四十六章 マリアのお見合い騒動(6)
マリアは、はらはらして見守っていた。
だが、常に自分の欲望に忠実なあのド変態が、場の空気を読むはずもなく――。
「私は彼女からのご褒美が、一番ぞくぞくします」
「おい、阿呆。やめろ」
「いいえ、この際ですので言わせてもらいます」
「いつもハッキリ言ってるだろ!」
マリアは、つい大きな声まで上げてしまった。だが、モルツは止まらない。
「私は、彼女に殴られたいのです。もしかしたら、その〝ご褒美〟にありつけるかもしれないと、大きな期待をしてここに来ました」
モルツが、真っすぐいい目で言い切った。
「私とソレは友人です。私は、彼女に踏みつけられたいですし、罵られたい」
なんていい目で語るんだ。台詞が聞こえなかったとすると、ここ一番の名台詞を放ったような表情になっている。
マリアは、このド変態め、と思って「チィッ」と舌打ちした。
アーバンド侯爵が、珍しく笑顔のまま数秒ほど静止する。ややあってから、彼は作り笑いのまま一つ頷いて右手を軽く上げた。
「フォレス。ガスパーを呼んで来なさい」
「旦那様、今、ここでガスパーを出したら爆破されます。ですので、それは我慢くださいませ」
フォレスが手を叩いて、面談者の撤収をメイド達に言い渡した。
するとモルツが、細い銀縁眼鏡の横を、揃えた手で上げながら顔を僅かに顰めた。
「私は、まだご褒美をもらっていませんが」
「すると思っているのかお前はっ――」
ガタリと立ち上がったマリアを、アーバンド侯爵が後ろから悠々と羽交い締めにして抑えた。
――続いて入室してきたのは、ルーカスだった。
控え室で待っていた時間があったというのに、彼は引き続き、この世の終わりみたいな顔をしていた。
いまだ現状を受け入れ難いらしい。
座った彼は、グイードと同じくずっと視線を合わさないでいた。アーバンド侯爵が、もう先に言った。
「君も、ファウスト公爵に誘われたあたりかな」
「…………いえ、誘われた口どころから、俺、突然すまきにされて、馬車の荷台まで放り投げられました」
誘拐だ。
なんて扱いが、雑。
マリアは、ロイドの彼に対する普段の扱いようを思った。ルーカスが可哀そうすぎる。そんなことを思ったタイミングで、不意に彼の目がこちらに向いた。
「時間がなかったのは分かるけどっ、俺に説明したのが移動している途中って、どういうことだよ!?」
そう訴えてきたルーカスは、もう涙目だった。
大の大人なのに、涙腺は崩壊寸前である。馬車内に移動されたのち、説明されたという話だろう。
マリアは想像しつつ、うーんと思う。
「いや、私に訊かれても……」
「俺より、アーシュって文官のほうが、扱いが丁寧だったぞっ。あいつだけ、一度も殴られてない!」
「いやいやいやっ、一生懸命仕事をしているアーシュを殴らないでしょっ」
ルーカスの、ロイドへの評価もひどい気がした。
そもそもアーシュを殴ったりしたら、マリアが黙っていない。彼は友人達の身分やら立場的高さを、考えすぎるほどに意識しているからだ。
――そして、次に当のアーシュが入ってきた。
「えっと……その、呼び出しを受けたかと思ったら、総隊長様に『お前も入っている、来い』で、連れてこられました」
椅子に腰を下ろすなり、アーシュが恐縮しきった様子で小さく声を絞り出してきた。
「馬車に乗り込んでから、ようやく書面をきちんと確認できました。あの、なんで応募されているのか、俺は全然分からなくて……マリア、今日休みだと思っていたのに、まさかこうして顔を合わせるとか思ってもいなくて……」
ロイド、やっぱりなんてことしてくれてんだよ。
マリアは、彼がうんともすんとも口応えできなかった様子が思い浮かんだ。つい「アーシュ……」と呟いてしまう。
フォレスとメイド達も、二十歳の萎縮しきった青年の様子に、悩み込んだ顔をした。
アーシュの言葉は途切れ、しばらく沈黙が続いた。ややあってから、うーんと考えたアーバンド侯爵が、組んだ手に顎を乗せてにこやかに訊く。
「君は、マリアの友達でもあるのかな?」
日々、報告がされているので知っているはずだった。それなのに、どうして質問したのだろうか?
するとアーシュが、つられたように顔を上げてきた。
「はい。大切な友達の一人です。……こうやって面と向かって言うのは、ちょっと恥ずかしいですが」
緊張も薄れたように答えた彼が、言い終わって気付いたのか、ちょっと照れて視線を落とした。
「そんなことはないよ。どうぞ、続きを言ってみて」
「はい。マリアは、俺の大事な友人なんです。それから、ルクシア様にとっても、俺と同じくかけがえのない友達だと思っていると思います」
アーシュはアーバンド侯爵の目を見て、はにかみながらも告げた。
女性恐怖症なのに、いつ間にか彼の友人の一人になった。
マリアは、改めてじーんっと感動してしまった。出会ったばかりだった頃、大丈夫だろうかと不安を抱えたこともあった。
「――まぁ、君は昔からそういう子だよね」
ふっと耳に入った呟き。
気付いたマリアは、誘われるようにチラリと隣を見た。目が合ったアーバンド侯爵が、にこっと笑った。
なんだか、誤魔化された気がした。
でも疑問を覚える時間もなく、彼がアーシュにこう切り出していた。
「うちのマリアと、仲良くしてくれてありがとう。嬉しいよ、これからも仲良くしてあげて欲しい」
「はっ、はい! もちろんです」
面談という緊張も解れたのか、アーシュが背を伸ばして強く答えた。
――そして、とうとうロイドが入ってくるタイミングがきた。
それに合わせて、料理長ガスパーがギリギリ間に合って別扉から入ってきた。座るマリアとアーバンド侯爵のそばへ加わる。
フォレスが冷静な目を向けると、ガスパーが詫びた。
「いや、すまんな。少し遅れた」
「いえ、たった数分くらいです。それくらい待たせておきなさい」
「相変わらず冷たいなぁ」
ここにいる戦闘使用人の中で、フォレスと一番付き合いが長いのがガスパーだ。交わす言葉には親しさも滲む。
フォレスが合図すると、メイド達が動き出した。
やがて扉が開かれて、侍女長エレナに見送られてロイドが入ってきた。
「少し待たせてしまって、すまなかったね」
「いえ。とくに気にしていません」
告げたアーバンド侯爵に対して、ロイドがにっこりと愛想笑いを浮かべ、所定の位置に腰を下ろす。
相変わらず、無駄にきらきらオーラを放つ笑顔だ。
告白以来の顔合わせだというのに、マリアは一気に緊張も抜けた。
「君は、結婚前提でマリアとお見合いをしたいと言ってきたが、それは本心かね?」
アーバンド侯爵が、年齢相応の雰囲気と口調でにこやかに確認した。
限られた時間を、無駄に浪費する気は微塵にもないのだろう。その途端にロイドが、作った表情を消した。
「そうです。ぜひ、マリアを嫁として、ファウスト公爵家に迎えたい」
上辺のやりとりも省くべく、ここですぐ素の表情で接してきたロイドに、ガスパーが小さく口笛を吹いた。
フォレスが、ちらりとガスパーを睨む。
「私から質問をしてもよろしいでしょうか、ファウスト公爵」
「いいですよ、どうぞ」
視線を戻して尋ねた彼に、ロイドが公爵らしい態度で微笑んで促した。足を組む様子も、軍服と思わせないくらいに優雅さがある。
「マリアさんは、公爵夫人になるような教育などは受けておりません。普通でしたら、すぐに妻になれる女性を探すでしょう。それなのに彼女を妻にしたいと?」
「マリアが、好きだからです」
それ以上の理由はないと言わんばかりに、ロイドが即答した。
「メイドであるだとか、〝アーバンド侯爵家の者である〟だとか、関係ありません。何を言われても、俺の意思は揺らがない」
告げる彼の目は、誠実そのものだった。