四十四章 友と食事と…そして恋(5)
こいつらも、相変わらずだなぁ……。
マリアは元上司として、ちょっと申し訳なく思った。でもロイドが、友人として思っているのも分かって柔らかな苦笑を浮かべる。
昔だったら、きっと怒って抜刀でもしていただろうに。
「ロイド様、私もお手伝いしますわ。時間もありますから」
そう声を掛けた途端、ロイドが思いっきり顔をそむけた。
「あ、いや、別に、いい」
「よくないですよ。メイドなのに、皆さんに任せるのは無理です」
「分かった、分かったから覗き込んでくるなっ」
そういえばと気付いて訝った途端、逃げられてしまった。
思えば彼は、さっきからこっちの顔を直視しないでいる。サンイドイッチの感想を言ったあたりからだろうか?
挙動不審なのを思っていると、ポルペオが歩み寄ってきた。
「ついでだ。調理器具は、私の方で戻しておこう」
「ありがとうございます。じゃ、モルツさん、ついでにそっちのも寄越してください」
「命令とは随分上から目線ですね。いいでしょう」
何が『いいでしょう』だよ。命令口調じゃなかっただろ。
マリアは、本音が言えない状況に苛々した。こちらの正体を知っているだけに、余計に意図を覚えて腹立だしい。
ポルペオに調理器具を渡したモルツが、ふと考える顔をした。その間に、細い銀縁眼鏡の横を押し上げる。
「私も、ついでにそちらのテーブルを先に運ぶことにしましょう」
「ロイド様のところにいなくていいんですか? 片付け、彼にさせちゃうことになりますよ」
「私がやろうかとも思いましたが、順序を逆にして、ひとまずテーブルを運び出すことに決めました」
「ふうん? なんだか、今、決めたみたいに聞こえましたけど」
「はい。そうです」
あっさり認められて、マリアは胡乱な目を向ける。しかしモルツは、ポルペオへと視線を投げていた。
「というわけで、途中まで同行いたします、ポルペオ師団長」
ポルペオが、ちょっと嫌そうな顔をした。
「もっと蔑む目はできないのですか。虫けらを見るように、そして内心で罵詈雑言を伝えるような目です――もしくは鞭打ちでも結構です」
「おいロイド、この問題児をどうにかしろ」
両手に調理器具を持たされたポルペオが、すかさず振った。モルツは、これまでになく引き締まったいい表情を彼に向けている。
「諦めろ」
ロイドも間髪を入れず答えた。
無理なのか……いや、昔からそうだったけど、と、マリアとポルペオの間に、嫌な絶望の空気感が漂った。
モルツとポルペオも、いったん中央訓練場を出ていった。
気付けば、二人、ぽつんと残されていた。まるで無言の時間を紛らわせるみたいに、ロイドが手元の器具の汚れを綺麗に拭って片付ける。
マリアは、ひとまずコーヒー用品を片付けにかかった。
ニールとヴァンレットは、たぶんもう少しかかるだろうなぁ。そんなことを思いながら、小さな道具は時間もかからず一つにまとめられた。
「ロイド様、それは私がやりますわ」
袖をまくった彼が、食材の残りをまとめているのを見て、マリアは手を伸ばした。
その時、指が当たった。
「うわっ」
突然大きな声が聞こえて、マリアはびっくりした。
ロイドが、過剰反応で手を離した。その拍子にカットされた野菜がぽろっと落ちて、慌ててキャッチする。
「あの……どうかしましたか?」
「いや、別に……いいから、そっちをやっててくれ」
またしても顔をそむけられる。汗でも落ちたのか、ぐいと腕で頬の方を擦っていた。
変なロイドだ。
そう思った時、彼の手に野菜の屑がついてしまっているのに気付く。きょろきょろとしたマリアは、濡れ布巾を見付けた。
「少し失礼しますね」
上げられていない方の腕の手だったので、ひとまず拝借する。ロイドがびくっとしたが、構わず手早く落としにかかった。
美味しいサンドイッチを作ってくれたのだ。
今のマリアはメイドであるし、これくらいはさせて欲しい。
「すぐに済みますから、じっとしていてください」
普段から、人に世話されることにも扱いにも慣れているだろう。それなのに、ロイドが手を引っ込める気配がして引き留めた。
昔に比べると、随分大きな手だ。
でも、指は男性にしては、少し細くて長い気がする。
育ちの違いだったりするのだろうか。マリアはオブライトだった頃の自分と、だいぶ印象の違う手のような気がした。
「よし。もう大丈夫です」
ぽんぽんと叩いて合図し、そのまま手を離した。
――と思った時、不意に握り返された。
えっと驚いた声がもれた次の瞬間、片方の腕で腰を抱き寄せられた。気付いたら、彼と目が合う状態で向かい合っていた。
「え、え……? なんですか?」
心臓の鼓動が速まって、なんだか緊張する。
こちらを見下ろすロイドの目から、どうしてか目がそらせない。やけに、綺麗な紺色に見えた。
「お前が可愛すぎて、こっちは我慢してるのに」
「は……?」
今、変な言葉が聞こえた気がした。戸惑っていると、ぎゅっと手をにぎられて、心臓がバクバクする。
「あんな笑顔見せられたら、これ以上待てる自信がない」
「あ、あの、なんのことだか、さっぱり」
答える声は、つっかえつっかえになった。
この空気を、マリアは知っている気がした。気のせいでなければ、ロイドの今の男の目を、自分もオブライトだった時に、したことがある。
伝えたくて、言いかけて、自分はあの時に言葉を呑み込んだ。
そんなことを思い返す暇は、すぐになくなる。
「俺は、昨日だってお前のことでいっぱいだった」
動揺するマリアに、ロイドが口を開いて先に言ってきた。
「この前も、伝えようとして、タイミングがなくて。……どうすればいいのか分からないし、でも言いたくてたまらなくて」
葛藤するように、ロイドが僅かに喉仏を震わせた。
マリアは、彼がとても緊張しているのが分かった。あのロイドが、とても慎重で臆病になっているのだ。
「初めてなんだよ。目の前に相手がいる時に、自覚したのは。今度は、伝えられないままなんて嫌だと思った」
「えぇと、今度だとか、初めてだとか、よく分からないのですが」
「分かってる、お前の鈍さにはかなり悩まされた。ここで言うつもりはなかったが、もうタイミングを待てない」
ぐっとロイドの手に力かこるも。
触れている体温を高く感じた。速まった鼓動が伝わる距離感に、逃れられない熱い視線に緊張が増した。
「だからこの際、ハッキリ言わせてもらうが」
「だ、だめですっ」
マリアは、咄嗟にロイドの口を手で塞ごうとした。胸がどっくんと大きく高鳴って、この先を聞いてはいけない気がした。
だが、ロイドにその手まで一緒くたに握られてしまった。
「いや、言う」
ロイドが、真剣な目で見据えてくる。
「俺は、その、……お、俺は、だな」
言おうとした途端、彼がじわじわ赤くなった。真面目な雰囲気で続けたかったのか、葛藤が表情に滲む。
ああ、そうだ。恥ずかしがっている顔、だ。
マリアは以前、彼が浮かべていた〝妙な表情〟を思い出した。真っ赤になって、少年みたいな表情になっていた。
「マリア。俺は、お前が好きだ」
一つずつ伝えるみたいに、ロイドが告げてきた。
それが耳に入った瞬間、マリアはぶわりと赤面した。……好き? 私がテレーサを好きになったみたいに? ロイドが今の私を?
――好きで、好きすぎて、一番目の言葉はなかなか出ない。
――初めての『好き』を伝えるのは、人生で一番かってくらい、勇気がいるもんだ。
オブライトだった時に聞いた言葉が、脳裏を過ぎった。
つまりロイドは、こんなにも彼らしくない表情を晒して、言葉を何度もつっかえさせてしまったくらい、マリアのことが好きなのか。
でも、どうして? 全然釣り合わないのに?
ロイドが魅力的な男性であるのは、知っている。社交界でも、女性達は彼を放っておかなかった。
それなのに、今の私を……?
そう真っ赤な顔で早急に考えていたマリアは――直後、さーっと血の気が引いた。
……ちょっと待て、待った。
不意に冷静になる。
こいつ、私が、あの追いかけ回していたオブライトと知ったら、死ぬんじゃ……?
そんな推測が浮かんだ途端、ロイドのことを考えると現実味を帯びて震え上がった。
まずい。絶対、憤慨で死ぬ。
そもそもマリアは、ロイドに釣り合わないメイドの女の子である。
「お、」
「『お』?」
「お断りしますっ!」
直後、マリアはロイドの腹部に膝蹴りを入れた。
痛みで咄嗟に力が抜けた彼の拘束から、素早く飛び出すと、一直線に中央訓練場の出口を目指した走った。
「そっ、そんなのは気の迷いです! きっとそうです! だから、忘れましょう!」
そんなことをしっかりと言い残して、マリアはその場から逃げた。
腹に一発受けたロイドが、手で押さえながら「くそっ」と体勢を戻す。
「気の迷い? んなこと、あるわけねぇだろ。こちとら、めちゃくちゃ考えたんだぞ」
こうなったら、押しに、押す。
一度言ってしまえば、もう怖いものは何もない。
「――吹っ切れた俺を、ナメんなよ」