四十四章 友と食事と…そして恋(1)
人体実験などを含んだ『バラバラの遺体の件』は、早々な解決を見せた。
王宮を抜け出した国王陛下については、戻ってきて即、軍事のトップとしてロイドが引っ張って連れ戻した。
――非戦闘員の側近らが、絶句して使いものにならなかったのもある。
さすがのジーンも、グイードも参ったらしい。前回の任務から、そんなに日も経っていなかったせいだろう。
『仕事が溜まってんのに……』
『まだ全部消化してもいねぇんだけど』
後半、ジーンの苦々しい台詞には、場違いにも笑いそうになった。
それを翌日、ポルペオは第六師団の執務室で思い返していた。どこか愉快だと感じてしまったのは、あれだけ途中まで胸に悪い臨時任務だと思っていたのに、始まったら、どんどん余裕もなくなる怒涛の展開だったせいか。
ジーンとグイードの、あのような焦りっぷりも、久しぶりに見た気がする。
レイモンドが、ああやってうろたえまくった目で、率先して指示を叫ぶのも、最近はなかったことだった。
「グイードにも、たまのいい薬になっただろう」
あの日、地下の目的の階に辿り着いたところで、うおおおおと叫んでマリアと一緒にボスの部屋に突進してしていった二人。
思い返し、くくっと喉の奥で笑ったところでハタとする。
思わず、ポルペオはそっと自分の口元に触れた。
こんな風に、気も楽にどこか胸がスカッとして笑うのは、随分久しぶりである気がした。いや、思い返せば、最近も時々あった。
「――この私が、悪夢にうなされるなど」
大聖堂の件が終わってから、ずっとろくに眠れなかった。睡眠不足がたたった結果、マリアとニールがいる中で寝入ってしまった。
あの時、眠りたくないと思った。
十六年前から続く悪夢を、また見ると分かっていたから。
睡魔に引きずりこまれる。悪夢はごめんだ。けれど抗えず、眠りに落ちて行くのを感じていると――。
そうしたら、マリアがこう答えてきたのだ。
『いなくなったりしませんよ、起きるまでいます』
幸せな夢も、日常の夢も、あの頃の記憶は全てポルペオには悪夢になった。起きたら、この同じ空の下のどこにも彼はいないのだ。
どこへも、いなくなるな。
いつも、夢を見るたびそんな台詞が胸の内側から込み上げる。
――ああ、そうか。もういなくならないのか。
あの時、マリアの声と表情を見たのを最後に、ぷつりと糸が切れたように意識が沈んだ。
大聖堂の任務の時と同じく、夢も見ないくらいぐっすり寝た。眉間をぐりぐりされるのを感じて、また〝あいつ〟は、と、イラッと感じた拍子に、説教してくれると反射的にスイッチが入って起きた。
『貴様は……っ』
だが、言葉は途切れた。
そこにいたのは、うわ、やべぇ、とまんま表情に出ているマリアだった。そして、同じく覗きん込んでいるニールがいた。
『うわっ、すみませんポルペオ様!』
『ヅラ師団長、違うんですよっ。起こそうと思って、さすがに四回目なら起きるんじゃないかな~て思ってやっただけです。別に悪気はちっともなかったから!』
『馬鹿者! 私の眉間で遊ぶんじゃない!』
何度も、いくどとなく重なる面影。
ポルペオにしては珍しく、最近は過去を思い返した。
現実的ではないからだとか、理性的にずっと押し込んできた。だが、そんなことを、つい忘れている時間が増えている。
そう、十六年前と同じだ。
理由も辻褄もなく、その時間だけ胸も身体も軽い。
ポルペオは、自分の机に置いてある透明のケースを見た。引き寄せ、手に取って眺めながら考える。
ソレは、あの頃は変わらない輝きを持っていた。
軍人の勲章は、曇らせないものだ。彼は自分のと同じように、自分の物ではないソレを磨き続けている。
「お前が守った。だから、お前の部下を私は生き延びさせ続ける」
手の届く距離にいるのは、ニールとヴァンレットの二人だ。
黒騎士部隊の、最年少組。ずっと子供みたいで、将来どうなるんだろうなとオブライトが困ったような顔で、笑って話してもいた。
どんな任務があろうと、自分の部下と同じく彼らを生還させることに優先を置いた。――たとえ、そこに気を取られた不注意で、この身に何があったとしても。
そんな事故は、これまで起こっていないが。
友人も同僚も、新しい部下も優秀であると褒めるべきだろうか。
「そういえば、最近はジーンも安定しているな」
メンバーの中で、一番ショックを受けていたのは、ジーン――だった気がする。ああ見えて、どん底を這うような日々を送っていた。
『ポルペオさん……うちの夫を……ジェランを助けてあげてください』
あの頃、ジーンの妻のアネッサもよく泣いた。
泣きながらそう頼まれたポルペオは、屋敷の中に足を踏み入れた。私室の扉を力任せに開け放ってみれば、休日だというのに床に伸びているジーンがいた。
『お前、昨日の格好のままだな』
『ああ。少し、仕事してたんだ……』
『しすぎだ、馬鹿者。使用人とお前の妻が、朝から何度も呼びにきたことに気付かなかったのか』
『寝てたのかもしれない。どうだったかな……なぁ、ポルペオ。今日は何日だ? 俺、ようやく週末を迎えられたか?』
『…………一週間目だ。一日くらい、休め』
ポルペオは、ジーンがあんなに泣きそうな顔で笑ったのを見たのは、初めてだった。それを妻と使用人に見せたくなかったから、扉を開けたくなかったのだろうと分かった。
レイモンドとグイードも、とくに彼を心配していた。
いつも、親友、と呼んで二人はいつだって一緒だった。
「師団長」
その時、不意に扉のノック音が耳に入った。
「急ぎで、と知らせを持たされたのですが、今、大丈夫ですか?」
「入れ」
つい、反射的に答えてしまっていた。
部下達が入室してきて、しまったと気付く。だが、その時には、手に持っていたソレをもう見られてしまっていた。
「師団長、それ、階級の胸飾りかなんかですか?」
「まぁ、そのようなものだ」
「中の色が黒って、うちじゃ見ないやつですね。ん? なんか、柄が竜っぽい――」
ポルペオは、それをさりげなく目から退けて仕舞った。
第六師団の若い精鋭班の彼らが、もしやと察したような顔をする。
「大事な物なんですか?」
ポルペオは、少しそこに目を落とした。過去を振り返らない。真っすぐ前を――けれど、唯一、何をしても鮮明に忘れられないでいることがある。
「ああ。この世に一つしかない、とても、大事なものだ」
それは、隊長【黒騎士】を背負った彼にとっても、また同じだっただろう。
誇り高き騎士。それを示した物だ。
部下達の中に、心配するような戸惑いの空気が漂った。だが、ポルペオの目に力が戻るのを見てハタとする。
「だが、もしかしたら返せるのかもしれない」
「はい?」
第六師団の男達は、ぽかんとした声を上げた。
「で? 知らせとは、なんだ」
ポルペオは、いつもの顰め面を向けた。
それがまさかの仕事の用ではなく、いつもの〝友人〟のことで――直後彼は「あ?」と険悪な声を上げることになる。
※※※
臨時任務があった翌日、マリアはいつものように薬学研究棟へと向かった。
昨日、戻ったあとに、ルクシア達に大変心配されてしまった。いつも急なんだよなと思いつつ、彼らに知らされている以外の詳細についてはぼかした。
剣の腕があると分かったアーシュも、なんだか疑い深そうに見てきてはいたけれど。
「まぁ、一つは解決したとして……問題は、博士の件なんだよなぁ」
もしかしたら、前回の一件で確認は取れたとして、しばらく動かないのではとルクシア本人は推測してもいる。