四十三章 剣と任務と闇医者(2)
ルクシアの方は、自身が襲われ騒ぎを前にしたショックはないようだ。
「ライラック博士が、気掛かりですね……」
警備隊によって騒ぎの処理を任せた直後も、念のため王宮までお送りしますと乗せられた馬車の中、ルクシアはそう真剣に考え込んでいた。
誰よりも人を考える、とても慈愛深いお方。
ルクシアは、その正面の座席で緊張気味に窮屈そうに座ったムキムキの大男、バレッド将軍への緊張も忘れてみたいだった。
「〝メイドのマリアさん〟、私はお役に立てただろうかっ?」
なぜか、バレットが小声でこそっと確認してきた。
そんなドキドキした顔で訊かれても……とマリアは困ってしまった。正直、全然可愛くない。戦った際の自分の失礼に関しては、ノータッチで助かったけど。
見事な護衛力を見せたが、やはり彼はルクシアの猛烈な一ファンであるらしい。
そのため、改めて向かい合わせに座ったら緊張したのだろう。
そこは、昔いた誰かとは大違いだ。マリアの知る〝筋肉馬鹿〟は、そういった細かいことは気にしなかった。いつも「がはははは」と大笑いして、護衛対象の笑顔をぎこちなくさせる天才だった。
――ああ、また、懐かしい者を思い出したな。
マリアは、小さく頭を振って目の前へ意識を戻す。
「バレッド将軍様は、ルクシア様のお心にも添ったと思いますわ」
「そうか!」
困りつつも微笑みかけたら、バレッド将軍が、上官に褒められた部下か後輩軍人みたいに目を輝かせた。
変な男だ。さっきのことだって、全く訊いてこないし。
不思議に思いつつも、マリアはこの機会にと言葉を続けた。
「それから、私は一介のメイドですから、さん付けは不要ですわ」
マリアが改めてこそっとそう告げたら、その途端バレッド将軍がしゃきっと背を伸ばして、ぶんぶんと手を振ってきた。
「いやいや、我らが部隊にとって、マリアさんは偉いお方なのだ!」
……ルクシアのそばに先に仕えていたから?
そんな理由なんじゃないだろうなと、マリアは本気で悩んだ。するとルクシアを挟んで隣にいたアーシュが、複雑そうな表情で口を挟んできた。
「どうでもいいけど、お前、デカい軍人と喋っていても違和感がないって」
「何が?」
「いや、何がって、なんかこう普通に会話を見られるというか……」
その時、バレッド将軍が足に手をつき、熊みたいな図体でガバッと頭を下げた。
「アーシュさんも、どうぞ我が部隊共々よろしくお願い申し上げる!」
「オイやめろっ、あ、いや、やめてください。将軍に頭下げられるとか、一体どういう状況なんだよって胃がギリギリするから!」
マリアは平気みたいだけど俺は無理、とアーシュは述べた。
そうやって三人が会話できるのも、全てルクシアへの安心があったからこそだった。ひとまず騒ぎについてショックを受けていないのは、大きなことだった。
※※※
その翌日、マリアは足早に薬学研究棟に向かってしまった。
ルクシアの様子が気になって、王宮の建物廊下から降りると途端に小走りになった。人の目もないからと、小さな森のようになっている通路を走って進む。
その緑の道を抜ける直前だった。
不意に、護衛待機していたバレッド将軍とその部下達が、茂みから一斉に立ち上がってきた。
「おはようございますマリアさん!」
「うわっ」
「元気ですか!」
「我らは今日もムキムキ感も絶好調です!」
……後半の挨拶は、よく理解できなかったけれど。
今は、そんなこと重要ではない。マリアは、ひとまず「こほん」と咳払いをすると、やや足のペースを落として言葉を投げた。
「ルクシア様、どうでした?」
「お変わりないです!」
「お変わりあれば、我らがマリアさんに泣き付いています!」
バレッド将軍が真面目な顔で、部下を代表するよう腹の底から声を響かせた。
それを耳にした瞬間、マリアは一気に力が抜けそうになった。その正直さは、どうなんだろうなと思う。
軍人にとって〝上官〟への申告は正しいこと。しかし、それをたただのメイドにしていること事態おかしい。そもそも、慕われる要素など全く思い至らないのだが。
「昨日の一喝、胸に響きましたぞ!」
「へ?」
あの時は、夢中だったので口調以外ろくに覚えていない。するとバレッド将軍が、部下達と揃って胸に拳をあて続けてくる。
「そこで私は、マリアさんを〝心の友〟と呼ぶことにもしました!」
「え、それ、やめて」
お前ほんとどっかの筋肉馬鹿みたいだぞ、どうなってんだ大丈夫かよ。
そう色々と思ったのだけれど、マリアは「ああもうっ」と気になって先を急ぎ、バレッド将軍達の見送る姿を通り過ぎた。
研究私室に向かってみると、ルクシアの方は確かに昨日と変わりなかった。
昨日、無事にゲットした菓子を保存した瓶を引っ張り出した。朝の就業前のコーヒー休憩で、初めての味のものを選んで三人で食べた。
そうしている間に、ライラック博士が顔を出して輪に加わった。
「昨日は、マリア達と少し立ち寄って買って来たのです」
ルクシアは、昨日の騒ぎのことは伝えなかった。〝上〟にもそうお願いして、調査のために緘口令も敷かれてあった。
――ただ、あの場で、第三王子ルクシアの顔を知っていて、物影からじっくり見ていた者は知っているだろうが。
『陛下も可能性は考えておられた』
宰相ベルアーノとこっそり落ち合った時、ジョナサンが報告していただろう件をマリアはアーシュと耳にした。
ジョナサンが言っていた通り〝試された〟のだろう。
殺し目的で雇われていたとはいえ、相手とやり合った時、マリアは『手ぬるい』と前世の経験からも感じていた。
――試されただけ。そのためだけに、ルクシアを。
暗殺に失敗しようと、たとえバレッド将軍という護衛ずミスをしてルクシアが怪我をしようが、相手方には関係なかったのだろう。
マリアは、それがもやもやした。
考えなければならないことが、多い。
でも、今は王都の事件のことに、より集中しなければならないのだ。
マリアはオブライトだった頃の誓いを胸に、アヴェインが望む事件収束に向けて、カチリと気持ちを切り替えた。
※※※
――ちょうど、その少し前のこと。
「お菓子の気配がするなぁっ!」
そんなことをルンルン気分で言いながら駆けている男が、一人――というより、実年齢は立派な三十七歳の残念な成人男性がいた。
それは、ルビーみたいな目立つ赤毛頭をしたニールだ。
めちゃくちゃ童顔。ゆえに、お菓子の台詞も全く違和感はない。
「へへーんっ、ようやく時間空いた! 久々にお嬢ちゃんに会うぞ――っ! それから菓子も食べるぞ――っ!」
その時だった。
「なりません」
一つの美声が、淡々と彼の近くで上がった。
その瞬間、ニールが脊髄反応のように「うぎゃっ」と大きく肩をはねた。そこにモルツの姿を認めた途端、彼は猛ダッシュで薬学研究棟へと続く階段前を通過した。
「出たああああああ! なんでここに変態がいんの!?」
「アレの邪魔をしては、なりません」
「俺の邪魔してんのはお前だドアホ――っ!」
ニールは、本気の涙目で怒って言い返した。言い合いながらも、二人の激しい逃走と追走が廊下を騒がしくしている。
「私達は今回、留守番ですからね。総隊長からも指示がありましたので、お前はひとまず薬学研究へは行ってはいけません――って、聞いていませんね」
「うぎゃああああ変態が来たああああああっ!」
「全く、人の話を聞けと教わらなかったのですか? はぁ、私だって拳を追いかけたいのを我慢しているのに」
「この変態め! お嬢ちゃんを追いかけ回させないよ!?」
と、ちゃっかりマリアを擁護することを言いながらも、ニールはただひたすら全身の鳥肌を立てて逃げに徹していた。
――こうして、ルクシアの研究私室の平和が少し守られていのを、マリアは知らないでいた。