三十九章 懐かしい邂逅と、やばい邂逅(序)
じめじめとした場所だった。
空気はやや冷えているので、しっとりと絡みつく印象でもある。そこには換気口からの音が聞こえていた。
「この世は~、地獄なのさ~。僕は~生きているのか~死んでいるのか分~から~ない。でも~どっちでもい~い~」
窓もない部屋。向かって奥のテーブルで、動かす手に合わせて白衣の背を少し揺らし、自作の歌を口ずさむ細身の男がいた。
軽い口調であった。
しかし、縁起が悪く――とてもとても不気味でもあった。
「おい。あんた、気を付けな」
取りに来た〝商品〟と共に、血生臭い〝不要な物〟を回収しに来た無精鬚の男達のうち、一人がたまらず遠慮がちな声を投げた。
――ぐちゅ、と音がした。
ピピッと男の白衣に〝何か〟がかかって、赤い染みを作る。彼の作業テーブルにあったモノが、反射的な痙攣運動を見せて静かに揺れた。
他の男達が、さっさと出たいと先程の男に目を向ける。
視線を察知した彼は「分かってる」と手を向けつつ、その白衣の若い男へ忠告を続けた。
「ボスに頼まれたのは知ってるが、それでも少しは、あんたの方で助言でもしてやる方法もあるだろうに」
「助言? 一体、なんの?」
「あんた以外、ここで、これだけの〝執刀〟をできる人間はいない」
すると、白衣の背がくつくつと笑いで揺れる。
「僕が限度枠でも設ければいい、と? 僕は斬るのが好きなの、それがたまたま外科から医療に至って――闇医者に戻った僕を、君らのボスが買ったんじゃない」
「そうだが」
男が考え込む。
「最近は、うちのボスもちょいと過信なんじゃないか、と思ってな」
裏の法は破ってない。
ガネットファミリーには土地の活動代を払っているが――話を尋ねられたり、警告のようなことは受けてはいない。
その過ぎていった年月が、彼らのボスに根拠のない保身の確信と、自信を与えた。
「ここは王都なんだぜ。あまり派手に動くと、狩られる」
「昔と違って、平和すぎるのに?」
間髪を入れず、青年の声が強めに響き渡った。
それは男達が初めて聞く、ハッキリと言い切った物言いだった。狂った人間。そう認知されていただけにハッと耳についた。
室内に、どこか緊張したような沈黙が漂った。
この白衣の男は、殺しにも長けた。一瞬で自分達を裂いてしまえるだろう。
「ああ、お前さんは知らないか」
――闇の世界に、ふっと転がり落ちてきた狂人。そんな彼が、ややあってから首を傾げるのが後ろから見えた。
「昔ね、すぐに解決してくれる、正義の味方みたいのがいたのさぁ」
また、ふにゃりとした物言いになった。
まるで鼻歌交じりみたいに、笑った声で彼は勝手に一人続ける。
「竜の軍旗を背負って、悪い奴らの元に現われて退治していくの。こぉんな悪いことなんて、ぜぇんぜんできない」
ふふふ、ふふふ、と彼の言葉はあやふやになった。
尋ねた男が、訝って顔を顰める。すると待っていた男達のうちの一人が、彼の肩を掴んで押さえた。
「おい、やめとけ。あいつは、ただただ狂ってんだ。へたに突っ込むな」
「あ、ああ、それは分かってる」
「お前ら、この荷物をさっと運ぶぞ。取引き相手がお待ちだ」
男達が、その部屋から離れていく。
鍵のない扉が、ぎぃぃと音を立てて、ゆっくりと閉じていく。
――解剖狂いの闇医者。
それが、今の彼の全てだ。