四十五章 まさかの求婚ですか!?(5)
正午休憩を過ぎ、仕事が再開して一刻半。
会議やらも入っているのか、王宮内の一角は人の行き交いもだいぶ減り、再び落ち着き始めた。
マリアは、薬学研究棟へと続く廊下の階段に腰掛けていた。
空色の大きな目が、ぼんやりと青空を映している。
無心で取り組もうとしたせいか、早々に室内の掃除も終わってしまった。ジーンと少し休憩する予定があるのに、アーシュに「早めに休め」と追い出された。
「先にプリンでも食ってこれば、って言われてもなぁ」
今のところ、欲しいのはコーヒーだ。
不慣れな考え事で疲れた頭に、ひとまずコーヒーを入れたい。
「バカ面を晒しているな」
不意に、そんな声が上から降ってきた。
マリアは、なんだろうと思って見上げた。逆さになったポルペオの顔が目に飛び込んできて、「あ」と口を開く。
「逆さでもヅラ感すごい――いたっ」
「思ったままを口にするな、馬鹿者め」
ごつっ、と額に拳の横を置かれてしまった。
いや、逆さが見ると更にヘルメット感が強い、というのが思ったことである。だが、説教されたらたまらないので黙っておく。
……今度はポルペオかよ。
マリアは、頭の位置を戻して額をごしごし揉みほぐした。すると、彼が隣に座ってくる気配がした。
「何か私に用ですか?」
彼がこんなところを私用で歩くのも考え難い。
何しに来たんだろうと思っていると、ポルペオが太い黒縁眼鏡を指で挟んで上げた。それから、マリアへと黄金の目をジロリと向けてきた。
「お前を探していた」
「私を……?」
「人に尋ねてみると、このあたりによくいると聞いた」
疑問を覚えた直後、身体に染みた説教がふっと頭に浮かんだ。
昨日のサンドイッチの間のことだろうか。追い駆け回されたことを思い出したら、説教はちょっと勘弁して欲しいな……という気持ちが先行した。
「すみません、今、精神的にちょっと……」
悩んでいたところに関しては、なんとも言えず言葉を濁した。
ポルペオが、凛々しく美しい顔を顰める。
「なんだ、また何か巻き込まれているのか」
「またって……」
言い方に思うところはあったが、事実でもあったので言い返せない。巻き込まれたというよりかと、問題を起こされて困っているというか。
いや、やっぱり説明できそうにもない。
マリアはうーんと考え込み、つい目頭を押さえて揉みほぐしにかかった。しかし直後、ポンッと頭の上に何かを置かれてハタとする。
「らしくない顔をするな。甘いものでも食え」
顔を上げた拍子に、そのまま両手の上に置かれた。それは、クッキーが入った小袋だった。
「これ、なんですか?」
「見て分からんか。菓子だ」
「えぇと……食べろ、と?」
確認すると、ポルペオがますます顔を顰めて「それ以外の理由があるか?」と言ってのけてきた。
菓子なのは分かるけど、なんで甘いものが苦手なポルペオが?
よく分からない奴だ。でも、食えと引き続き目でも伝えてくるので、マリアは有り難く頂戴することにした。
「あ、素朴な甘さ」
ぽりっ、と口にしたら懐かしい風味が広がった。思えばオブライトだった時、こうしてポルペオが菓子を差し入れることがあった。
――それは、『お疲れ』という言葉の代わりに。
「たまには悪くない甘さだろう」
ひょいと、ポルペオが小袋の中から一枚を取り出して、クッキーを口に放り込む。
仏頂面で、もぐもぐとする。
その流れも、横顔も、当時と全く変わらなかった。オブライトがそう言ってから、彼も口にするようになった台詞だ。
マリアは思い出して、少し笑った。
「ははっ、確かに。その通りだと思います」
本来の自分の口調で言いかけて、言葉を継ぎ足した。
クッキーは、昨日の『お疲れ様』であったらしい。
ほとんどもてなされた側なので、お疲れ様も何もない気がする。昔だったら、部下のニールやヴァンレットの面倒を見たことで、こうされた。
でも、今のマリアは、違う。
「片付け、最後まで手伝えなかったのが、悪かったなって。朝来ていたニールさんに聞きました、ポルペオ様も最後まで手伝ってくれたんですよね?」
「たまたまだ。ほとんど、ニールとヴァンレットとモルツが率先して動いていた」
また、一枚クッキーを食べる。
小さなクッキーが、ポルペオの口に消えていくのが少し不思議に感じた。当時と、自分の身体の大きさが違い過ぎるせいだろうか。
もぐもぐ食べていたマリアは、考えるのは苦手ですぐに集中力も薄れた。
やわらかく吹き抜けた風に誘われて、上へと目が向く。
「あ。鳥」
その大きな瞳に、青い空と、流れて行く雲と鳥を映した。
「いい天気だなぁ」
戦争の匂いもしなくて、平和な空気だ。のどかで、落ち着いていて、好きだと思う。
その時、隣から「ぷっ」と噴き出す声が聞こえた。
ポルペオにしては珍しい。そう思いながら目を戻して見ると、彼はあちらに顔をそむけて肩を揺らしていた。
「なんですか。いきなり笑うことないじゃないですか」
「いや。なんでもない」
「はぁ」
視線を返されたマリアは、気の抜けた返事をした。彼がますます「くくくっ」と笑う。
「どうにかした返事まで笑われてしまうとは……私、何かしましたか?」
「これで笑わずにいられるか」
メイドなのに、返事の仕方がアレとかいうやつだろうか……?
マリアは、ちんぷんかんぷんで小首を傾げた。するとポルペオが、突拍子もなく話を振ってくる。
「アーバンド侯爵家のメイドには色々いるとは聞いたが、お前は元々剣の心得があるようだな。珍しい」
「えっ、珍しい?」
「私から見ても腕はいい」
唐突の言葉だった。あのポルペオが、人の剣を褒めるなんて滅多にない。やや意地悪く笑った彼に、目を覗き込まれてマリアは動揺する。
目立っていい太刀筋を見せた覚えはない。しかし、よく知っている仲だからこそ、妙に緊張した。