四十五章 まさかの求婚ですか!?(3)
それからしばらくしたあと、マリアの姿は王宮の建物沿いの影にあった。
座り込んだ脇には、返しにいく本が積まれている。
悩みすぎて、たまらず早めに薬学研究棟を出てきてしまったのだ。
「くっ、こうしている間にも、人数が集められているかと思うと……!」
せめて、アーバンド侯爵が何人呼ぶつもりなのか確認すれば良かった。リリーナの外出中に行う予定で、数名だとは言っていたけれど。
――でも、そういう問題ではないのだ。
ロイドから希望のあった見合い話を、アーバンド侯爵が了承した。そして『参加者の一人として加えよう』と、見合い会とやらが開催されることが決定してしまったのだ。
「そもそもなんで増える!?」
うおぉぉ……まさかのお見合い会!
もうマリアは頭を抱えて呻いた。驚きが重なって、自分のことをゆっくり考えられる状態ではない。
すると、どこからか覚えのある声が聞こえた。
「はぁ。お互い辛いよなぁ」
マリアは、しばし真顔で固まった。
いつの間に来たのか、ジーンが当然のように「よいしょ」と隣に座り込んできた。隠れていたはずなのに、なぜ見付ける?
「……おい、阿呆。合流時間前だぞ。そもそもどうやって私を見付けた」
「友情レーダー」
くそっ、だからそれはどこの器官だ!
溜息交じりで『そんなの当然だろ』という顔で答えてくる相棒に、マリアも突っ込みたくてたまらななった。
んなの分かるもんか。永遠の謎である。
「聞いてくれよ親友」
ぐすぐすとジーンが切り出してきた。肩に寄りかかられたマリアは、仕方なく低い声で尋ね返す。
「なんだ」
「うちの子供、もしかしたら幼女好きかもしれない」
「……、は?」
こいつは、一体何を言っているのか。
「上の子か、下の子か? いくつなんだ」
「下の子。十一歳。相手が五歳」
「貴族ならある話……とかではなく? ほら、家同士のなんとやら、とか」
「違うんだよっ。息子の方から、好みどんぴしゃだから婚約のために席を設けてくれって言われたの!」
ジーンは、マジ泣きだった。
マリアは返す言葉に詰まった。自分の悩んでいるキーワードにも繋がって、悩み込む。
「あー……『婚約』、か」
うーんと眉間に皺を作ったマリアに、ジーンがきょとんとする。
「なんだよ。そっちも何かあったのか?」
問われて、どうしようか更に悩む。ここは、言うべきか、言わない方がいいのか……無駄に騒がれる懸念が脳裏を過ぎる。
けれど、一人で抱え込むには、あまりにも無理だった。
「実は…………ロイドから、見合いの申し込みが来た」
マリアは、苦悶の表情で顔を押さえた。思わず「なんでだよ」と呻きがこぼれる。
さぞ笑われることだろう。まさかあのロイドから――。
「うわー……あいつ、マジでやったんか」
「は?」
全く想定していなかった言葉が聞こえて、マリアは振り返った。そこには、同情を込めて見つめているジーンがいた。
「え……なんだよジーン」
「すまん。すっかり忘れてたけど、いつかやりかねんと思っていたんだ。あのさ、まさか告白されたのか? そんなタイミングあったっけ?」
肩を掴まれて、なんだか心配そうに訊かれた。尋ねる暇もなかったマリアは、その至極真剣そうな表情に呆気に取られた。
こんな相棒の顔も、なかなか見た覚えがない。
「親友よ、しょーじきに答えて欲しいっ」
沈黙をなんと取ったのか、ジーンが追って言ってきた。
「は? あ、うん」
「こう、精神的にがくんっと来るひどいことをされたうえで、告白受けたとかじゃ――」
「なんだそれ? 好きだ、と言われただけだけど」
途端にジーンが肩を落として、安堵の息を深々とついた。
「良かった……あれだけ我慢してたら、どっかでプッツンときれてぶちゅっとすんじゃねーかとも思ったが……」
ごにょごにょ呟かれて、うまく聞こえない。
マリアが顔を顰めると、ジーンが早速目を戻してきた。
「んで? 見合いの申し込みがあったってことは、アーバンド侯爵家にだよな? あの人、オーケーしたのか?」
「それが……」
マリアは、何度も溜息をこぼしながら、そのことについて話した。
――なぜか、ジーンが大爆笑した。
「ぶわっははははは! アーバンド侯爵、やるねぇ! こりゃあロイドを、ぜひとも観察しねぇとな!」
「は? あの」
「おかげで、今日一日を楽しめるめちゃくちゃ面白いことが見付かって良かった――あ、いや、元気が出たわ! じゃ、あとで俺の部屋こいよ~」
彼はそう言ったかと思うと、来た時と同じくあっという間に去っていった。
※※※
告白した翌日、ロイドは胸が軽かった。
なんだか、長年言えなかったことが、ようやく口から出せたかのように。
先に見合いの申し込みを、昨日中に速やかに準備できたからかもしれない。吹っ切れてみると、足は随分と軽かった。
午前中の仕事もスムーズに進み、正午休憩まで時間が空いた。
こうして執務室で、仕事のことを考えずゆっくり腰を下ろしているのも久しぶりだ。
「二度目の一目惚れ、か」
改めて口にして見ると、もう間違えようがない。
初めて目にした時、そして追い駆けて、手を取ってマリアの大きな空色の瞳と合った時には――もう好きになっていた。
だから、いつだってロイドはマリアのことを考えていた。
そして心を取り乱されるのは、いつも彼女のことだけ。
以前、ジョナサンの悪ふざけで、妙なシチュエーションをやらされたことが、ロイドの脳裏に蘇る。
冷たい目で見下ろし、足で踏みつけてネクタイを引っ張る冷遇。
それがマリアだったら、これはこれで全然ありだと思った。
胸は不思議な熱で高鳴り、これまでになくかなり理性が揺らいだ。独占されたい、そして支配したい、という征服欲にもかられた。
ジョナサンは許さない。しかし同時に、あんなマリアの顔と仕草にきゅんとして感謝しているとか、胸中はめちゃくちゃ複雑ではある。
その時、ノック音が響いた。
「ただいま戻りました」
戻ってきたモルツが、静かに扉を閉め直す。その手には、休憩用のコーヒーを持っていた。
「わざわざ持って来たのか?」
「はい。それから、糖分も欲しいかもしれないと思いまして、これを」
ごそごそとポケットに手を入れると、クッキーが入った袋を取り出す。
「珍しいな」
「さっきポルペオ師団長とバッタリ会いまして。提案され、有り難く頂きました」
「ポルペオ?」
「はい。『一つ多めに持って来てしまったから、やる』、と」
それもまた珍しいことだ。誰かに持っていく予定でもあったのか?
ロイドは、モルツが置くコーヒーを目で追った。
――昨日、マリアに『好きだ』と打ち明けた。
実を言うと、またしても任務で会えなかった間にマリアが足りなくなった。
そして結果的に、不意打ちで向けられた一番の笑顔と、サンドイッチを食べて喜んでもらえることにも成功して、箍が外れかけた。
もう、いつかのチャンスを、冷静に構えて待っていられなかった。
先に、思いだけでも知っていてもらいたくて。
いや、彼女に意識してもらいたかったのだ。鈍すぎて察してもらえそうにもなく、それを待っていられなかったのも、ある。
それほどまでに、ロイドはどんどん余裕がなくなっていた。
「おかわりする時間も、十分ありそうですね」
モルツが、立ったままそこでコーヒーを飲む。座ればいいものを、使用人や侍従でもないのに、いつでも命令に動けるように待つのだ。
けれど、引き続きそれ以上何も言ってこない。
ロイドはコーヒーカップを持ち上げたタイミングで、自分から口を開く。
「意外だったか?」
つい、ぶすっとした顔で問いかけた。