四十六章 マリアのお見合い騒動(3)
でも、たった一人飛び込んできた子供みたいだったから。きっと時間がまき戻ったって、マリアはそうしてやることはできないだろうとも思うのだ。
ロイドは、マリアがオブライトだったことを知らない。知ってしまったら、――たぶん、怒りで死ぬ。
そう思った時。不意に別のメイドの声が耳に入った。
「いいじゃないの、最強の旦那さん」
館内からもう一人のメイド仲間が現われて、カレン達に寄りかかり、マリアの方を覗き込んできた。
「落ち着きがなくて、強くて。そんなマリアにぴったりだと思うわよ?」
マリアは、悩みの重さが増す気がして目頭を押さえた。
「くっ。なぜ、みんな肯定的なのか……!」
恐らくは、来た際ロイドが徹底して愛想をまいていたせいだろう。あの腹黒の無駄に美人なドS野郎め、と思ってしまう。
するとギースが、足を意味もなく動かして意見した。
「結婚したいくらい好きなら、俺はいいと思うけどな。女の人を、大事にできない奴より、全然いいよ」
日々、女の子に振られ続けているギース。でも、それは彼が女性を大切に考えているところにもかかわっていた。――もっともの逆鱗がソコだから。
うーんとマリアは考える。
すると窓から、カレンが「よいしょ」と身を乗り出してきた。
「そうそう。愛がない結婚より断然マシよ」
「カレン、胸が当たるからこっちに寄ってくるな」
マークが顔を顰めた。大人のメイドの中で一番すっきりとした胸元をしたカレンは、開き直って「いいじゃない、ギリ、当たらないし」と言い返す。
「お前な」
「そんなことより。ほら、前にエレナ侍女長に来たお見合いも、結局のところ目的がアーバンド侯爵家云々だったから、断ったんでしょ?」
「ああ、しつこく願いにきて、料理長が追い返したやつか」
マークが、思い出して口笛を吹いた。
愛も知らない若造は帰れ、と一言で相手を納得させてしまったのだ。ガスパーの言葉には、妻を持っていたからこその重みがあった。
妻と、いつ別れがあったのかは知らない。
ずっと結婚指輪を大事にしているところから、前触れもなく死別があったのではないかとも推測されていた。
だから誰も深くは尋ねない。
ここに、こうして来たマリア達は、事情があった者がほとんどだ。
『家名は捨てた』
マリアのように持っていなかった者だけでなく、元々あった苗字を名乗るのをやめた者だっている。たとえばマシュー、エレナやギース、そしてマーガレットもまた――。
その時、ふと玄関先の方から開閉音が聞こえた。
「珍しいな」
マークが言った時には、全員が自然と館内と外側から移動を始めていた。
途中の大窓から、カレン達が降りてマリア達に合流する。そして、揃って玄関口を覗き込んだ。
「君達、何をしているんです?」
「うわっ」
不意に声が聞こえて、マリア達ばびくっとした。振り返ると、そこにはマシューの姿があった。
少し外に用があったのか、全身真っ黒の彼の普段衣装だ。
「少し御者役をしていたもので」
マリア達の表情から察したのか、謝るような口調でマシューが先に言ってきた。答えた彼の目が皆のカップへと落ちて、灰色の髪がさらりとかかる。
「誰か連れて来たのか?」
マークが、彼と対照的なだらっとした作業衣装の襟元を引っ張って尋ねた。
「アルバート様のご友人です。今度の仕事のことで、少し」
「へー、訪問なのね」
この時間の訪問、というのも珍しいことだ。マリアが思うそばで、好奇心が強い同年代のマークとカレンが目を合わせる。
「なぁ、その客人って俺らが見てもいいと思うか?」
「どうかしら。ねぇマシュー、古株の私やマリアも知っている人?」
「いえ、ここ数年の付き合いの方ですから、初見かと――」
そこで不意にマシューが言葉を切った。
「観察してくれても構わないよ」
突然、近くからアルバートのいい声がした。
パッと振り返ると、いつの間にか彼がそこに立っていた。どうやら暗殺技で移動してきたらしい。
マシューと同じく、気配も完全に消えるので心臓に悪い。
とくに気配読みが苦手なギースが、「はぁ」と胸を撫で下ろす。
「驚かさないでくださいよ、アルバート様……」
「驚かせてしまったの? それはごめん。ずっと通っているんだけど、こうして正面か入るのは初めての者だから、見てくれてもいいよ」
その言葉に、マリアもピンときた。
「〝遊戯室の客人〟ですか?」
「そう。いつか顔を合わせる立場にもなったから、いい機会だ。紹介しておくよ」
そう言ったアルバートに、マリア達は揃って付いていった。
正面玄関へと向かってみると、開いたままの扉から明りがもれていた。そこには執事長フォレスが待機している。
カレンが、気の強さが窺える目を見開く。
「あっ、執事長! こんなところにいたんですね? 私、探していたんですけどっ」
「休憩くらい家族でゆっくりなさい」
フォレスが、『こんな老人と一緒にいるより』というニュアンスで言った。しれっと返されたカレンが、むむぅと返事に窮したように口を閉じる。
そこには、アルバートよりも華奢な青年が一人立っていた。
年頃は彼と同じか、それよりも一歳は若いだろうか。どこかやんちゃな印象があって、夜会にも出席できそうな衣装を着ている。
「こちらは、オルガ大商会の息子で、今のオルガファミリーのボスだよ」
アルバートが、にこやかに紹介した。その途端、相手がパッと八重歯を覗かせて右手を上げる。
「俺は、今年にボスを引き継いだネイサン・オルガ。アルバートの友人なんで、よろしく!」
「マフィアかよ」
即、マークが片眉を上げて反応した。
「しかも、軽い」
「あっははは、よく言われるー。『やんちゃで愛したくなる』って、女の子から人気なんだぜ」
ネイサンが、ぱちんっと指を鳴らしてウインクを決めた。
自他ともに認める軽さなのか……。
マリア達は、なんとも言えなくなった。アルバートの同年代の仕事仲間の中でも、初めてのタイプかもしれない。
すると、不意に彼の目がマリアへと定まった。
「……あの、なんですか?」
瞬きもせず見つめられて、つい足が後ろにずれる。
思わず警戒してもう一歩後退した時、ネイサンが「うん」と頷いた。かと思ったら、不意にカップを持っていない方の手を取られて包み込まれた。
「リボンが似合うね。結婚してくれ」
は、とマリアは固まった。
ギースが「ごほっ」と咽て、カレン達が目を剥いた。マークがドン引いていると、アルバートがネイサンの肩に手を置いた。
「ははは、僕は滅多に本音を言わない男だけど――殺すよ、ネイサン」
空気が一気に凍えた。
笑顔だけど、目が恐ろしく笑っていない。
「さっさとマリアの手を離して。じゃないと、斬り落とすから」
ネイサンが、素直にマリアを解放した。彼が両手を軽く上げる中、カレン達が危ない人を見る目で彼女を取り返す。
「やれやれ、アルバートは手厳しいね。可愛いリリーナちゃんも、全然会わてくれなくて愛でさせてもくれないし」
「愛人が三十人もいる君に触らせるわけがないだろう」
「三十人!?」
マリア達の悲鳴が揃った。
静観していたフォレスが、補足する。
「愛人の他、現地の恋人も多くいらっしゃいます」
「『愛人』ってやだなぁ、心の恋人なの。みんな、俺を愛してくれているカワイ子ちゃんなんだぜ。俺の仕事だって〝よく理解してくれている〟」
そうすると、結婚する気はないようだ。気に入った女の子への一言が、ストレートに気に入ったポイント、そして『結婚してくれ』なのだろう。
口がそれに慣れきっているというのもなぁ、とマリア達は思った。
フォレスの案内で、アルバートと一緒にネイサンがひらひらと手を振って屋敷に入っていった。
マフィアのボスっぽい感じが薄いなと思い、呆気にも取られて見送ってしまったのち、マリア達は料理長ガスパーに発見されて各自の仕事に戻ったのだった。