四十三章 剣と任務と闇医者(闇医者編/終)
もしかして、彼は今の私に、気付いて……?
マリアは、空色の目をやや見開いた。それだけで言葉を察したみたいに、スーイッドが「そうだよ」と言ってきた。
「あんたに淹れてもらえるコーヒーが、一番好きだった。ガキなのに、大人ぶんなとか、全然言わなくって」
ごくりと、マリアは息を飲んだ。
――オブライトが死んだから、彼は〝堕ちた〟のだ。
そう分かって愕然とした。死を選んでも自分だけで済むと思っていた。だから、他人の、こんなひどい結末なんて望んでいなくて。
それなのに、今、スーイッドは〝犯罪者〟として目の前にいる。
陛下がもし〝死刑〟を望むのなら、マリアはここで剣を振るわなければならない。その未来は、迷いに胸が痛もうと変わることはない。
マリアは、前世で忠誠を誓った人を裏切れない。
たとえこの身が変わろうと、剣士としてのマリアの主は、アヴェイン一人なのだ。
掛けたい言葉を飲むように、マリアは口をつぐんだ。ただただ、悲しくて、申し訳なくて、くしゃりとする。
その時、肩を強く掴まれて心臓がはねた。ぐいっと横を向かされたかと思ったら、アヴェインの顔が視界いっぱいに飛び込んできて驚く。
「え……あの、何か?」
引き攣り顔で、どうにか尋ねた。
珍しく少し驚きの表情を浮かべていたアヴェインが、途端に「――いや」と言って、マリアの華奢な肩からゆっくり手を離していった。
「すまない。なんでもないんだ」
「はぁ、そうですか……」
突然のことだったので、胸はまだドクドクしていた。
すると、グイードとポルペオの視線を受け止めながら、姿勢を起こしたアヴェインの目がスーイッドへと戻った。
「お前、完全に狂ってはいないな」
アヴェインの金緑の目が、冷静に彼を見据える。
「理性が戻った、と見て話すが、お前はこのままだと、この場での処刑となる」
その時、スーイッドの目がハッキリとした絶望を浮かべた。
「……やだ……やだっ、嫌だ!」
直前までの平気はどうしたのか。スーイッドは子供みたいにやだやだと首を横に振って、震える声をもらした。
「せっかく奇跡が起こったのに、ここで、死にたくない。いるんなら、生きたいっ。俺、嫌だ、ここで死にたくないっ」
我に戻ったような、悲痛な声だった。
まだ二十六歳だ。グイードもポルペオも、つらそうに目をそらした。
その時、ただ一人冷静でいたアヴェインが動いた。ハッとしたマリアより先に、腕の長さも勝ってポルペオが止めてくれていた。
「陛下。失礼ですが、一体――」
「心配するな。これくらいの相手、目の前であったとしても殺し返せる」
あっさり述べた彼が、ポルペオに腕を離させた。
どうやら自ら殺しにかかる心配はないようだ。マリア達が見守る中、アヴェインがスーイッドの前にしゃがみ込んだ。
「お前、首輪付きでも生きたいか」
「首輪……?」
「残された命数を、国と俺に貢献してもらうことになる。第一級犯罪者として、安全が認められない間は行動する時に監視も付く」
それでもいいのか、と、アヴェインは確認する。
スーイッドが茫然と見つめ返した。それでも話を聞きたいとするように、意思のある目で頷き返すのを見て、彼は言葉を続ける。
「随分博識で、技術もあるとは聞いた。解剖から薬剤知識と調合、外科手術まで鮮やかでやってのける。そのうえ殺しの腕もあって、護身の腕もかなり長けている」
専門者でありながら、護衛力も持っている。
まさかと、マリア達は目を合わせた。その間にも、スーイッドに言い聞かせるアヴェインの話は進んでいく。
「能力を正確に調べさせてもらいながら、役作りのために〝勉強〟もしてもらうが――首輪とその条件を呑むのなら、お前に役目を与えよう」
「俺の技術がいる、役目、ということですか……?」
「現在、我が城には、たった一人の毒薬学博士がいる」
ああ、やはりそうだ。
マリアは、ルクシアであると気付いた。グイードとポルペオも、相変わらず突拍子もないアヴェインの策に、目を丸くしている。
けれど見る目は確かだ。そして彼は、それを間違わない〝王〟である。
「その毒薬学博士のサポートに付き、なかおつ内側から守れ」
「……守る……つまり専門技術を持って、護衛もできる俺は最適である、と……?」
「そうだ。そのような人材は、恐らくどこを探しても極めて稀だ」
表の存在では、ほぼないだろう。
その時、戸惑いがちにスーイッドの目がマリアを確認した。気付いたアヴェインが、少し首を傾げる。
「女が一人いるのが、不思議か?」
「あっ、いえ――」
さっとスーイッドが目を伏せた。
それでも、気にしてずっとチラチラ見てくる。まるで〝夢〟みたいに消えてしまわないかと、自分の今の状況よりも心配しているみたいだった。
恐らくはそうなのだろうと分かって、マリアは謝罪を思って目を細めた。
その時、頭の上にぞんざいにポルペオに腕を置かれた。ぐっと重みがかかったマリアは、驚きつつ肘置きじゃないぞと思った。
「ちょ、何するんですかっ」
「お前が、似合わない顔をしているからだ」
「似合わない顔!? この顔は生まれつきなんですけどっ、ひっどいッ」
するとグイードが、はははと笑いながら、マリアの頭の横を拳でぐりぐりと雑に撫でてきた。
「ポルペオなりに心配してんのさ。こいつ、素直じゃねぇから――いてっ」
「ふん、馬鹿者め」
不意に、後ろから入室してくる音がした。
目を向けてみると、ジーンとレイモンドがバタバタと走ってくる。彼らは既に終わろうとしている状況を察して、途端に緊張も解いた表情を浮かべた。
もう兵達に許可して突入させたらしい。室外は、先程より静かだった。
その様子を憮然と眺めていたアヴェインが、スーイッドに目を戻した。
「どうやら、理性は完全に戻ったらしいな。お前が気にしているそこのメイドは、その毒薬学博士のところに出入りして護衛をさせている」
すると、スーイッドがパッと正座をして両手を床に添えた。
「し、しますっ。させてください! 俺、とてもとても頑張るから。また一からになっても、いい。お願いしますどうか」
カラカラになった喉で言って、スーイッドが〝陛下〟への忠誠を示して深く頭を下げた。
それで話は決まった。
――しばらく経ったのち、彼はある肩書を持ってルクシアの元を訪れ、マリアのコーヒーを飲むことになる。
それは、まだ少し先の話だ。




