四十四章 友と食事と…そして恋(2)
とはいえライラック博士自身が、何も言ってこないので分からない。
まだ視線を感じるのか。何かしら危機感を覚えるような出来事は、他に小さく起こっていないか……。
研究私室前に到着したところで、うーんと考えた。
けれど考えるのは不得手だ。時間だけが過ぎそうな予感がして、ひとまずマリアは入室することを決める。
ライラック博士も来ているだろう。ルクシアが言っていたように、普段通りを心掛けて接する。それから、今日のスケジュールを――。
そう考えて、扉をノックしようとした時だった。
「お嬢ちゃんおはようおおおおお!」
「ぐっ」
向こうから、突然バコーンッと扉が開いた。マリアは、不意打ちで思いっきり頭突きをかます形となった。
石頭で助かったが、痛いのに変わりはない。
「くっ……この、くそ……阿呆っ、ニール……!」
思わず頭を押さえて、怨念交じりに切れ切れに呻く。
おかげで考えていたことなど、頭の中から綺麗さっぱり飛んだ。
「やっぱりね! なんか来ている感じがしたら開けてみたんだよ! さっすが俺! ところで、しゃがんでどうしたの?」
ようやく気付いたニールが、きょとんとマリアを見下ろした。
室内から窺っていたルクシアとアーシュ、ライラック博士は、それぞれ思う表情を浮かべている。
「おい赤毛、今、思いっきり痛い音がしていただろうが……」
「マリアさんは、生きているのでしょうか?」
あわあわとライラック博士が口にした。どんどん顔色が青くなっていく彼に、ルクシアが答える。
「呻き声が聞こえるので、まぁ、無事ではあるかと……」
その時、マリアはがばりと立ち上がった。
「おいコラ、阿呆。ニール」
「ひぇえ!?」
直後、胸倉を持ち上げられた彼が慄く。
「いきなり開けるか? あ?」
「ご、ごめんねお嬢ちゃん。なんかこうして会えるのも久しぶりな気がして、嬉しくなっちゃって、ピンと気配を察知した途端に走って出ちゃったというか……っ!」
「どんな察知能力だよ」
怒気を放って告げたマリアは、ハッとした。
いかん、口調が〝マリア〟じゃなくなっている。今、ニールは自分の部下ではないのだと思って、彼女は速やかに彼を下ろした。
「ニールさん、次は気を付けてくださいね」
「う、うん。めっちゃ気を付けるよ。俺、てっきりすんごく痛い拳骨を見舞われるか、すんげぇ関節技で失神させられるか、どっちかが来ると思って、めっちゃ怯えた……」
思ったことを、ニールが全部声に出した。身体をガタガタ言わせている彼に、室内から「確かに」とアーシュとルクシアが声を揃えた。
マリアは、まだじりじりする頭をさすりながら尋ねる。
「で? なんでここにいるんですか。大臣の優秀な部下なんでしょうに」
お前、またサボッているんじゃないだろうな?
前回の出張の臨時任務のせいで、仕事が溜まっているとは聞いている。まさかと思って軽く睨んでいると、ニールがぽんっと拳の横を手に落とした。
「あっ、そうそう! 実はね、俺、お嬢ちゃんを呼びに来たんだぜ!」
ニールが、素早く手を上げて元気いっぱい答えてきた。
マリアは胡乱な目を向ける。
「昨日の今日で、また何か臨時の仕事ですか?」
「ううん、昨日のお疲れ様会でさ、サンドイッチ食べようぜ!」
……ん?
マリアは、少し考えてもうまく理解に至らなかった。
「ニールさん、順を追って説明して頂きたいのですが――なんだって?」
つい、素の口調で尋ね返してしまう。けれどニールは、嬉しそうに頷くと得意げに続けた。
「ほら、昨日さ、ジーンさん達も頑張ったじゃん? それでさ、『陛下の件は迷惑をかけた』、『椅子にしばりつけておくのを忘れてた』ってロイドが言って、時間取ってくれたんだぜ!」
それを入れると、こっちは本日の通常の仕事時間を取られるわけなのだが、それはいいのか?
つか、この国の王を椅子に縛り付けるとか、やめろ。
確かに、過去にも何度かやったが、たぶんアウトだ。マリアは、室内で話を聞いているルクイア達が青い顔になっているのを察して思った。
「というか、サンドイッチ……?」
だめだ、まだ全然結び付きそうにない。
マリアは、ロイドとサンドイッチ、という二つのキーワードを、どうにか頭の中で推測しようとしたが無理だった。
「持って来てくれているとか、そういう……? でも、朝メシはみんな食べてるでしょ」
別に腹には入るので、朝のサンドイッチについてはひとまず良いとしても、さっぱりわけが分からなくて首を捻る。
その時、ニールに手を取られた。
「さっ、行くよお嬢ちゃん! ロイドのサンドイッチ、超うまいんだぜ!」
「えっ、まさかの総隊長作!?」
「他に何があんの?」
「え、だってあいつ……えぇぇっ」
マリアは、余計に頭がこんがらがってきた。十六年前も、ひっどい産物を作って友人達にあれこれ言われていたロイドが?
そんな疑問が頭の中を駆け巡っている間にも、研究私室から連れ出された。
バダハタと足音が遠ざかっていく。
残されたルクシア達は、唖然とした。先に、マリアを連れていくことは伝えられていたが、サンドイッチって一体なんだろうと思う。
「というか、女が『朝メシ』って言うなよ……朝食だろ」
そんな中、アーシュが扉を閉め直しながらそう呟いたのだった。
※※※
連れてこられたのは、例の秘密の中央訓練場だ。
そこには、野営でも使われる組み立て式の調理台。そして簡易テーブルセットや、椅子などが用意されていた。
「おっ、マリアも来たか」
椅子に座っていたレイモンドが、呑気に手を振ってくる。
マリアは呆気に取られた。そこにいるのはジーン、グイード、レイモンド、ポルペオ。それだけでなく、任務当日は留守を任されていたヴァンレットの姿もあった。
「うむ。マリア、朝ぶりだな」
「うん、その……つい先程ぶりね」
彼とは、ほんの少し前別れたばかりだ。
とすると、その直後に知らせがあって、第四王子クリストファーとリリーナのもとから抜けてきたのだろうか?
そして、調理台の方に立っているのは、ロイドとモルツである。
マリアは、おずおずと目を向けてしまった。モルツが白いエプロンを、軍服の上から着ているのが気になった。
「私は、皿持ちです」
「あ、そう……」
いや、そんなこと訊いてねぇよ。
目が合った拍子にモルツに言われて、マリアはますます首を捻る。
ひとまず、ニールが「早く早く」と言うので、そちらへと向かう。するとジーンが、うるっと目を輝かせた。
「昨日の今日で会えるとか嬉しいぜ! しんゅ――ぐはっ」
「副隊長ぉぉおおおおお!?」
マリアは、ジーンの『親友』という言葉を遮るべく、即、足技で地面に沈めた。ニールが、つい以前の副隊長呼びに戻る。
気付いたグイードが、こちらを見て「ははっ」と笑った。
「何やってんだよ」
「スキンシップってやつだ」
「そんなことした覚えはございません」
マリアは、無駄に打たれ強いジーンを見ずに答えた。
ふと、テーブルの向こうに用意されているコーヒーの道具に気付く。するとレイモンドが、ニッと笑って袋を振って見せてきた。
「コーヒー。マリアに淹れてもらおうと思ってさ」
「それで呼んだとかじゃないですわよね? ――まぁ、メイドなので、別にそれくらいはやりますけど」
マリアは、気付いて吐息交じりにそう答えた。今の自分は、ただのメイドだ。その方が不自然ではないだろうと思って、コーヒー豆が入った袋を受け取る。
その時、ロイドが包丁を片手に見てきた。
「今回は任務の礼だ。雑用はモルツが担当する、お前にメイド仕事はとくに求めていない」
「……そう、なんですか」
「なんだよ」
なんだと言われても、これからバッチリ調理する、というスタイルが慣れないんですよ……。




