四十三章 剣と任務と闇医者(1)
――マリア達が、既に帰宅した夕刻の遅い時間。
「まさか、ルクシア様が襲われるとはね」
はぁ、やれやれと溜息を吐き、ジーンが三人掛けソファを一人占領してドカリと座り込んだ。疲れ切った様子で、ぐったりと足を投げ出す。
グイードが、その斜め向かいにある一人掛けソファに腰を下ろした。
「まぁな。想定の範囲内だったとはいえ〝予想していたよりも早く来た〟な。あちらとしても急ぎ知りたかったんだろうな」
そう口にしたところで、グイードがもう一人の入室者へ目を向けた。
「でも珍しいな。お前が休憩させてくれるなんて」
投げられた彼の視線の先には、ロイドの姿があった。揺れるマントを手で抑えながら、三人掛けソファの片方へと座る。
ここは大会議室近くにある部屋だ。
そこを今回、ロイドが休憩用にと指示して押さえたのである。
「なんだ、なんか嬉しいことでもあったのか? いてっ」
「急で頑張ってもらっているからだ」
ロイドが、イラついた顔で、テーブルにあった小物をグイードに投げ付けた。
「さすがの俺も、王都の新聞が騒ぎ立てた一件に、アヴェインが喰いつくと思わなかったんだっ」
「何意地になってんの?」
「ははは、もしかして新しい扉でも開いたかー。なーんつって――いってぇ!」
テーブルの横にあった比較的大きめの物を、ロイドが怨恨を込めてジーンに投げた。
――昔より丸くなったけど、やっぱり、相変わらず凶暴。
ジーンとグイードは、それぞれ当たった箇所を撫でながら静かに思った。黙っていれば美人なんだけどな、とか、昔よく頭を掠めた感想が過ぎる。
「日中にあったルクシア様の件だけどさ」
打たれ強いジーンが、先に手を下ろしてロイドに言った。
「ベルアーノがひっくり返ったらしいぞ」
「聞いてる。マリアとあの文官のアーシュが、すぐ報告したとは聞いた」
足を組んだロイドは、ちょっと不服そうな表情だった。
会議じゃなかったら自分が報告先だったのに、とか思ってそう――と、ジーンは個人的なことを想像した。
そんな中、グイードが座り直して口を挟む。
「まっ、アーバンド侯爵家のマリアちゃんがいたからな。最強の〝護衛〟だ」
その時、ノック音が室内に響いた。
そこで彼らは言葉を切る。視線で確認したのち、ロイドが許可するとメイド達が入室してコーヒーを用意した。仕事中のほとんどはコーヒーだった。
そのタイミングで、開いた扉をノックしてレイモンドが入室してきた。
――全員の視線が、無言のまま横目で彼の動きを追った。
なんだかレイモンドは肩も落としていた。彼がのろのろとした動きでロイドの反対側へ腰掛けると、速やかに用意を整えたメイド達が退出していった。
「で、なんでお疲れなの?」
誰もコーヒーカップを取らない中、グイードがスパッと尋ねた。
レイモンドが、ゆらりと顔を上げて彼を見つめ返す。
「……どこかの誰かさんが発破をかけて、それがなんの因果か、めぐり巡ってポルペオを動かして、例の暴れ馬の調教まで任されたからだよ」
レイモンドの声は、疲労で怒気を孕んでいるかのようだった。
つまり、かなりお疲れなのだ。彼らがつい先程参加していた大会議室の件と、レイモンドは別件の場所で話し合いをしていた。
「あー……、そっか」
グイードは、なんとも言えない様子で言葉を切った。
人の馬なぞ興味はない。だが、その馬、ニールがマリアとどうとか言ってたやつ……とジーンが押し黙っているかたわら、ロイドがコーヒーカップを手に取りながら切り出した。
「幸いだったのは、ルクシア様に大きなショックがなかったことだ」
「ああ、さっきの話か? ま、確かにな」
ジーンは、思い返しつつコーヒーを口に含む。
夕刻前、続いて終了時にも受けた報告で、ルクシアは大変落ち着かれているご様子だと、陛下一同で報告を聞いた。
「親ゆ――っと、マリアとバレッド将軍の方で生け捕りにして、一人も死亡者を出さなかったのも幸いしただろうな。剣の心得もない殿下に〝殺し〟はきついただろ」
その男達に関しては、警備部隊へと移されたのち、速やかに手続きが取られて中央軍部の方で引き取った。
現在、調べを進めているところだ。
だがここにいる誰も期待はしていない。足は付かないだろうなというのは、ルクシアが例の毒の研究をすることになった時点では推測されていたことだった。
「俺からしたら、十五歳なのに随分聡明なお方だよ」
持ち上げたコーヒーカップをぼうっと眺め、独り言みたいに続けたジーンに、一同の目が向く。
「恐らく、あのメイドの不審死に手を出される時、なんらかの事態を想定されて、覚悟してはいたんだろう」
前王宮医が残し、ルクシアに託したモノ。
彼は未知の毒の可能性に気付いて、それを追うことを決めた。そして、大きな何かが関わっていると察知した時点で、恐らく覚悟は当時以上に強まったに違いない。
でも、彼はあまりにも、自分の身の重要性を下に置く。
王位を継ぐのは兄、弟は守られなければいけない存在。そして自分は〝もう大人なのだから〟、父や母にも迷惑はかけられない。自分の身は、自分で守る――。
守るにしては、確かにやりにくい護衛対象だ。
「そのへんは、アヴェインの血を引いてるよなぁ」
姿勢を崩したグイードが、コーヒーカップを持った手を足に置いて言った。
「そういえば第一王子に関しては、責任感が強いお方だったからな」
レイモンドが、ふっと思い出して相棒に相槌を打つ。
「もしものことがあったりしたら、とお考えになって、自身が剣を扱えても決して前には出なかったよなぁ」
純粋に剣の才能から言えば、第二王子よりも秀でていた。
その時、カツン、と小さな音が上がった。
ロイドがコーヒーカップをテープルに置いて、一同の好き勝手な会話を止めた。ジーン達の視線が彼へと集まる。
「アヴェインは、十代で全師団の総指揮権を持ったほどの武才も持ってる――だが、ルクシア様は、違う」
ロイドは、はっきりと断言した。
ルクシアの誠意を思えば、断言したくない気持ちも僅かながらにあったのか、彼は珍しく真摯に言葉を述べた。
生ぬるい努力では、父王の〝護身〟に遠い。
よその国や他国の武将から言わせれば、アヴェインが〝化け物〟なのだ。
国を統治し、自身も剣となり、そして指揮官として間違ったことは一度たりともない。それでいて軽く暗殺術も心得ている。
――そして、軽い毒では到底、致命傷を与えられない。
「だから、堂々と現場に踏み込む〝王様〟なんだけどな」
グイードが感想をもらして、やれやれと肩をすくめた。
それを聞いたジーンが、ちらりと苦笑を浮かべて「仕方ねぇさ」と言った。
「俺らは、あの人に付いていくと決めた。なら〝お手を煩わせないよう〟死ぬ気で頑張るしかねぇってことだ」
毒の件も、ハーパーや大司教の方の進んでいる調査の件も、そして今回、彼の心を憂ませている王都の事件も――。
「他の若い連中には任せられねぇ。なら、俺らが班を組んで突入する。そのためには時間を空けるしかねぇわな」
ジーンは膝を叩くと、そうと決まればと立ち上がる。
「んじゃ、短い休憩をありがとよ〝総隊長さん〟。俺ぁ、仕事に戻るぜ」
アトライダー侯爵にして、大臣とは思えない物言いだった。
続いてグイードが、コーヒーカップをぐいーっと口元で傾けた。レイモンドも「よしっ」と一気飲みして立ち上がった。
――そこで、彼らの短い休憩は、終了となった。