三十九章 懐かしい邂逅と、やばい邂逅(2)
パーティーがあった翌日、マリアは薬学研究棟でルクシア達と再会した。
「参加すると聞いていたのですが、マリアはどちらにいたのですか?」
コーヒーを淹れたのち、例の話題が出てむぅっとなる。
「私もいました。リリーナ様のダンスだって、ちゃんと見届けましたし……会場で手を振ったのに、お二人共気付かれなかったんです」
おかげで、ロイドと踊ったことよりそちらが頭を占めた。
あのあとリリーナ達のダンスを見に行った。手を引かれ、引き留められて、他にこれ以上何かあるのだろうかと、不思議そうにロイドと目を合わせていて――。
その時間が、どうしてか周りの音も小さくなって聞こえた。
『お、お前小さいだろ。なら探してやるから』
リリーナとクリストファーのために、また流れている曲が変わった時、ロイドはパッと目をそらしてマリアを引っ張り出したのだ。
慣れない親切に戸惑っていたのだろうか?
でも、マリアは不思議な気持ちで、その大きな背中を見ていたのだ――今のロイドなら、スマートにしてしまえそうなのに、と。
「お前、いたのか?」
文官服の上から白衣をはおったアーシュが、目を瞬く。
「キッシュ達とは会ったけど、ちょっと探しても見当たらなかったからさ。どっかで護衛っぽく紛れ込んでいるのかと思った」
「参加者としていたの。踊りもしたし」
「おかしいな、目印のリボンはチェックしてたけど」
まさかの、ここにきて、リボン!
マリアは再びリボン説が蘇り、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。嘘だろ、もしかしてアーシュもリボンがなかったから分からなかった、とか……?
ロイドは、遠目からでも〝マリア〟を見付けてくれたのに。
その時、向かい側から声が上がってハッとした。こう言いながらルクシアが、表情をやや変えて申し訳なさそうにしていた。
「すみません。私も気付きませんでした。スケジュールをこなすのに意識を取られていました」
「あっ、いえ別にいいんですよ。ルクシア様は王族席でも忙しそうでしたし」
マリアは、慌てて手振りを交えて伝えた。
それを隣から、アーシュが呆れたような目で眺めやる。
「お前、嘘が下手というか……ルクシア様に関しては多めに見てやれよ」
「いや、ほんと私は怒っているわけでは――」
「ルクシア様はさ、護衛部隊がいたからだと思う」
ぐいっとアーシュが顔を寄せて、マリアの耳元でこそっと伝えた。
「あ」
マリアは、それで全てを理解した。
ムキムキのバレッド将軍とその部下達が、華やかな場で異様な存在感を放つ。どうにか気をそらそうと必死に顔をそむけているルクシアの構図――がパッと頭に浮かんだ。
王族としてスケジュールをこなすのにも気を張っていたと同時に、十五歳の第三王子である薬学研究棟の所長の彼は、精神的に他の余裕がなかったみたいだ。
「そうだったのですか。私、将軍様達に気付きませんでした」
「マジかよ。あれ、殿下達よりも注目を集めてたぜ」
「アーシュも、ほとんどそっちに気を取られていた感じなのね。それで、私に気付かなかった、と。リボンのある無しに関係なく」
「あー……その、気付かなかったのはマジで悪かった。そりゃ、せっかく着飾ってたんだし、さすがにお前も可愛いだとか言われたいよな」
友人として顔くらい見てやろうという気持ちしか浮かばなかったのを反省し、アーシュがごにょごにょと詫びる。
だがマリアは、なんだリボン説ではないのかと安心していた。隣からの小さな話し声も聞こえず、ようやく気持ち穏やかにコーヒーを口にした。
それにしても良かったと、バレッド将軍達を思った。
そうか、彼らもあの場に参加していたのか。あのような場に礼服で共に参加できるのは、光栄で名誉あることだ。
前世で軍人だったから、雰囲気に慣れすぎて彼らの存在感を〝異様〟と取れなかったのだとは気付かなかった。
――でも、バレなかったおかげで、誰にも貧乳と言われなかったのも確かだ。
コーヒーで落ち着いたマリアは、ハタと気付く。
実のところ、屋敷では散々使用人仲間の一部にからかわれた。一番そこを気にして「言われたくないから会いたくない」と思っていたのは事実だ。
思い返すと、ロイドも胸については全く言ってこなかった。
あのような場であるし、空気を読んで、そこはしいじってこなかったのだろうか。
そう思って首を捻った時、扉のノック音が上がった。
「あ、私が出ますよ」
ルクシアとアーシュに、そのまま座っていてと手でも伝えて扉へと向かった。開けたところで、マリアはかなり見上げた空色の目をきょとんとさせる。
「あれ? バレッド将軍様ではないですか」
「うむ。実はな、これを〝メイドのマリアさん〟に」
「私?」
彼が、大きな身体を少し屈めて畳まれた小さな紙を差し出した。
「『護衛殿、これをよろしく』と言われ、頼まれたのだ」
手渡した彼は、誇らしげに顔を上げた。
ここにいるルクシアの護衛、そう認識されたうえで、彼のところにいるメイドに届けてくれと頼まれたのが嬉しかったのだろう。
「そうですか。それはありがとうございます」
マリアは、答えて「あ」と声をもらした。その当のルクシアを思い出して、ハツと振り返ってみたところで、しばし固まってしまった。
……かなり距離感があった。
ルクシアは、先程まで作業台にいたはずだった。それなのに今は、アーシュを引っ張って棚側まで後退したうえ、彼の後ろに隠れてこちらを窺っている状態だ。
その姿は、まるで怯えて警戒した猫。
いや、いちおう十五歳の男の子であるので、そう言うのは失礼か……。
マリアは、脳裏に一瞬過ぎった感想に悩む。しかし、見た目がそれ以下。幼い感じのほっぺただとか、大きな目だとか、サイズの合わない白衣から覗く華奢な手。
そんな彼が、猫みたいに青年の後ろに隠れている。
――そんなの、いよいよ可愛いに決まっている。
「おい、やめろ」
その時、アーシュがズバッとマリアの方へ声を投げた。
「お前、なんか身から出ているのか? ルクシア様が余計後ろに下がっただろ」
「え、なんで?」
身に覚えがなかったマリアは、きょとんとした。しかし、そばに立っている大男のことを、ハタと思い出す。
バレッド将軍を忘れていた。
本人の前で、ルクシアの露骨な距離感はショックだったかもしれない。
バレッド将軍は悪い男ではないのだ。フォローせねばと思って目を戻したマリアは、その一瞬後、自分の懸念であったのを知った。
「すみませんバレッドしょ、う、ぐん……」
そこには、目を輝かせて、ルクシアに向けてぶんぶん手を振っているバレッド将軍がいた。これのせいで余計に後退したのではないだろうか?
「目が合って光栄です我が君!」
そして、当のバレッド将軍はかなりポジティブでもあった。
マリアは、しばらく言葉に悩んだ。
「……えぇと、それ以上されるとルクシア様が続き部屋に行ってしまいそうなので、少々抑えて頂けると有り難いというか、なんというか……」
「そうかっ、お仕事の前であったのに、その休憩を邪魔してすまなかったな!」
「え? ああ、いえ、そうではなくってですね――」
だが、マリアが説明する前に、バタンッと扉が目の前で閉められてしまった。
行動が早い。なんというか、潔いという面では良いのかもしれないが、あれだけ人の話を聞かないところも、昔いた誰かを思わせる。
けれどそんな思考も、畳まれた用紙を広げた途端に終了となった。
マリアは、もらったその知らせに目を丸くした。そこには、こんなことが書かれてあったのだ。
【王都の違法人体実験について。レイモンド、マリア、以上二名はすぐに資料を――】
オブライト時代には、よくあった事だった。急に決まったその決定と指示に、慌てて時計を見た。
時刻はすぐそこだった。
「すみませんっ、私少し急ぎで行ってきます!」
また何かしらの呼び出しであると察したのか、作業テーブル戻ったルクシアとアーシュは「いってらっしゃい」とマリアを見送った。