四十七章 王宮×進行×想定外(2)
それから数日は、通常仕事に追われて過ぎていった。
マリアのメイド衣装も、その間に長袖へと変わっていた。スカートの白い中地も、秋向け用の温かさを逃がしにくい素材になった。
本日も城の中はいつも通りだ。
仕事へと向かう貴族達は、相変わらず噂好きの談笑をかわしている。どこかの貴族に縁談があっただの、見合いがあっただのというのは日々、珍しくないことだ。
――だが、自分もその立場になってようやく実感した。
「大変なんだなぁ……」
マリアは溜息がこぼれる。
そもそもメイドなのに、お見合いされるのがおかしいのだけれど。
アーバンド侯爵家では、確かにそれは行われていた。みんなが家族の一員で、希望があれば席を設けた。
でも、まさか、いきなり席を設けられる事態になろうとは思ってもいなかった。
「躊躇なく求婚するとか、普通するか?」
おげで溜息は止まらないし、頭痛は続いている。
一対一の見合いではなかった。口外されていないので、噂にものぼっていないのは幸いだろうか。
お見合いの後日、登城した際、走って擦れ違っていったジーンに『どんまい』と言葉をかけられた。どんまいどころじゃない、とマリアは返したかった。
あれから音沙汰はないのだが、一体ロイドはどう考えているのか。
その時、不意に耳で拾った言葉へ気を取られた。
「銃殺騒ぎがあったらしいな」
「なんでも、マフィアのチーム内で争いがあったみたいだ」
「一般市民が巻き込まれなくて良かったな」
「それでボスが変わったとか。怖いなぁ」
マフィア……?
マリアは頭の大きなリボンを揺らして、ふっと空色の目を向けてしまった。内部争いはたまに耳にしたが、少ない。
二日前、確か新聞で小さなチーム同士の揉め事があったと見たばかりだ。
そう考える足は止まり、貴族らしい高官の男達を見送っていた。行き交う人々の中を、ずんずん向かってくる大男の存在に気付くのに少し遅れた。
「うわっ」
唐突に視界がぐんっと高くなって、マリアは驚いた。パッと視線を移動させた途端、子供みたいな目と合う。
「マリア、おはよう。立ち止まってどうしたんだ?」
それはヴァンレットだった。彼はそのまま進路を変更して、マリアが向かおうとしていた薬学研究棟がある方角とは、別の廊下へと進んでいく。
一体こちらの了承もなく、当たり前みたいにどこへ運んで行こうとしているんだ。
呆気に取られたマリアは、ハッと気付く。
「あっ、さっき殿下の私室にいないと思ったら……!」
察して口にした瞬間、ヴァンレットが「うむ」と意気揚々と頷いた。
「ロイドから呼ばれて、行ってた」
お前、あいつは〝総隊長〟だからな。
マリアは、色々と指摘してやりたくなった。だが、時間が圧倒的に足りない。
朝、第四王子の護衛から少し抜けていた彼は、恐らく呼び出しを受けて、話し合いか何かに参加していたのだろう。
そして、参加できなかった面々が呼ばれてる、と。
つまりマリア達向きの、臨時案件の何かが浮上している。急ぎ共有したいことがあって、迎えにいって来いとヴァンレットは指示を受けたのか。
「何がどうなっているの?」
「気を付けるように、という話」
マリアは呑気に思い返す彼の、その緊張感の欠片もない横顔に全てを諦めた。これは、直接聞いた方が早い。
とはいえ、ロイドは顔を合わせるのは見合い以来だ。
なんだか気まずさがある。彼は本日に話されていることの関連で、忙しかったんだろうとは推測された。
「時間はかからないと言っていた」
ヴァンレットが追って教えてきた。
こちらの沈黙を、仕事のスケジュールを考えてのことだと思われたようだ。ひとまずマリアは理解したところで、ふぅと細く吐息を吐き出した。
「ヴァンレット、私、自分で歩けるわよ」
「腹痛で立ち止まっていたんじゃないのか?」
「あえて断言するけど、違うわよ」
廊下を行き交う人々の注目が、「えっ」と二割増しになったのを感じた。乙女としての立場を守ろうと思って、即、訂正する。
急ぎなら、ヴァンレットが歩いた方が速い。
てっきりそれで運んでいるのかと思っていたのに、とんだ勘違いだったらしい。
「俺が手を振っても気付かなかったから」
「え。ああ、それは、ごめん」
気がそれていると、つい、声も耳に入らなくなることがある。無視した形になったのは、悪かったなとマリアは思った。
近くにあるヴァンレットの顔を見てみると、さっきよりなんだか楽しそうだった。
少し心配してもいたらしい。それなら肩に担ぎ上げるんじゃなくて、相手が女の子なら他にやり方も……とは続けられなかった。
ふとマリアは、急きょ呼ばれている面々について考える。
「追加で呼ばれているとすると、レイモンドさんやグイードさんも?」
「うむ。よく分かったな」
直接任される臨時の案件の時には、いつも友人メンバーだったから。
マリアは、声に出してそう答えることはできなかった。つい黙り込んで見つめてしまっていると、こちらの目をヴァンレットがじっと見る。
「マリアの目は、青空の色だな」
「は?」
唐突の感想で、ぽかんとした。
もうマリアとして何度も顔を合わせてきた。それなのに、今更どうした?と思って首を傾げる。
うむ、とヴァンレットが笑ったような顔を前に戻した。
「俺は、昔、青空が好きだったんだ」
初めて聞く話だ。
どの天気も好きだと言っていたのを覚えている。晴れていると気持ちがいい、雨が降っていると雨音や水が楽しいと言って、笑っていた。
彼は、本当に子供みたいな男だったのだ。
黒騎士部隊に入隊してきた時、ただの親切や気遣いも大袈裟に喜んだ。そして、いつも最年少組の先輩ニールと、兄弟みたいにはしゃいでいた。
そう思い返したマリアは、遅れて相槌を打った。
「そうなのね。私も、晴れた空は好きよ」
「でもそのあと、見ると『痛くなった』のが青空だった」
「痛くなった?」
「うん。痛くて、痛くて見られなかった」
ヴァンレットの言葉は、純心無垢な子供のように時々感覚的で分かりづらい時がある。
疲労で目が痛くなったりした、というやつか?
マリアは自分なりに推測してみた。けれど、歩く方向を見ているヴァンレットの目が、当時を思い返してらしくない空気を漂わせていた。
それが、なんだかマリアは苦しくなった。
「今も、痛くなったりする?」
ちょっと心配になって尋ねた。
ひょいと覗き込んできたマリアの顔へ、気付いたヴァンレットが目を動かせた。どこか子供みたいなその瞳に、彼女の姿を映した途端に笑みが浮かんだ。
「いいや。今は、不思議だけど全然痛くない」
「そっか。なら、よし」
マリアが相槌を打つと、ヴァンレットは嬉しそうに笑った。
「そういえば、初めて見た時、マリアの目が本物の青空みたいで、驚いたのを思い出した」
「えっ、初めて合った日のことを覚えているの?」
「うむ。当たり前だろう?」
いや、お前の記憶力って、仕事以外だとほんとにあやしくて……。
マリアは、うーんと考えた。ヴァンレットがこちらを見ているので、それなら期待に応えて自分も答え返そうと思った。
「私は――まぁ、馬車から緑の芝生頭が出てきたワンシーンが、印象的に残っているわね」
生まれ変わってから、初めて再会したのがヴァンレットだった。あの時の驚きっぷりは、よく覚えている。
ヴァンレットが、自分の頭に手をやった。
「そうか。芝生色で良かった」
それから、彼はやっぱり嬉しそうに笑ったのだった。