四十一章 神父からの忠告(3)
マリアは、相変わらず自分ペースのジョナサンに呆れた。普段がド鬼畜野郎なのに、踏まれ、下に見られる側だなんて、ロイドは絶対嫌に決まっている。
この後の反応が、怖い。
もう目を戻すのが恐かったが、マリアはよしと覚悟を決める。
「なんか、すみませんでしたロイド様。謝罪しま――ん?」
謝りつつ、目を戻したところでハタとする。
こちらを凝視しているロイドの目の下が、ほんのりと赤い。その瞬きも忘れた瞳がマリアの顔を映し出した途端、彼がじわじわと頬を染めた。
「ロイド様?」
「ち、近いバカ!」
「ぶっ」
心配になって覗き込もうとしたら、顔面をロイドに鷲掴みされて押し戻された。彼の大きな熱い手が視界を遮って、マリアは全く前が見えなくなる。
「ひどい、心配しただけなのに、いたっ、ちょっ、マジでぎりぎりしてくるの無しです!」
「人の手の内側で喋る奴があるか! こ、呼吸するな!」
「んな無茶ぶりな――」
「それからネクタイだ! ネクタイを離せっ、立ち上がれんだろうがっ」
あ、それで、こういう形で抗議してんのか。
なるほど、相変わらず分かりづらい奴だ。マリアは言われた通り、まずは自分の手からネクタイを解放してみた。
続いて、もうしませんと両手を上げてみると、彼が手を離してくれた。
「ロイド様、本当に申し訳ございませんでした」
この後の報復を思って、マリアはひとまずスカートの前で手を合わせて謝った。少し赤くなった鼻先をこすると、ロイドが下手な咳払いをしてきた。
「その、すまなかった」
「え」
「さ、さっきのはお前が悪いわけじゃないだろ」
ロイドが顔をあちらへと向けて、慌てて言ってきた。
今のロイドは、マリアによく大人になった新しい一面を見せてきて驚かせる。また素直に謝られるとは思っていなかったから、意外だった。
なんだか、子供のロイドと大人のロイドが、たびたび重なって変な感じだ。
マリアは目を落として、よく分からない胸に手を当てる。
「それに……不覚もキュンときた……」
何やら、ごにょごにょと言われた。
考え出していたところだったから、マリアはよく聞こえなかった。
「え? なんか言いましたか?」
「なんでもない! ほらっ、行くぞモルツ!」
珍しくその場で待っていたモルツが、やれやれとロイドに従った。後ろに続くと、オブライトにやっていた頃と同じくぺこっと頭を下げてくる。
いや、今のメイドのマリアにされても、変だぞ。
マリアは、周りから集めまくっている注目に、大変困って引き攣った諦め笑顔で応えた。手を振る彼女の後ろで、ジョナサンが大笑いしていた。
※※※
――えらい目に遭ったなぁ、と思う。
午前一番のちょっとした騒ぎのせいで、マリアはげんなりとしていた。
図書資料館まで本を抱えて往復している間も、当時を知る者達にチラチラと目を向けられるのを感じた。
神父と総隊長の組み合わせは、とても目立った。おかげで、その『総隊長様』を足蹴にした光景は、より悪目立ちしてしまったようだった。
「あれがリボンのメイドか……」
「さすが凶暴と聞くリボンのメイド」
「あのちっこさで凶暴なのか」
たまに聞こえる「凶暴」云々の下りの印象についても、どうにかしてやりたいところだけれど、でもとマリア自身も思うところがあった。
うん、多分、私でも二度見するな。
午前中にあった光景を、第三者視点で想像してみるとカオスだ。ほんと、ジョナサンの奴め……と、オブライトだった頃と似たような状況には眉間に皺が寄った。
「あれ、どうにかならんかな……」
溜息を吐き出しながら、思わず目頭を揉み込んだ。今後も彼の気紛れな悪戯的なことが起こる可能性には、頭痛を覚える。
その時だった。凶暴、というキーワードの元凶らの声が聞こえてきて、マリアは目元から手を離した。
「あ――っ! 凶暴メイド!」
かなり煩い叫びだった。
ざわついた場所へ目を向けてみると、そこには第六師団の若い精鋭班の姿があった。先頭には師団長のポルペオがいる。
マリアは、その状況を前にちょっと困ってしまった。
ポルペオの師団は、基本的に優秀で頭のかったい者達の精鋭イメージがあった。あの若い奴ら、大丈夫か、と他人事ながら友人が心配になる。
「なんだ、その目は」
廊下の向こうからそのまま歩いてきたポルペオに、そう声をかけられて我に返った。
昨日と違って、ヅラも元のヅラに戻っている。でも今はヅラどころじゃないんだと思い、マリアはそっと視線を彼から逃がした。
「いえ、なんでもありません、すみません」
ひとまず、自動的にそう謝った。
すると、途端に後ろの第六師団の男達がざわっとなった。
「あの凶暴メイドが素直に謝ったぞ!?」
「今日は嵐でも来るのかっ」
「つか、謝るよりもっとポルペオ師団長敬えってんだっ」
「そうだぞ! ポルペオ師団長様は、偉いお方なんだ!」
こちらが何も言わないのを良しとしたのか、調子づいてどんどん言って来られた。マリアは容赦なく無表情で静かな殺気を放った。
「――オイ、いい加減にしろよ」
殴る一秒前の気配を察知した彼らが、反射的に押し黙った。
いや、こんなことをしている場合ではないのだ。図書資料館に本を戻しに行っただけなのに、なぜ孵りにこいつらに色々言われないといけないのか。
マリアは、つい溜息をもらして目頭を丹念に揉みほぐした。
「なんだよ、疲れてんのか凶暴メイド?」
一人がちょっと眉を下げて、ポルペオの後ろからわざわざ首を伸ばしてそう尋ねてきた。目を戻してみると、全員が似た表情を浮かべていた。
嫌っているのかなんなのか、よく分からない連中である。
年下の軍人に心配されている状況に、マリアは意識的に身体から力を抜いた。
「いえ、そういうことはございませんわ」
「吐息交じりだなぁ」
「そもそも『凶暴メイド』と呼ばれるいわれもありません」
ついでに言ってやったら、それに関しては彼らが一斉に『そんなことはない』と顔で伝えてきて、マリアはいよいよ分からなくなった。
部下達が落ち着いたのを見て、ポルペオがジロリと目を戻す。
「また騒ぎを一つ起こしたみたいだな」
朝の一件を言っているのだろう。手厳しい黄金色の目に見下ろされたマリアは、いたたまれずゆっくりと視線を逃がした。
「騒ぎ、というほどのことでもなかったのですが……その、予期せぬ目立ちになった自覚はあります。すみません」
言い訳をしたところで説教されるに違いない。オブライトだった当時と同じく、マリアは観念すると「ははは……」とぎこちなく笑って謝った。
騒ぎにはならなかったが、騒がしかったのは認める。
居合わせた者達には、精神的な意味合いで色々と迷惑をかけただろう。
恐らく、ポルペオはもう事情を知っているはずだ。ここで説教は勘弁して欲しい。そう思ったマリアは、彼が口を開くのを見てギクッとする。
「お前は――」
すっ、とその黄金色の目が眇められる。
けれど言葉は続けられなかった。何を思っているのか、はたまた疑いなのか、回想なのかは分からない。
もしかして、注意の言葉を考えているのかな?
――よし、それならチャンスだ。
「えっと、神父様には、できるだけ大人しくしてもらえるよう頑張りますねっ」
うん、あいつにはちょっと気を付けよう。マリアはそう考えをしめくくると、説教が始まる前にと速やかにポルペオ達のところをあとにした。