらいだ。純粋な探偵、てわけはないよなぁと考えてたわけだ」
職業柄、悪意などには敏感だ。よろしくないグループにでも目を付けられているのではないかと、部下達は報告してきたらしい。
それくらいに、非戦闘員としてライラック博士の警戒ぶりが目についた、と。
王宮にいる間、そのような気配は見ていない。
やはり隠しているのだろうか。マリアは、悩ましげに考えた。
「それ、宰相様達には言いました?」
「確証はないながら、と、耳には入れさせてもらった」
それでも、対策らしい動きには乗り出されていない。
とすると、何も発見に至っていないのか。大丈夫かと誰かに遠回しで確認させたものの、ライラック博士自身から要請さえなかったのか。
「そう、ですか」
考えながらマリアが答えると、ルーカスがやや頭を屈めてきた。
「俺、そんなに詳しくは知らないでいるんだけど。なんか、やばいのか?」
「実は、……もしかしたら、ルクシア様の研究に加担しているのを知られている、と。そこでマークされている可能性が出ているわけです」
マリアが打ち明けると、ルーカスが顔を顰めた。真実なのかと目を向けられたバレッド将軍が、こくこくと頷くのを見てますます眉を寄せる。
「そりゃ、おかしな話だ。博士の件は『トップシークレットだ』ってことになってるぞ」
もとから緘口令はされていた。それが、ルクシアが宰相のベルアーノに相談したあと、より厳重になった。
ふうむとルーカスが思案する。
「……内部の誰かが、ってことか?」
「いえ、今のところ薬学研究棟内だけですので」
それはないかと、とマリアは首を小さく横に振った。
「王宮の外で見られていた可能性もあります。手伝いを始めた頃に、ライラック博士がルクシア様のためにと、積極的に専門機関に足を運んでいた時期もありますから」
「それを勘付かれた、か……可能性としては『有り』だな」
なるほどとルーカスが納得して、頭を起こす。
「あいつらも大聖堂の一件があってから、よりピリピリしてるってロイドの方も言ってた」
どれくらい根を下ろされているのか。一体、何人がガーウィン卿側にかかわっているのか――。
それが分からないから、怖いところでもある。
そうマリアが考え込んだ時、不意にがしりと肩に腕を回された。驚いた直後、ルーカスに耳元で囁かれる。
「大丈夫だ」
まるで思考を読まれたみたいなタイミングで言われて、一気に心が静まる。マリアが顔を上げると、ルーカスが近くから横目を向けてきた。
「さすがに暗殺部隊側までは、どんな敵だろうと入りこめない――それが、うちの〝もっとも要塞を守るモノ〟で〝怖いところ〟ではある」
「それは、一体どういう……?」
ルーカスが、一度視線をそらした。
「俺は、王妃様のそばを、陛下から任命された時に教えられたんだが」
ややあってから、彼が横顔を向けたまま囁いた。
「その時にさ、ただの殺しのプロよりも、やべぇなって感じたんだ」
「……それは野生の本能的に……いてっ」
「俺は、犬じゃねぇっ」
声を顰めつつルーカスが叱った。
「たとえばさ、食べるのがすげぇ好きな奴がいたとして、食べたくて食べたくてたまらなくなったりする。でも、そいつらは顔にも微塵にも出さないし、いつ食べられるかも分からないのに〝平気で待ち続ける〟んだ。お前なら、できるか?」
よく、分からない。
マリアが首を傾げれば、ルーカスも「ううむ」と呻った。
「俺も、説明は下手だけどさ。つまり異常なんだよ。もっとも殺しに特化した連中が、無殺生を強いられる――それを、そいつら自身〝愉しんでいる〟ところもある」
「それは入隊の際に、誓ったからなのでは……?」
「誓いが絶対なのは確かだが、その忠誠心が異常っていうかさ。揃いも揃って『同じ』ように俺は感じる。あいつらは裏も表も楽しいんだよ」
それでいて、とても上手に隠すものだからロイドでも気付くのが難しい。
「それが、この王宮にはたくさんいる。仕事で関わりを持って、初めて暗殺部隊だと気付く連中も数人会った。けど、名前を継承して入れ替わったりもするからな」
「継承?」
「中には、偽名を使わせてもらっている奴らがいる。潮時だと思ったら、そこを離れて別の人間がそこに入る、みたいな感じかな」
思い当たる者が数名いるのか、ルーカスが言葉を濁した。
「問題なのは、俺ら表側の騎士の方さ。人間だから仕方ねぇことだけど、心乱されることもあれば、判断がつかなくなる場合もある」
まっ、とルーカスがマリアの肩から腕を離した。
「話は以上だ」
同じく裏側の事情を知る者だから、教えてくれたのだろう。珍しく王宮に通っている戦闘メイドで、マリアが十六歳の女の子だから――。
その時、マリアとルーカスは、一時存在を忘れていたことに気付いた。
じっと見つめている視線を察知して、パッと振り返った時、無垢な目をしたにこやかなバレッド将軍を見て硬直した。
「仲がいいんですな! 今、それを教えていたところですぞ!」
「え」
思わず、マリアとルーカスの引き攣った声が揃った。
バレッド将軍のそばには、いつの間にか覚えがある若い騎馬隊の男達がいた。それはレイモンドが実力派だと組んだ、精鋭班というあの呑気な騎馬隊だった。
「メイドちゃん、熊みたいなバレッド将軍を手懐けるどころか、王妃様専属の護衛騎士まで……!?」
「さすが、あの第六師団が『凶暴メイド』と名付けただけはある、異色のメイドだ」
「まだ独身だと聞いていましたけど、まさかのメイドちゃん狙い、とかですか?」
食いかけの菓子の袋を抱えた彼らの目が、一斉にルーカスへと向いて、ドキドキしたように窺った。
やや間を置いて、ルーカスがくわっと目を剥いた。
「お、お前といるとろくなことねぇ――っ!」
ひどい。
派手に振り返られたうえ、指まで突き付けられたマリアはそう思った。するとルーカスが、ハッとした様子で騎馬隊の一人の肩を掴んだ。
「お前らっ、それは誤解だ! いいかっ、絶・対・に! ロイドには言うんじゃないぞ!?」
「それって総隊長様のことですか?」
「そういえば、うちの騎馬総帥と揃って友達でしたっけ」
「なんか意外ですよね~」
騎馬隊の若い男達が、ぽやぽやとした感じで好き勝手言ってくる。緊張でも解けたのか、それとも集中力がなかったのか、ぽりぽりと菓子を食う奴まで出た。
ルーカスが、悔しそうな顔でゆっくり手を離して、呻く。
「くそっ。呑気すぎて、ちゃんと聞いてくれてんのか分からねぇ……!」
たぶん、聞いているとは思うんだ。
とはいえ、彼らとは短い付き合いがあるマリアも、自信がなかった。どっちなんだろうなと思う目で見守っていた。
だが、不意に一人がこちらを見た。
「メイドちゃん、この人とどういう関係なの?」
「え」
他の騎馬隊の男達の目も、つられたように向けられた。
唐突に質問されて困った。ひとまず、マリアは若い彼らに誠実に答えようとした。関係、関係……と口の中で繰り返しながら考える。
その様子を、彼らが揃って見下ろしていた。
「えーっと……無理やり恋文の相談をされたり、いきなりクッキーを一緒に食べることになったり。仕事の用でもないのに待ち伏せされたり、突撃されたり……?」
思い返しながら、出来事が口をついて出た。
呑気な騎馬隊達が、ざわっとなった。もしかして本当に気があるんじゃ、という目をルーカスへと向けた。
その視線を受け止めたルーカスは、もう表情が死んで遠い目をしていた。