四十二章 その動きの中でもう一つ(1)
例のバラバラの遺体の件は、情報がだいぶ集まったようだ。多忙を極めているらしいジーンが、久々に顔を合わせてマリアに教えてくれた。
――武器と毒物の売買の下受け組織。
彼らがもっとも金になっているのが、麻痺させるものから拷問用、殺人のための劇毒物の改良と開発だ。
人体実験用に人間を仕入れ、同時に臓器の売買も行っている。
「まぁ、例の薬の実演販売向けへて人間を流す取引きがあっても、おかしくないだろうな」
人身売買が、これまで王都の警備に何一つ全く引っかからなかった。
警備部隊へ献金をして協力を受けたのか。それとも、タンジー大国に関わるような――たとえばガーウィン卿に関わる大きな後ろ盾の影響がかかっていのか。
それらについては、実際に本人達を押さえて聞く他ない。
「待つより、押さえちまう方が被害も少なくて済む」
語ったジーンが、溜息をもらしながらガシガシと髪を乱した。
「こっちも色々詰まっている中だってのに、きっついぜ。まっ、陛下命令とあっちゃ無理しても整えねぇとな」
彼は、マリアと同じことを考えているようだった。
王宮の二階の一角、バルコニーで二人視線を交わし合う。しばし間を置いた後、ジーンはマリアに考えの一つを述べた。
「へたして、アヴェイン本人が飛び込まねぇように」
「ははは、まさか。そんな……うん」
「…………分かる。グイード達も、みんなその反応なんだ。ポルペオあたりが全く警戒してないんだけど」
どうなんだろうなぁ、と、二人は悩ましげに首を捻ったのだった。
気付けば、ジョナサンから忠告を受けて二日が経っていた。
ルクシアの方を注意しつつ、急きょ出た王都の人体実験のバラバラの件……両方に気を配っていたせいで、あっという間に感じた。
おかげで、一人歩くマリアは黙り込む表情だった。ツカツカと肩で風を着るように歩いていく様子は、迂闊に声をかけられないような雰囲気が漂っていた。
その時だった。彼女の表情が、そこで初めて変わる。
「ん? ――ぐぇッ」
直後、むんずと何者かに後ろ襟を掴まれて、雑に引き留められていた。
覚えのある感触だ。いやまさかと思いながら肩越しに振り返ると、そこにはこちらを見下ろすポルペオ・ポルーがいた。
「え。……なんですか、ポルペオ様?」
マリアの身で、向こうからこうしてこられるのもなかった。理由が浮かばず戸惑いの声が出る。
彼の黄金色の目が、すぅっと細められた。普段から表情が手厳しさに満ちているので、そうやられると威嚇でもされているみたいだ。
「人体実験をやっている組織が、絞り込めた」
「え? そうなんですか?」
「その中で、人を切り刻むのを実行しているのは〝一人〟だ。組織に協力している専門家がいる」
マリアは、マシューが『医療用の』と口にしていたのを思い出した。
「やっぱり、例の闇医者、ですか?」
「そうだ」
慎重に口に出した途端、ポルペオが断言した。そう答えたかと思ったら、マリアをそのまま手にぶらさげて歩き出した。
「ちょ、なんですかいきなりっ」
慌てふためいてバタバタしたら、ポルペオに横目でギロリと睨まれた。
「私とお前で、話を聞きに行く」
誰に?
というか、この状況はなんだと、マリアは予想外のことで驚いた。まさかのポルペオと組んでの外出任務らしい。
「そ、そんなに人員が不足しているんですか?」
「その通りだ。そして、私だけが行っても、すぐ去られる可能性がある」
……ん? 『去られる』?
マリアは、大人しくなってチラリとポルペオの顔を見上げた。
「それ、逃げられるという解釈でよろしいですか?」
「そうだ」
なんだ、そうかと思う。
だってそうでなければ、ポルペオが〝マリア〟と組んで外に聞き込みに行くなんて、絶対にないだろう。
「調べても全く糸が掴めんかったが、どうやらその正体を、ファルガーがある程度把握していそうだというのが判明した」
マリアは、空色の目を丸くした。
まさかとは思っていたが、先日会ったファルガーはやはり〝その相手〟を知っていたようだ。それで恐らく、レイモンドにあんなことを言ってきたのだろう。
※※※
「ボスを動かされたら、たまったもんじゃないですよ」
ポルペオと向かった先、王宮から一番近い時計塔のところで、ファルガーはだらしなく座って待っていた。
見える白い肌の部分には、ほとんどタトゥーが入れてある。髪は雑にぐいっと全部後ろへ上げられていて、細い目が憮然とポルペオを見上げた。
「お前、今回の騒ぎの件の、実行者を知っているな」
前置きも置かず、ポルペオが告げた。
ファルガーは姿勢を楽に、数秒ほどニヤけた顔で見つめ返していた。その笑っている顔は、やはり何を考えているのか分からない仮面みたいな表情だった。
「俺、本当に何も知らねーんですよ」
「嘘を吐くな」
ポルペオが強い声で言い返した。
ピリッと、一瞬場に緊張した空気が漂う。こういう訊き方はだめなんだけどなぁと、マリアはちょっと心配して両者へ視線を往復させていた。
「さあて。どうだったかなぁ」
ファルガーは面白がるみたいに、全く動じた様子もなく膝の上に腕を乗せる。笑う上目でポルペオを見つめ返す。
と、不意に、ファルガーが意味もなく舌を出した。
出された舌にも、黒いタトゥーが入っているのが見えた。厚みがやや薄い濡れた舌先で、きらりとピアスが光っている。
「貴様っ――」
「ポルペオ様ここは冷静にいきましょう!」
「ぐっ」
こういう相手や反応に対して、真面目なポルペオは慣れていない。マリアは咄嗟に彼の足を踏んで、抜刀しかけた彼の手を押さえさせた。
さすがのポルペオも、戦闘メイド特注の頑丈なブーツの底は痛かったようだ。だが短い呻きを上げただけで、小さく背を震わせて静かだった。
ファルガーが、目をまん丸くしてる。
マリアは足をどけると、彼に向き直って困ったように笑いかけた。
「指示を受けてメスを握っている方の情報だけ、なかなか掴めないようなのです。素直にボスに従ってここへ来たと言う事は、少し知っていることがあるのでしょう?」
窺うと、ファルガーが探るように見つめ返してきた。
「――ま、そうだね」
「でも話せという命令を受けていない。とすると、確かに回答は、ファルガーさんの自由ではありますよね」
彼の反応確認しつつ口にしたマリアは、そこで柔らかな苦笑を浮かべて〝お願い〟した。
「ここは、助けると思って一つ」
パンッと手を合わせて、軽く頭を下げた。
ファルガーが、マリアの行動に目を見開いた。
「……何それ。あんた、わざわざ俺みたいなのに〝きちんと頼む〟わけ? 不正取引きを所望されても、知らないよ」
女性相手であれば、考えられそうな取引きはいくつか浮かぶ。でも、とマリアは頭を上げて小さく苦笑した。
「そんなこと、ファルガーさんは、しないんじゃないかなって」
「はぁ? なんでまた」
「勘です」
――昔から、彼はそうだったから。
マリアは、メイドとして鍛えた作り笑いも思い浮かばなかった。ただただそんな思いから、素の下手くそな笑いで彼に応えていた。
今になって思い出したことがあった。
初めて出会った時、オブライトも今みたいに聞き込みをしていたのだ。
目撃者だよと路地から進み出てきたファルガーは、悪い子供ではないと思って、そのとある事件の情報を得るために道案内を信じたのだ。
それが、関わることになったきっかけだった。