四十一章 神父からの忠告(1)
翌日も、ロイドの悩みは続いていた。
――昨日、マリアに完全スルーされたんだが、どういうことだ?
ロイドは、朝の集まりでもじっと考えていた。その視線が二割増しで威圧感をまとい、部下の一部がガタガタ震えているのにも気付かない。
つまり、男として全く意識されていない。
昨日から考え続けた結果、何度目かのその答えに辿り着く。
その途端に、彼の組んでいる手がみしりと音を上げた。近くにいた師団長補佐が「ひっ」とか細い悲鳴をもらして竦み上がる。
(今日の総隊長は、一段と機嫌が悪いな)
(あのバラバラ騒ぎのせいだろう)
(陛下も、ピリピリされていらっしゃるしな)
ひそひそと交わされる言葉も、ロイドの耳に入っていなかった。
向かい側の席で宰相のベルアーノが、とにかく無事に終わりますようにと青い顔で祈っている。その全体の様子を、モルツがじーっと眺めていた。
もしかすると結構意識されているのではと、ロイドは思ってもいた。
ドレスに身を包んだマリアは、エスコートに素直に従ってくれた。
見つめ合った視線の間に、何か特別な温度が生まれるのを感じた。ずっとこうしていたいと、彼は取ったマリアの手を離したくなかった。
――でも、先に赤面してしまいそになったのは、ロイドだ。
『お、お前小さいだろ。なら探してやるから』
好きだ好きだと考えていたら、どんどん意識してしまってマリアが特別に見えた。ふっと見上げてきた眼差しは愛らしく、そしてイケメン。
いや、だから、イケメンってなんなんだよ!
ロイドは、長テーブルにのせている肘にぐっと力を入れた。
次の議題が長引いていた男達が、そこからバキリと上がった破壊音にビクッとする。さっさと進めなければ殺されると、急ぎ話しが飛び交い出した。
普段そっけない彼女が、パーティーで可愛らしい笑顔を見せてもくれた――でも、トキメイていたのは自分の方だけなのか。
「…………なんだそれ、女々しすぎないか……」
ぼそりと自己嫌悪がこぼれ落ちる。
議題について発案していた騎士団側の男が、ひぇっと言葉を切った。ぐだぐだやっているのを女々しいと言われたのに違いないと、男達はピンときた。
「よ、よし解散だ! その件は却下!」
「そうだな、こちらで行くとしようっ」
「それでは、みな、御苦労だった!」
一斉に男達が動き出し、宰相ベルアーノも慌てて告げた。
そこで集まりが終了になった。こうしてはいられない。終わったと同時にロイドは立ち上がると、モルツにあとを任せてすぐに会議室を出た。
※※※
リリーナを第四王子の私室まで送り届けたのち、マリアはサリーと護衛にあたっていたヴァンレットと別れた。
王族区の私室を抜け、薬学研究棟を目指す。
頭の大きなリボンを揺らし、次の廊下も調子良くずんずん進んだ。
「うわっ」
だが、次の角を曲がったところで驚いた。向こうからロイドが足早に向かってきて、危うく衝突しそうになった。
何か急いでいたのだろうか。朝一番に珍しいことだ。
「あ、なんだロイド様ですか……その、申し訳ございません」
いきなり出てくるなよと思いながら、マリアはドクドクした胸に手をあてる。
そのまま通り過ぎようとした直後、彼が身体を横にずらしてきて前を遮られた。訝って見上げると、ロイドの眼差しがこちらを強く射抜いてくる。
「おい、お前の理想はなんなんだ?」
唐突に、そんなことを問われてかなり困惑した。
ロイドは、答えを聞くまで動かない戦法のようだ。苛々した様子で腕を組まれ、待機姿勢である。
ややあって、マリアはどうにか応える。
「はぁ、『理想』、ですか?」
「そうだ」
そうだと断言されても、意味が分からない。
「えっと、確認してもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「一体なんの『理想』になりますでしょうか?」
マリアが促すと、ロイドがハタと視線を落とした。
まるで、今になって少し我に返ったみたいだった。彼に限ってそんなことはないはずなのだが、顔を覗き込もうとしたら視線をそらされる。
なんだか妙だ。怒っている感じもないし、一体なんなのだろうか?
「たとえば、の話だが」
目を合わせるのを三度ほど失敗したところで、ロイドが小さく咳払いをして、思案気な声を出してきた。
「恋愛小説だと、何が好みだ」
「え、なんですって?」
まさかの質問内容で、マリアは一瞬自分の耳を疑った。
「ロイド様、ロマンスもお読みになられるのですか?」
「たとえばの話だっ、たとえばの!」
なんだかムキになって返された。
社交での雑談に対応して、そちらの話題作も読んでいるのかもしれない。貴族達がこぞってハマっていたからという理由で、推理小説も少年師団長は把握していた。
――まぁ、内容だけ、ではあるけれど。
面白かったのかとオブライトが尋ねた時、面白いか面白くないかはよく分からない、というひっどい返答があったのは覚えている。
「お前は読むんだろう」
ぶすっとロイドが尋ねてきた。
「いえ? ほぼ読みませんけど」
マリアは、即そう答えた。
その途端、再び会話が途切れた。気のせいか、ロイドの方から黒いオーラがもれ出しているように感じた。話が進まないのを苛々している感じもあるし、内心で色々と罵詈雑言されている気が……。
今日の彼は、一体なんなのだろうな。
マリアは困った。ひとまず面倒はごめんなので、付き合うことにする。
「そうですねぇ。――ああ、メイド仲間が、そういうのは好きですね」
ふと、思い出して口にした。
「なら、それでいい。お前がいいと思うのは、あったのか」
「さぁ、私もほとんど語り聞かされる側で――あ、でもそうですね。遠い世界すぎて『お見合い』的なのは、頭に残りましたね」
「見合い?」
「はい。先に思いを伝えたにせよ、そういうのって、きっと大事なんだろうなぁって」
それは、オブライトが、できなかったことだ。
だからだろう。マリアはカレン達が熱く語っているそばで、ふっと、そこがとくに頭に残ってしまったのだ。
――テレーサに想いを伝えられなかった。
もし、あの時、自分達の間に何もなかったとしたのなら、と、マリアは彼女達の話を聞きながら少しだけ想像したのだ。
そうだったとしたら、自分はテレーサに思いを伝えていただろう。そして、家族になりませんかと、きちんとした席で申し込んだのではないか――と、今の幸せな頭で思い描いてしまったのだ。
当時は、そんなことを考える余裕すらなかったのに。
いや、考えると辛かったからだ。初めて、共に生きたいと愛した女性だったから……。
「まっ、たとえ話ですけどね」
黙り込んでしまったと気付いて、マリアは自分達の間に流れている沈黙を払うようにそう言った。
だが、改めて目を戻したところで驚いた。ロイドの方こそが、何やら考え込んでいたのだ。
それに疑問を覚えかけた時、知った男の声が耳に飛び込んできた。
「おやおや。こんなところで、いかがされましたか?」
その聞き慣れない〝敬語声〟に、マリアとロイドは反射的にゾワッとした。もう聞き慣れなさ過ぎて、全身がぞわぞわとしてくる。
と、ロイドが素早く振り返った。
「出たな!」
「失礼ですねぇ、総隊長様」
そこには、王宮内でかなり目立つ神父衣装のジョナサンがいた。
にこにこと天使のように微笑んでいる彼が、そそっと歩み寄ってきた。そして、流れるような仕草でロイドの顎に指をかけ、そっと持ち上げて覗き込む。
「僕は神父です、博愛なのです」
「やかましいっ」
ぞわぞわした様子で、ロイドがスパーンッとジョナサンの手を払った。