四十四章 友と食事と…そして恋(3)
マリアは、はっきり言っていいものか悩んだ。そももそ、あのロイドが『礼』というのも耳に慣れなさすぎる。
「言いたいことがありそうだな、あ?」
「そうやって、前もって圧をかけてくるとますます言えないんですよ」
ちょっと疲れもあったので、マリアはふぅと息を吐きながら思わず言い返し、コーヒーの道具の方へと向かった。
「べ、別に、圧をかけた覚えは」
何やら、ロイドが珍しくごにょごにょ言っている気がした。
しかしマリアは、ほとんど耳にも入らなかった。料理の準備万端な彼の光景が、はたして現実であるかどうか――と失礼なことを考えていた。
グイードとレイモンドが、わくわくとマリアを目で追う。
「マリアちゃん、朝一番のコーヒー楽しみにしてるぜ」
「わざわざ飲んでこなかったんですか?」
「いやー、薬学研究棟まで行く手間が省けたぜ」
「お前なぁ――えっ、あっ、俺がそばにいたら止めてたから!」
まだ何も言っていないのに、ちらりと目を向けだけで、レイモンドが慌てて手を振って言い訳して来る。
マリアは、なんだか面白くなってニヤリとした。
「へぇ。コーヒー豆を、わざわざ持参しておきながら、ですか」
「うっ。その、いい豆が手に入ったから……」
ぐぅとレイモンドが視線をそらしながら答えた。
それはそれで楽しみである。レイモンドのは、外れたことがない。マリアは開封すると、コーヒーのいい香りに笑顔になった。
「レイモンドさん、ありがとうございます。私も飲むのが楽しみです」
「まぁ、そう言ってくれると有り難いよ……」
「本心ですよ。だから心配しないでください。ポルペオ様も、コーヒーで大丈夫ですか? もしあれなら、紅茶を用意しますよ」
マリアは、そういえばと思い出して確認した。
用意された椅子の一人には、第六師団のポルペオが座っていた。相変わらずヘルメットみたいなヅラ、そして度の入っていない太い黒縁眼鏡だ。
「いや、私もコーヒーでいい」
目が合った拍子に、ポルペオが小さく断ってきた。気のせいか、首を振る仕草には、やや力がない。
「あれ? なんだかお疲れですか?」
「余裕のあったスケジュールのタイミングに、コレを挟まれたからに決まっているだろう」
ポルペオが、苛々しながらテーブルを指で叩き示してきた。
総隊長からの命令と取って従っているのだろうか。相変わらず律儀というか、騎士精神なのかなとマリアは不思議に思う。
「まぁ、それなら、皆さん分淹れていきますね」
「俺は牛乳入れてね!」
「はいはい。ニールさんは、いつものやつですよね、分かってます。ヴァンレットは砂糖を少し?」
「うむ」
確認してみたら、なんだかヴァンレットが嬉しそうに笑った。
早速コーヒーの準備にとりかかる。じーっと物足りなそうに見てくるモルツの視線からは、できるだけ顔を逃がした。
その時、ロイドが手際よく野菜を切り始めて、マリアは咽そうになった。
「えっ、料理出来るんですか!?」
思わず叫んだら、全員が不思議そうにこちらを見てきた。知らなかったのか?と意外そうな表情だ。
いや、ロイドが料理できるなんて、イメージないでしょう。
十六年の間に何があったんだろう。マリアが、そうどぎまぎしながら思っていると、ロイドが綺麗な顔を顰めて声を投げてきた。
「俺は軍人でもあるんだぞ。野営だってすれば、出張もある。当然だろう」
「いや、その、なんか意外というか……?」
包丁の手捌きも見事なものだ。肉類を挟む予定でもいるのか、スライスした肉をボールで何かにあえると、火で温めたフライパンに入れていく。
ほんと、手際がいい。
マリアは、口を開けて「はぁ」と関心してしまった。
少年師団長だった当時、生粋の貴族出のロイドは、包丁も握ったことがなく、丸焼き料理すら縁がなかった。
「『ニールだってサンドイッチくらいは作れるのにな』って笑って話していたことがあるんだけどさ」
ジーンが、察したよううに言ってきた。
まさに、マリアはそれを考えていた。今はじめて知るみたいに教えてくれた相棒へ、ぐらぐら揺れる目を向ける。
「……まさか、それで?」
「まぁ、それ以外にも色々と含まれるとは思うぜ。ほら、ロイドってば、基本的に負けず嫌いだろ?」
そういえば、やけに料理がプロ級のポルペオに、弁当を作ってこられた時なんて大変怒っていた覚えがある。
じゃあ、まさか料理は全部いけるのか。
負けず嫌いという部分を考えれば、ポルペオにも負けないよう極めた可能性が浮かぶ。
「才能の無駄遣い……」
「聞こえてるぞ」
ふんと鼻を鳴らしたが、でも手元に集中しているロイドは切れてもこなかった。
十六年の歳月が、彼をそれくらいに大人にしたんだろう。以前なら、抜刀されて殺し合いに持ち込まれるのもしょっちょうだ。
ポルペオを基準に考えると、裁縫方面もイケる気がした。
でも、怖くて尋ねられない。
マリアは、コーヒーの準備を再開しつつ想像してしまった。公爵家の嫡男である彼が、当時、料理やら裁縫やらを習得しようと頑張った、と……。
「使用人さん達も、さぞ困ったでしょうねぇ」
「どうだろうな。ウチのメンバーの中だと、一番ロイドんところの使用人が、のんびりしてるし」
ジーンが、コーヒーを淹れるマリアを、両手で頬杖をついて楽しそうに眺めながら言った。
慣れたように手を動かしながら、彼女は空色の大きな目で見つめ返す。
「そうなの?」
「意外だろ? 俺も、はじめは意外だった」
するとそばから、グイードが言ってくる。
「昔、ロイドの専属執事だったやつが、今のファウスト公爵家の執事頭をやってるんだけどさ。そいつも、またとんでもなくすごいんだ。急な訪問でも『ならお菓子をご用意しますね』って、ほわっとした感じで笑って、ロイドに確認取る前に俺らを上げたりする」
「え」
「ははは。あの警戒心のなさは、俺もちょっとどうかと思うんだけどなー」
ジーンが、棒読みで相槌を打った。
それもそれで意外である。当時の執事というと、彼が熱で倒れた時に迎えに来ていた、あの雰囲気が柔らかい感じの人だ。
そういえば、今は公爵である彼の執事だと言っていた。
ふとマリアは、ロイドから聞いた話しを思い返した。主人である彼が少し甘いせいだろうなと思ったら、こっそり笑ってしまった。
やがて全員分コーヒーが入った。
ロイドが調理を進め、モルツが手伝う中で、マリアも用意された席に座ってコーヒーを飲んだ。
「……うまいな」
ふと、ポルペオがぽつりと呟いた。
彼が褒めるのは珍しい。いや、思えばオブライトだった時も、コーヒーは遠回しで褒められてはいた気がした。
――そもそもマリアとしては、調理台の方がかなり気になった。
ちらりと目を向けてみると、皿持ちと雑用を担当するモルツのそばで、ロイドがレパートリー豊富なボリュームあるサンドイッチを作り続けている。
「総隊長、どうぞ」
モルツが、一旦コーヒーカップを勧めた。
「確かにうまいな」
コーヒーカップを受け取ったロイドが、少しだけ味見がてら飲んだところで、意外そうにカップへ目を落とす。
グイードが途端に偉そうに言う。
「だろ? ついつい薬学研究棟の方に足が向くわけだ」
「だからといって、サボは容認しないがな」
場に、凍える空気が広がった。ゆらりと視線を返したロイドの目が、ストレートに『殺すぞ』と語っていた。
「えーっと……ヴァンレットはどうだ?」
「うむ。うまいです」
先輩へ、ヴァンレットがしっかりと答えた。誰もが「コレほぼ牛乳じゃね?」と思うような、ジャムまで投入したニールのコーヒーカップを見ないようにしていた。