四十六章 マリアのお見合い騒動(1)
――ロイドが、アーバンド侯爵からの〝返事〟を、ぐしゃっとした時。
王の間から続く一室で、静かな室内の音を聞きながら、ジョナサンがふっと窓へ目をやった。
「あ。今、僕にとってすごく面白い展開になっている気がする」
彼の新緑色の瞳が、穏やかな青空を映した。
ここは国王のための控え室の一つだ。休憩用にと席も設けられていて、衣装を整えるための道具も揃っている。
そこには、またすぐ次にも入っている謁見を待つ、国王陛下、アヴェインの姿もあった。
十三歳で、王となった男。
窓辺に立つ彼は、癖のない金髪、知性的で隙のない金緑の瞳をしている。成人した息子もいる身でありながら、容姿を一見しても年齢不詳の美貌だった。
「なんだ、また〝勘〟とやらか」
言葉を投げたアヴェインを、ジョナサンは長い神父衣装を揺らして振り返る。
「まぁ、そんなものです」
ちょっと肩を竦めてみせた。なんでもないことなのだと、彼に伝えるために。
ジョナサンのブライヴス公爵家は、王族とはとても近い関係にあった。過去、何度か王族の血筋を家にも入れている。
彼の色素の薄いくすんだ金髪も、名残りだ。
ふいっと、アヴェインがもう一つの窓辺から離れた。
「王都のチームの何組かも、黒、か」
「既に、その『ガネットファミリー』とやらも把握済みのようだけれど。そこに関わっている一般組織までは、情報を掴んでいないと思いますからご一報に」
さっき、話した時にもきちんと述べたことだ。
ジョナサンは、部屋を歩くアヴェインを目で追う。その指先が、衣装の上でひそかにトントンとリズムを刻んでいるのを見ていた。
何か、考えているのだ。
それは彼の癖の一つだった。恐らく歩いているのも、誤魔化しているためか。
用件は終わった。謁見も間近だ。そろそろ移動しなければならない中、こうして話を引き伸ばしているとなると――。
そうジョナサンが思考していると、不意にアヴェインの足が止まった。
「ジョナサン。何か、俺に隠していることはないか」
――一切の、静止。
数秒、室内に風が柔らかく吹き抜ける音がした。
「何も?」
ジョナサンがにこっと笑って答えると、アヴェインが思案顔を窓へと向けた。
だが、アヴェインの考えは、たった数秒で完結する。
「それにお前は、どうして戻ってきた?」
読めない目が、真っすぐジョナサンを射抜いた。何気なさを装われているものの、心の奥までじっくりと探るような、目だ。
ふっ、とジョナサンは口角を軽く引き上げて見せた。
相変わらず、敵には回したくない男だ。
「たまには、少し長めに休息でも取ってみたらどうです?」
ジョナサンは、話を変えるみたいに話題を振った。
「最近はご無沙汰でしょ。グイードさんとか、レイモンドさん達の休憩の輪に飛び込むんですよ」
「それがなんだ?」
「ふふ、それが僕からの〝回答〟ですよ」
答えながら、ジョナサンは踵を返す。
もう、戻ってくることもないだろうと思っていた王都。でも、ここに『オブライト』は帰って来た。
それだけが、ジョナサンの答えの全てだ。
「それじゃ、また」
うっかり口元が笑ったのを隠すように、ジョナサンは自ら退出した。
※※※
お見合い会とやらが、どうなるのか気になって仕方がなかった。
数人募集するというので、きっと開催日も先になるだろう――と思っていたのだが、なんとその日で見合いの受け付けは終了したらしい。
夜、アーバンド侯爵の大笑いする声が聞こえてきて驚いた。
それは、報告を受ける前のことだ。あんなにひぃひぃ笑う声を聞いたのは、マリア達も初めてだった。
「人数を締め切りましたので、今週末に行います」
「え」
マリアは、使用人仲間達と揃って唖然とした。伝えに来た執事長フォレスの真面目な顔の向こうで、またアーバンド侯爵の笑い声が聞こえてきていた。
旦那様があんなに笑うなんて、一体お見合い会の件はどう進んでいるのか。
ロイドの他にも、希望人数がすぐに集まったのも意外だった。
「と、当日を迎えたくない……」
マリアは、初めて心の底から現実逃避したくなった。ポルペオの件、ライラック博士の件、ロイドのこと……頭はいっぱいだ。
それに対して、ジーンの方は活き活きとしていた。息子の件は、ひとまず彼の中でまとまったのだろうか。笑顔で「偶然だな!」と猛スピードで擦れ違ったマリアは、一体何をしているんだろうなと思った。
そんなこんなで、日はどんどん過ぎていった。
気付いた時には、もう見合いの前日を迎えていた。
マリアは、もう気が気でなかった。ルクシアとアーシュ、そしてライラック博士にも心配されたが、もちろん何も言えなかった。
救われたのは、友人との外出を楽しみにしているリリーナの存在だ。
「今度のピクニックは、また女の子だけで楽しむのよ。殿方には待ってもらって――サリーも一緒に花冠を作るの!」
「それは、良かったですね」
マリアは思うところは胸の中に留めた。……サリーは、残念ながら男枠に含まれていないようだ。
まぁ、それもあってフロレンシアも〝ひとまず〟お近付きを許しているのだけれど。
十五歳のサリーは、実年齢より低く見られがちの美少女顔少年だ。彼は、リリーナに同行できるのは嬉しそうだったが、不安は隠せなかった。
「僕、当日、フロレンシア様に着せ替えさせられそうな気がしている……」
「頑張って、サリー」
たぶん、めっちゃ可愛く着飾られると思う。
ぜひ、見たかったとマリアは思った。
そう話している間にも、馬車はアーバンド侯爵邸に到着する。帰宅してみると、サロンには予定のあったジョセフィーヌの姿があった。
グイードの遠縁の、ディアン男爵の十二歳の末娘だ。
癖の入った長くて重そうな印象の髪。本日もレースたっぷりの衣装に身を包んでいる。今日は、一緒にディナーまでする予定があった。
けれどマリアとサリーは、少し驚いてしまった。彼女と一緒に、アルバートも待っていたからだ。
「アルバート様、今日は外の用事と聞いていましたが、早かったんですね」
「うん。話し合いが早く終わって、マシューと帰宅したんだ。そうしたら、ちょうどリリーナの帰る時間に来た彼女と、ばったり会ってね」
アルバートが、ふんわりと微笑んでマリア達の帰りを歓迎する。帰って来たリリーナの上着を、メイド達が取って支度に入った。
うん、それはいいのだ。
たとえ彼が、今か今かとそわそわしているリリーナを『可愛い』と見ていて、戸惑うサリーにうっとりしているだとか、いつものことなので、まずは置いておく。
ただ、そもそも疑問は〝どうしてこうなっているのか〟である。
「ジョセフィーヌ様、……大丈夫ですか?」
ひとまず、マリアは尋ねてみた。
ジョセフィーヌは、帰って来たリリーナを前にぷるぷる震えていた。どうしてか四人掛けに座るアルバートの足の上に、ちょこんと腰を下ろしている状態だ。
彼の腕が邪魔で今も動けない、といった様子だった。
「わ、私、リリーナ様のを再現したい、と返事はしましたが。で、でもっ、でもずっとするなんて聞いてませんわ!」
マリアは、サリーと共に目を丸くした。つい、素の口調で尋ねてしまう。
「え、しばらくずっとそうしてたの?」
「気付いたら時間が経っていたんですぅぅううう! リリーナ様の話で時間も飛んで、そもそもマリアさん私時間なんて見てませんんんんんんっ」
少し前まで友達ゼロ人だったジョセフィーヌの目は、今にも涙で崩壊寸全だ。恥じらいマックスの彼女の目は、もちんろリリーナしか見ていない。