四十一章 神父からの忠告(2)
周りの者達が、ドキドキした様子でパッと目をそらしていった。見目麗しいミステリアスな神父と、超絶美しい毅然とした軍人公爵の組み合わせのせいだろう。
昔も、よくそうやってからかわれていたなぁ。
マリアは、少年だったロイドと、青年前のジョナサンを思い出した。昔よりジョナサン、ロイドに嫌われていないかとも思う。
「お前、何しに来たんだ。帰れよ」
「ひどい言い分です。あ――もしかしてカルシュウム不足ですか?」
分かったそうでしょという表情で、ジョナサンがピンと指を立てた。そう言葉を投げられた瞬間、ロイドの方からピキリと音が上がった。
「お前、俺に喧嘩売りに来たみたいだな」
ロイドは、今にも切れそうな様子だった。
すると、ジョナサンが口元に手をあてた。視線をそらしたかとか思うと、「ぷっ」と吐息をもらす。
「そもそも君とは喧嘩になりませんし」
「よし、表へ出ろ」
「やだなぁ、僕は物騒は嫌いですよ」
「その言葉、まんまお前に返してやりたい」
ロイドが低い声で言い放った。
その意見は一理あると、マリアは同意する。ジョナサンは神父風に飽きたのか、やれやれと肩を竦めてこう言ってきた。
「まぁ、ぶっちゃけ、僕は君にもSの魅力を知ってもらおうと思ったんだよ」
「お前の個人的な愉快を満たすのに付き合う気はない」
「え~。でもきっと面白いよ」
そう言ったジョナサンが、不意に表情をなくした。
「むしろ、僕が見たい」
美しい声で、恐ろしい本音が告げられた。
しばし、三人の間に寒々とした沈黙が流れていった。廊下を歩いていく人々も、本能的に何かを察知されたかのように近付かなかった。
「出たな、悪魔の本性が」
ロイドが、舌打ちする表情で呟いた。その台詞を、前世でいくどとなく聞かされてきたマリアは、もうなんとも言えなくなる。
すると、不意にジョナサンの目がマリアへ向いた。
「マリアさんも、気になるよね?」
「えっ。いや、全然――うわっ」
断っている最中、手を取られて引っ張られた。
慌てて見上げてみると、茶目っ気な目を寄越された。マリアは、ジョナサンが一体何を考えているのか分からない。
「おいジョナサン! 冗談じゃないぞ!」
いきなり珍しい大きな声がして、マリアはびっくりした。
あのロイドが、慌てて自分達を追いかけてきたのだ。滅多にないことだと思っている間にも、引き留めるように後ろから手を取られた。
「そいつに何かしたら、本気でただじゃおかない」
気付いた時には、ロイドに取り返されていた。彼の身体に、ポスンッと受け止められたかと思ったら、腕でかばわれてマリアは目を丸くする。
ジョナサンが、こちらを見てくすくす笑った。
「おやおや、珍しい台詞だね~」
確かに。……アーバンド侯爵から借りているメイド、だからかな?
そう考えると少しは頷ける気がした。彼は〝家族〟を大事にしているので、自分の管轄下で何かあったとしたらロイドが責任を問われるのだろうか。
でも、なんだか慣れない。
オブライトだった頃と、違いすぎる。
マリアは、ロイドの高い体温の中に閉じ込められていることに、気もそぞろになる。あの頃は、彼の方が小さかったのに。
そんなことを思っていると、ジョナサンがロイドに話し出す。
「でもね、ロイドにも悪い話じゃないと思うんだよ」
「信じるもんか。散々牛乳でもからいかいやがって」
牛乳?
ハタと、マリアは真上にあるロイドの顔を見上げる。その途端、形のいい顎のラインが目に留まって、なぜだか妙にそわそわしてしまった。
「はぁ、心外だなぁ。それに正直言うと、僕はずっと我慢していて、でも今やらなかったらあとでロイドのところに突入して、モルツにS行為についての長談義を聞かせるかも――」
「よし、分かった。譲歩する」
ロイドが、真剣にスパッと口を挟んだ。
それが良案だろう。地獄みたいな惨状だなぁと、マリアもジョナサンの報復的な嫌がらせを想像してロイドに深く同情した。
「で? お前は何が見たいんだ?」
ようやくロイドの腕が離れてくれて、マリアはほっとする。
ふふっとジョナサンが、立派な成人男性なのに天使みたいな印象のある美しい顔で、慈愛たっぷりに微笑む。
「ちょっとした実験だよ。もうね、絶対バッチリ似合うと思うんだ」
唇に口差し指を添える仕草は、とても色っぽい。
けれどマリアとロイドは、訝ってそのへんの威力は受けなかった。何が、と二人が言うよりもジョナサンが続ける方が早かった。
「ロイドも体験できるし、きっと楽しいと思うよ」
ジョナサンがうたうように勧めてきて、ロイドの表情は、ますます胡散臭いクズでも見るような目になる。
「体験する、という言い方の時点で、もう色々と嫌だ」
「まぁまぁそう言わずに」
くるっと、続いてジョナサンの目が向いて、マリアはギクリとした。
彼は、なんだかとてつもなくにこにこしていた。もう、それだけでかなり嫌な予感しか込み上げない。
「じゃ、マリアさんはまず、ロイドのネクタイを掴んで」
「え」
「その前に、ロイドはここでコウしようか」
「は」
こちらが何か言う暇も与えず、ジョナサンは次々と指示して、マリアとロイドは手と足を動かされた。
「はい、そこに足を置いて、仕上げでネクタイを引っ張って――はい、完成!」
ジョナサンが、真面目な顔でポーズの完成を告げた。
マリアは大変困惑した。今、廊下に尻もちをついたような姿勢のロイドの腹を、踏みつけた状態でネクタイを引っ張って顔を上げさせている。
え、……え、なんだコレ?
だが戸惑う時間も与えられなかった。
「そこでマリアさんっ、ハイ台詞!」
姿勢のせいなのだろうか。終わるまで満足しないジョナサンの最後の一声を聞いた瞬間、マリアはカチリと眼差しを殺気に切り替えた。
「『仕置きが必要らしいな』」
――いや、待った。なんでほんとコレ?
用意されていた台詞を告げてから、マリアは冷静に戻ってそう思った。
ロイドが、目を見開いてこっちを見ているのが、怖い。全然動かない。大変戸惑っているのか、それともかなり怒っているのか……。
「ヒュー! やっぱり最高だね! マリアさんが一番だよ!」
ジョナサンが、途端「きゃーっ」と成人男性なのに似合う可愛らしい仕草で、もうめいいっぱい喜んだ。
その声が耳に入った瞬間、マリアはハッと身体の強張りが解けた。ようやくロイドから目をそらすことに成功して、ジョナサンを見る。
「いや待て阿呆っ、あ、ちが、待ってください一体なんですかコレ!?」
慌ててメイド口調で言い直す。
ジョナサンが「うふっ」と笑って、マリアのほっぺたを指先でつんっとつついた。
「僕ね、これはマリアさんがするのが、バッチリ適役だと思うんだ」
「んなわけねぇ――っ!」
もう無理だった。マリアは思わず素の口調で言い返していた。
その直後、ふと別方向から美声が聞こえてきた。
「大変お羨ましい」
ハッと振り返ると、誰もが遠巻きに見ている中すぐそこの円柱から、じっくりと熱い眼差しを送ってきているド変態――モルツがいた。
その姿を認めた途端、マリアはゾーッとした。
「出た!」
「マリアさん。それ、さっきロイドが僕にやった反応と、全く同じ」
プッとジョナサンが笑った。
「お、お前のせいで、ドM野郎まで出たじゃないか……!」
「落ち着いてよ〝マリアさん〟」
つい、パニック状態になって口調が戻っているマリアに、ジョナサンが顔を寄せて怪しげに耳打ちした。
「ロイドだって、される側の体験ができて、新鮮で良かったと思っているはずだよ」
――いや、それこそ、まず、ない。