四十章 「我らは、正義ができないことを」(3)
そう答えると、アルバートがにっこり笑って「それはどうも」と言った。彼は年齢や立場的に〝兄〟にあたるのだが、たまにこうやって家族に教えられたがる。
そうやって、どこか、少しだけ子供みたいな人。
それは、父親のアーバンド侯爵に少しだけ似たのかもしれない。けれどアーバンド侯爵の場合は、誰もが超えられない父親みたいな存在でもある。
「アルバート様こそ、珍しいですね。急ぎのことが一旦落ち着かれたのですか?」
ふと思い出して、マリアは話を振ってみた。
空を眺めた彼が「いや?」と疑問形で答えてくる。
「次に控えていることがあって、その前休憩みたいなものかな。少し、忙しくなる」
忙しくなる前には、しっかり休憩を取る。そして忙しくした後にも、きちんと休息を入れるのはよそと変わらない。
何かが動き出しているのを察知して、予測から支度を?
マリアは、うーんと首を捻って考える。アーバンド侯爵は、かなり先まで読む人だった。そうやって予定を組むのも珍しくない。
色々察知も早いからなぁと考えていると、ふっと足音が現われた。
「こんなところで、二人何をしているんです?」
それは、アルバートの侍従マシューだった。
マリアは、顔を上げてそちらを見やった。近衛騎士の軍服に身を包んでいる彼の姿を目に留めると、さっきぶりの使用人仲間に挨拶する。
「あ、マシュー。こうして朝にゆっくり会えるのも、いいわね」
「ありがとうございます、マリア――アルバート様、そこで嫉妬してこないでください」
「僕より会える時間がやや多いのはね、どうかと思うんだよ」
使用人仲間としては、確かにアルバートよりも顔を合わせる機会は多い。
マリアは、なるほどと思った。
「仕方ないじゃないですか。アルバート様は忙しいんですから」
「そうだね。確かに、屋敷ではひたすらリリーナを愛でるのに忙しい」
真面目にアルバートが言い切った。
そんな彼を見て、マリアとマシューは正直ドン引いた。誰もそっちの忙しさは指摘していない、と述べてしまいたかった。
「僕の妹は、世界で一番可愛いよね。殿下が好きすぎて、王宮に着ていくドレスと、授業用の衣装を『どれがいい?』って僕の目の前でファッションショーをやってくれるのが、あどけなくてホント可愛い」
うっとりとアルバートが回想した。
「アルバート様の横で監視している旦那様の表情が、ありありと想像できますね」
マリアが半笑いでさらっと述べると、マシューが頷いた。
しかし、そんな声がアルバートに聞こえていないことは、二人は百も承知だった。案の定、彼はこう続けてくる。
「あと数年もしたら、ずっと愛でていられなくなると思うと、はぁ」
これまでで一番の溜息が出た。
一見すると、アルバートは見目麗しく色気もあるものだから、溜息すら女性陣には尊い構図になっている。
だがマリアとマシューは、別のことを真面目に考えていた。
――その前に、妹離れをしないとまずいのでは。
前回、王宮でちょっとした騒ぎになりかけた思い出が蘇る。その経験からも、二人はそう思った。
「えぇと……リリーナ様は、そろそ最後のお支度を終えられますかね」
この微妙な沈黙を、ひとまずどうにかしようと思って切り出した。時間的にも、そろそろだろう。マシューの方を確認すると、こっそり拝まれた。
対応が正解だったと分かったマリアは、立ち上がった。
「それじゃ、戻りますか、アルバート様」
そのまま、くるりと振り返って隣へ手を差し出したら、アルバートがきょとんとして、それからにこっと笑った。
「ありがとう、マリア」
「いえいえ」
昔より、随分と大きさが違ってしまって手を、しっかりと握って引き上げた。
その様子を、マシューが見届けて「やれやれ」と呟いた。二人の腰元についた芝生の葉を、兄弟みたいに手早く落としてやる。
「最近は、アルバート様も少し落ち着かれましたよね」
「そうかな?」
「僕の目から見ると、そんな感じです」
――おかしいな。さっきの妹下りで、全くそんなことは感じなかったのだが。
マリアは、マシューの言葉を真剣に考えてしまった。よくジョセフィーヌが遊びにくるのだが、先日も彼女達の輪の中に平気に入って賑やかだった。
うん、落ち着きはない。
同じく、リリーナの愛らしさを眺めまくったマリアは思った。
「それで?」
唐突に、アルバートの目がこちらを向いて「へ」と思案が途切れる。
「何か考え事をしていると取られて、マリアは少し休憩をもらったんだろう? 少しは、肩も軽くなった?」
「あ」
バレてた。
マリアは呆気に取られた。それから、こちらを優しく見ているアルバートとマシューの視線に、少し遅れて恥ずかしくなってきた。
やっぱり〝家族〟に隠し事は難しいのだろうか。
前世でも、今世でも、親兄弟なんていなかったから分からない。でも、その眼差しに友人達とはまた違った温かさがあるのは感じていた。
「その……、昨日臨時で動くことになった王宮の件です」
「王宮の?」
「はい。別に悩んでいたわけではないのですけれど、なんだかなぁ、と思うところもあって」
「ああ、原型を留めていない遺体のことか」
とくになんとも思っていないらしい。アルバートが、これといって気掛かりもなくにこやかに首を傾げた。
――それはそうだろう。彼には、その感覚が〝ない〟のだから。
「そういえば、騒ぎになっているみたいだね」
にこっと笑ったアルバートが、そこでマシューを指差す。
「その件に関しては、マシューから面白い見解があるよ」
「へ?」
「随分悪趣味というか、同じ人間の手口だと思います」
マリアがパッと目を向けた途端、マシューがさらっとそう述べた。
「えっ。マシューは全部、同一犯がしたことだと思ったの?」
「はい。斬り慣れた僕から見ると、鮮やかな切り口は、同じ人間の手によるものかと」
通りがてら見た際、それが一目で分かって印象的に残ったようだ。医療用の物で全部が斬られていたのも珍しい。
そうすると、関わっている闇医者は、たったの一人?
マリアは、昨日のファルガーの『噂話』とやらを思い返した。マシューが気付くくらいだから、既に王宮側も調べて至っている可能性はあるだろう。
そう考えていると、マシューがこう言ってきた。
「ああいうのは、正義の者が対応するのに適っているのかな、と」
「正義?」
「たとえば、まさに国王陛下がそうでしょう」
見上げるマリアに、マシューは柔らかく微笑んだ。
「だから旦那様も、要望があってすぐ、陛下が〝こちらの手を借りずにすること〟を、承知したのではないかと思います」
その時、芝生を踏む音を上げてアルバートが口を挟む。
「僕らは〝正義〟じゃないからね」
アルバートは、ごくごく普通にあっさりとそう言ってのけた。
「でも間違うことは許されない。それが、僕ら〝アーバンド侯爵家〟だよ」
――そういえば、以前の私だって、そうだった。
マリアは、ふと気付く。黒騎士部隊は、たとえば正義一徹のポルペオ達の部隊には、できないようなことを請け負った。
代わりにすべきことをして、罵られ、嫌われる。
それでも、だからこそ、黒騎士部隊は誇りを胸に、笑ってやってこられたのだった。