四十五章 まさかの求婚ですか!?(2)
待って、あいつが私を好きって、本気なのか?
マリアは、昨日の今日でくらくらした。いや、そもそも、だからといって堂々と申し込んでくる奴がいるだろうか。
「あいつが貴族なのは知ってるけど、まさか昨日の今日で……」
ぐらぐらする頭を支えながら思案の声をもらした。通常、見合いってこんなペースなのかとも考えるものの、やっぱり早すぎる気がした。
好きだと言われたのは、昨日の話だ。
それでいて、早速お見合いを申し込んだのか?
こちらは使用人で、しかも十六歳のただの女の子だ。それに対して、ロイドは美貌の公爵であり銀色騎士団総隊長でもある。
色々ありえない。そう思っていると、アーバンド侯爵達が察した表情で尋ねてくる。
「覚えがあるみたいだね」
「いえ、その、いきなり『好きだ』みたいなことは言われましたけど……でも、気の迷いみたいなものではないかと」
マリアは困惑しきった顔を上げた。どうしたらいいんですかね、と表情で問うと、メイド仲間達も顔を見合わせる。
執事長フォレスが、考える目を向けた。
「旦那様、マリアさんはまだ結婚も希望していません」
まさかにその通りだ。
もしかしたら、助け舟の知恵を貸してくれるのかもしれない。マリアは「執事長っ」と期待の目をした。
「ですので、選択肢は広い方がいいかと」
……と思ったら、不穏な単語が聞こえた。
意見を聞いたアーバンド侯爵が、なるほどと顎をなぞる。何やら納得している様子だが、マリアは全く理解できない。
「あの、待ってください執事長――『選択肢』って?」
「どうせ断ってもがんがん来そうな気がしますから、この際です。ひとまず、お見合いを終わらせましょう」
「えっ」
「それは名案だね、フォレス」
「は」
アーバンド侯爵に、にっこりと微笑みかけられてマリアは唖然とした。
気のせいでなければ、お見合いする方向で話が進められている。しかも、ひとまず、という彼らの考えている策が大変気になった。
「……あの、一体どういうことですか?」
「このお見合いを、審査会にしてしまえばいい。つまりマリアとお見合いしたい相手を、他にも募るんだよ。これでロイド・ファウストも『ただの候補者の一人』――贔屓もなく、平等だよね?」
にっこりと笑ったアーバンド侯爵の目が、悪戯を考える子供みたいに見えた。呆気に取られていると、彼が早速というように手を打つ。
「というわけで、お見合い会を開催しよう。〝僕〟ら家族全員で、マリアに相応しい相手を見極めようじゃないか」
「それでは、早速手配を進めます」
「よろしい。ふふふ、ファウスト公爵が、どう出てくるのか楽しみだね」
リリーナに知られる前に全員が、よし解散とアーバンド侯爵に合わせて動き出した。茫然としているマリアの手を、メイド仲間達が取って引いた。
「やすやすとくれてやるほど、わたくし達は甘くありませんからね」
「イケメンだろうと、本気じゃなかったらあげませんわよ」
「ねー」
……お見合いするの? しかも他にも呼ぶの?
いや、そもそも誰も名乗り出てこないでしょう。使用人仲間達の声も、ぐらぐらするマリアの耳を素通りしていった。
※※※
ありえん、なんでそうなる?
王宮に行ったマリアは、朝から頭が痛かった。気を抜くと、目頭を押さえて丹念に揉み込みにかかっていた。
ロイドが、私に見合いを?
いやいやいや、しかもそれをアーバンド侯爵家を通してやるとか――。
「逃げ道断たれるだろうが!」
思わずテーブルを叩いた。そばにいたアーシュが、集中力を切らして持っていた筆記用具ごと飛び上がった。
「うおっ!? なんだよ、いきなり叫ぶなよっ。大事な紙に線が入っちまったじゃねぇか!」
「あ、うん、ごめんねアーシュ……」
そういや、紙に対して妙に大事意識があった青年だった。今更になって、文官って皆そうなのだろうかと疑問も沸く。
するとアーシュが、じっと探るように見てきた。
「なんだよ、またなんかあったのか?」
「……ううん、なんでもないんだ」
「お前、また口調が女っぽくなくなってるぞ。道端で育った感が」
マリアが、そっと視線をそらしたその時だった。
突如、薬学研究棟の扉がけたたましい音を立てて開け放たれた。そこから当たり前のように突入してきたのは、ニールだ。
「アーシュ君なんてことを言うの! お嬢ちゃんはっ、凶暴です!! ――ぐはっ」
言い切ったニールの顔面に、マリアは本を投げ放った。
咄嗟のことで、口をあんぐりと開けていたアーシュはハッとした。
「おいいいいいっ、本を投げるな!」
「ごめん、つい」
「そして赤毛を殺しにかかるなよ!?」
動き出そうとした彼女のスカートの裾を、アーシュがむんずと椅子の上から手で押さえた。
こんな時に、なぜニールが来るんだ。マリアは溜息をこらえた。余計に精神力がガンガン削られていくのを感じる。
「まぁ、いいですわ。なんの用なんですか」
ダメージは最小限でいこう。マリアは目頭を押さえながら、ひとまず手でちょいちょいとニールを呼んだ。
彼が、三十六歳には全く見えない顔を喜び一色にした。特徴的なはねた赤毛を揺らして向かう。
「面白いあめ玉見付けたんだぜ!」
「ああ、うん、そうですか」
それを聞いた途端、アーシュがげんなりとした目をする。
「おい、それマリアには話題ミスだぞ」
「え~、そうかな? というかアーシュ君は、今日も妙な格好だね。文官服に白衣って、個性的だよね。そういえばさ、ずっと文字書いてて飽きないの――いったぁ!」
「うるっせええええ!」
アーシュが切れて、ニールの顔面をビタンッと手で押さえて退けた。
ルクシアとライラック博士は、続き部屋だ。煩くなる前に、ニールをどうにかした方がいいのかもしれない。
マリアが、そんなことを考えていると、外側が騒がしくなった。
「なんだ?」
アーシュが疑問を口にしたが、テンションは更に落ち気味だ。
……なんか、バレッド将軍達のムキムキの野太い声が、何かを称賛している気がする。
マリアは、いよいよ頭痛が増した。気のせいでなければ、その称賛されている対象はジーンである。
「黄金時代の英雄の一人! 元黒騎士部隊のっ、生きる伝説!」
「うおおおぉぉ副隊長様であるとは存じております!」
「いってらっしゃいませー!」
いや、止めろよ。なんのための護衛だ。
そんなことを思っていると、案の定ジーンが入り口に現われた。目立つ大臣衣装の袖に顔を押し付け、しくしくと泣いている。
「……これ、どういう状況?」
マリアは、思わず呟いてしまった。
直前まで、称賛の声に意気揚々と応えていたのではないのか。それがどうして、たった数十秒進んできただけで悲壮感溢れる感じになっているのか?
というか大臣がここに来て、大丈夫なのだろうか。
ルクシアの件があるから、あまり重要人物を寄せない話だったのでは……。
「ジーンさん、また抜け出したんスか?」
ニールが、なんだサボリかという顔で言った。お前も同じようなもんだろ。マリアとアーシュは、揃って目を向けやった。
するとジーンが、はあぁと深い溜息を吐きながら腕を離す。
「ニールよ。上司をもうちょっと尊敬するとか、そういうのはないのか……」
「いつもめっちゃ尊敬してます!」
「ああ、うん、そうなの……つか、朝どこ行ってたんだ?」
「あめ玉を買いに行ってました!」
阿呆。自由だな、おい。
寸でのところで、喉元から出かかった。けれどマリアに気付いたジーンが、またほろりとした先にこう言ってくる。
「……あのクソガキ、俺に地味に嫌がらせしてくるんだもん」
一体なんのことか分からない。
マリアとしては、今、自分のことで頭が痛いのだ。
「ジーン、あとでにしてもらえる?」
どうにか素の口調は控えたものの、アーシュの手前だが友人同士のようにそう言った。
昨日、本を返したタイミングで少し落ち合う、と話はしていた。それから、午後の休憩に少し付き合うこと――。
オブライトだった頃も、王宮に別々の用で来ていた時そんなことをしていた。
そう思い返していたマリアは、突如聞こえた雄叫びにギョッとした。
「親友よおおおおお! 俺はっ、感激してる!」
ジーンが、不意にそう叫びながら気力いっぱい突進してきた。びくっとしたアーシュが、椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
相棒の感涙に、マリアも咄嗟に防衛反応が出た。
「やめろ阿呆!」
思いっきり腹に一発ぶちこんだ。ジーンが急停止するのを見て、アーシュはもう顔面が引き攣っていた。
「い、いいパンチだぜ……」
あまりにも煩さが続いたせいだろう。つい、続き部屋から顔を出したルクシアが、ライラック博士と共にその光景を目にして絶句した。
「……一体、何がどうなっているのですか」
思わずルクシアは、そう呟いたのだった。