三十七章 総隊長様と神父様(4)
翌日、マリアはダンスの授業前、少し早めに到着してしまったので、近くの外階段に腰掛けていた。
「リリーナ様も、ご成長されたなぁ……」
ふと思い返してしみじみと思った。スカートを押さえつつ、膝を立てて座り込んでいる自由なメイドを、後ろを通った王宮の使用人たちがビクッと見やった。
また、一時、人の通りが絶える。
王宮の午前中、落ち着いた時間だった。風につられて目を上げてみれば、そこには清々しい青空が広がっていた。
「いい天気だなぁ」
マリアの大きな空色の瞳に、青空が映っている。
と、不意に、そこが一人の美しい男のキラキラとした笑顔で遮られた。
「やっほー、オブライトさん。相変わらず、ぼんやりしてるの?」
あははは、と笑ったのはジョナサンだった。
マリアは、ビクーッとして反射的に頭位置を戻した。
振り返ってみると、そこにはやっぱり神父衣装をしたジョナサンがいた。ええぇ……と思っていると、何を思ったのか、ひらひらと手を振って応えてくる。
「……お前なぁ、いつも唐突に出てくるなよ。神父職はどうしたんだ」
周りに人がいないのを確認してから、マリアは呆れて吐息混じりに言った。
「あはは、ちょっと休憩だよ。僕、前回ずっと頑張ってたでしょ?」
言いながら、彼が隣に腰を下ろしてきた。
つまり王宮を徘徊――探索して、また色々と困らせているんだろう。その光景が、マリアの脳裏に容易に浮かんだ。
「リリーナ嬢、とてもいい子みたいだね。少しいる間で、よく分かっちゃった」
不意にそんな声がして、マリアはジョナサンへ目を戻した。
すると、同じように見てきた彼の愛想がいい目と、ぱちっと合った。相変わらず、こうして見ていると無害っぽい――が、腹が全く読めないところに脅威を感じる。
「オブライトさんが今考えてるのって、昨日あった小さな騒ぎでしょ?」
「また当てる……なんだ、お前もいたのか?」
「んーん、僕は昨日来なかったもん。ふふっ、でも、そんなのすぐ分かるよ。だって、オブライトさんだもの」
よく分からない事を言われた。マリアが首を捻ったら、ジョナサンが軽く笑って続ける。
「大丈夫だよ。逆に、第四王子の未来の妻として素晴らしいと、評価はかなり上々だよ。彼女凄いよね、十二歳なのに、間違った侮辱なんかは一つも言わなかったらしいよ?」
「そうか」
ふぅ、と知らず知らず息を吐いて肩から力を抜く。
安心したマリアの横顔を、ジョナサンがふむふむなるほどと眺めていた。でもその表情は、小馬鹿にするというよりは、満足そうで。
「んじゃ、僕はもう行くかな」
あっさり退場を告げられ、マリアは立ち上がった彼を意外そうに見上げた。
「もう行くのか?」
「ん? もっと居て欲しい?」
……いや、それはちょっと勘弁して欲しい、かもしれない。
マリアは、オブライトだった頃の色々な迷惑を思い出して黙り込んだ。ただ、こんな風に彼が目的もなく声を掛けただけ、という状況が珍しい気がしたのだ。
そんな事を考えていると、ジョナサンが肩を笑いで揺らした。
「ふふっ、いいね。またここに来れば、オブライトさんに会えるんだもの」
どういう事だろうかと、マリアは疑問でならず見上げる。
そうしたら、ジョナサンが神父衣装をひるがえして歩き出した。
「僕は、もう少し遊んでからここを出るよ。じゃーね」
そう片手を振って告げた彼の姿が、向こうへと見えなくなる。
来るのも唐突だが、去るのも実に自由なタイミングの男だ。昔から変わらないなと思った時、マリアとふと思い出した。
そういえば、あいつは大丈夫かな?
というのも、それはあのロイドである。
マリアが覚えている限り、当時十六歳のロイドにとって、当時十八歳だったジョナサンは、唯一の苦手な宿敵か天敵みたいに馬が合わなかったようだった。
※※※
マリアが、そんな事を思っていた頃。
――当のロイドは、出入りしているジョナサンのせいでストレスが溜まっていた。
そんな中、軍区のとある広間にて騒いでいる若手がいた。銀色騎士団と騎馬隊、そこに所属しているグループ同士が喧嘩しているみたいだと通報がされていた。
「だーかーらー、なんでお前らは歩きながら菓子食うわけ!? これ見ろっ、ぶつかって菓子クズだらけじゃねぇかああああ!」
「も~、第六師団は固すぎるぜ。もっと肩の力を抜いて行こう」
「お前らがっ、騎馬隊の中でもゆるっゆる過ぎるんだよ!」
片方は、ポルペオの第六師団の優秀な若者が集められたグループ。もう片方は、騎馬総帥レイモンドが臨時任務でも抜擢した、実力派の騎馬隊の若手小隊だ。
双方、なんだか最近は『仲がいいのか悪いのか分からない若い軍人同士』の組み合わせであると、知られてもいた。
「話しているのに食ってんじゃねぇよ!?」
「親切な神父様にもらったんだ~」
「嘘付け! 王宮に神父がいるかっ」
通報を受け、そこに来たのは総隊長のロイドだった。そばには、これからある次の会議も参加する一部の軍人の面々もいた。
ポルペオ師団長と、騎馬総帥、どちらもそのお墨付きのグループなのだけれど……と、短い休憩を取っている最中に相談を受けた。
もう対応を検討して答えるより、自分で来た方が早いと思った次第だ。
他の軍人らは、ロイドの指示を受けたら速やかに行動を取る心構えでいた。
――のだが、その顔面は青い。
直後、爆音が鳴ったかと思ったら、言い合う第六師団と呑気な騎馬隊の間を通って、廊下の屋根を支える独立柱の中央部分が破壊された。
一瞬にして、その場が静まり返った。
両者の若い軍人達が、ぎこちない動きで砲撃の発射位置を見た。
そこには、肩にバズーカをのせて立っているロイドの姿があった。
「な、なんで総隊長様が、ここに……」
「説得して解決させて欲しい、と相談を受けて、ついでに立ち寄った」
「えぇぇっ、言ってる事とやろうとしてる事が全然違う!」
呑気な騎馬隊の一人が、所持されていて、しかも何も言わず一発目が発射されたバズーカを指して言った。
ロイドは、失神級の殺気を放ってくるわけでもない。かえってその落ち着きが、速やかに労力を使わず始末するか、といった感じにも捉えられて、若手の第六師団と騎馬隊を慄かせた。
すると、さすがはポルペオの師団。勇気を奮い立たせた一人が、ロイドに直接確認した。
「説得して解決とご自身でも口にしたのに、じゃあなんでバズーカを持ってんですか!?」
「いや。なんかもう面倒だな、て」
「それだけで吹き飛ばそうとしているんですか!?」
ロイドは、もちろん彼らの言い分なんて聞かなかった。というか、論争がそもそもくだらない。そして、そのタネをまいたジョナサンにも、ストレスだ。
そのまま、彼は再びバズーカを構えた。