四十八章 巻き込まれた人達(1)
――その翌日、午前中の仕事も落ち着いた時刻。
膝丈のスカートを大きく揺らして、大股で歩いていく小さなメイド。リボンが大変似合う彼女の後ろから、熊みたいな騎馬隊将軍が続く光景は目立った。
そのバレッド将軍が、懐いた大型犬みたいな信頼たっぷりの表情だったせいもある。
対するマリアは、声を掛けづらい雰囲気を漂わせていた。
つい先程、正午前には戻るからと、薬学研究棟の研究私室を出てきた。正直、求婚の件を考える余裕もごっそり取られて苛々していた。
向かった先は、ルーカスがよく休憩に立ち寄っているところだ。
「頼もう!」
そのサロンに到着してすぐ、マリアのよく通る一声が放たれた。
「ルーカス・ダイアン様はいらっしゃいますか!」
直後、案の定、ひと休憩で紅茶を飲み始めていたルーカスが、すぐそこの席で「ごほっ」と咽た。
しかし騒ぎも多い王宮。使用人達が、慣れたようにルーカスの面倒にあたった。
――それから少ししたのち、入り口から出たルーカスに、マリアは手短に事情を言ってのけた。
「なんで俺!?」
話を聞いたルーカスが、目を剥いた。
「その話の流れで、俺が出てくる要素あった!?」
「社交に出ても強い人しかチェックしていないうえ、女の子を訓練場巡りさせる阿呆だからですよ!」
「おいいいいいい!? どさくさに紛れて何言ってんだっ。訓練場かっこいいじゃん! なんでだめなんだよ説明しろこのボケッ――いってぇ!」
阿呆に対してボケと返ってきた瞬間、マリアは問答無用でルーカスに蹴り技を叩き込んだ。前世で年下だった彼を、教育的指導で床に沈める。
バレッド将軍が見守る中、ルーカスが最後に背中を踏まれた。
「言葉使いと、態度」
低い声が落ちた。見下ろしたマリアの目は、極寒の空気をまとっている。
サロンの入り口近くにいた人々が、そそくさと距離を取り始めた。廊下の通行人達も、怖々と目を向けつつ大回りで通過していく。
「……うおぉおぉ……なんで年下のメイドに、そんなことを叱られているんだ……っ」
あまりの痛さに、ルーカスは悶絶していた。よろよろと立ち上がったものの、すぐには打撃を受けた頭から手を離せない様子だった。
うむ、とバレッド将軍が、そこで納得したように一つ頷いた。
「マリアさんは素晴らしいな!」
にこやかに彼が言い放った。その目は、改めて尊敬したかのようにきらきらと輝いている。
すかさずルーカスが、涙目で睨み付けた。
「おい、このムキムキの馬鹿、なんでそこでメイドちゃんを褒めてんだよ。俺のこといたわれよバカヤロー」
ぐすんとルーカスが涙声になった。
ひとまず邪魔にならないよう、入り口から場所を移動した。アドバイスを聞かせてやって欲しいというと、ルーカスは乗り気ではない様子で渋々話し出した。
だが、少しもしないうちに、ルーカスとバレッド将軍の話は盛り上がった。
ルーカスは、尊敬されるのが悪くなかったようだ。そして、同じく日々の鍛錬やらに理解のあるバレッド将軍とは話が合った。
予想通りだったマリアは、しばしルーカスに任せて待つことにした。
そばで壁によりかかって、廊下を歩いていく人の流れを眺めて過ごした。昔、こうやってルーカスに友人を紹介して待っていたことが、なんとなく思い出された。
「なんとも素晴らしい話でした! ぜひ、メニューに取り組んでみたいと思います」
「ははは、まぁ無理はしないようにな。時間をきっちり決めて、その間にどれくらいこなせるかが大事だ」
「はいっ、気を引き締めてやってみようと思います!」
ビシリと、バレッド将軍が敬礼をした。
マリアは、話が一通り終わったことに気付いた。日の傾きの感じからしても、そんなに時間はかからなかったようだ。
さて、と思って壁から背中を離した。
「ルーカス様、このたびはありがとうございました。私も、ルクシア様のところに戻らないといけませんので」
「ったく、しれっと言ってくれるよなぁ。まぁ、ルクシア殿下についているんだし、しょうがねぇか」
その専属の護衛部隊に配属された、バレッド将軍達。
もっと強くなりたいのだというバレッド将軍の意気込みに、ルーカスも続く文句も腹に留めたようだ。
「そういえばルーカス様は、こちらの事情も把握はしているんですよね?」
ふと、思い立ってマリアは尋ねた。
「当たり前だろ。王妃様の直属部隊は俺がみているんだ。何かあってからの把握じゃ、遅すぎる」
判断の速さに影響する可能性がある。その少しの遅れが、時には致命的な時差になったりする。
少しマリアは考えた。バレッド将軍と目を合わせると、気付いた様子で従いますという風に浅く頷き返してきた。
「ルーカス様、少しこちらへ」
マリアは、近付くようにと呼んでから、こそっと切り出した。
「ライラック博士の件、聞いてます?」
「ああ。そういや宰相様がご相談受けた、と耳にしたな。こっちでも、とくには問題なさそうだったとは聞いたが」
「そうですか……」
王宮内のことだ。そこでは目立って何かはないのだろう。
バレッド将軍が、話したそうにしている。
察知したマリアは、彼に『否』と軍人時代の合図を送った。馬車内での話については、マリア達の中だけで留められていた。
ライラック博士が、どうして見られていたのか。それについては、ルクシアの一件で落ち着いたこともあって、今のところ憶測も難しい状況だった。
「とはいえ、俺もちょっと気になっている」
そんなルーカスの声が聞こえて、マリアはハタと目を戻した。
ルーカスを見てみると、少し考え込んでいるようだった。
彼が、そんな風に感じているのも珍しい。性格は真っすぐで、素直で勤勉。それがまんま反映したみたいに、そういった物事の察知は不得意としていた。
「何か、気になったことでも?」
思わず尋ねたら、彼の素直そうな目が真っすぐマリアを見てきた。
「だって、メイドちゃんが気にしてるから」
「はい?」
指を向けられて、マリアはぽかんとした。
「よく分かんねぇけど、〝あんたが気にしているんなら、何かあるのかな〟て」
そう言われて心臓がはねた。
オブライトだった時、彼に全く同じことを言われたことがあった。素直で、少し危なっかしいところもあった新人近衛騎士――。
それなのにルーカスは、オブライトが真剣になると全面的に信じた。
外部の部隊。それでいて貴族でもなく、王宮に所属している騎士でもない。だから名前呼びのうえ、タメ口で文句も言った。
でもどの人間の忠告よりも、たとえばオブライトが、つい口にした気になったことへの一言にも敏感に反応した。
『何かあんのか? 俺、何かできるか?』
あの時も、それじゃあと考えながら踵を返したら、彼はオブライトのマントを掴まえて心配そうに訊いてきたこともあった。
まるで、どこかにいなくなってしまうのではないか、と恐れたみたいに。
口には出さなかったけれど、彼は国境沿いを守る部隊の意味を、当初から正しくも理解していた騎士の一人だった。
「ん?」
ふと、ルーカスが疑問顔で口元に手をあてた。
「なんだろ。なんで俺、そんなこと言ったんだろうな……?」
「ルーカス殿は、ルクシア様からのご相談を気に留めてくれていたわけですな。それで、何か気付いたことがあったのでしょうか」
「少しな。またメイドちゃんとは会うだろうと思って、そん時にでも伝えておこうと思っていたんだ」
ルーカスが意識を戻されたように、バレッド将軍へ答えた。
「それは、一体なんですか?」
マリアは咄嗟にルーカスに寄った。だいぶ低い位置にある彼女の目を、ルーカスが「ん?」と見下ろす。