三十七章 総隊長様と神父様(2)
ポルペオの一件があったのちも、マリアのダンスの研修は続いた。あれから彼は元の調子に戻ったようだ。例の王宮のメイド達も事情を知って安心していた。
そうしている間にも、とうに日は一週間を過ぎていた。
更にそれも数日を過ぎ、マリアの方もまぁまぁ落ち着き始めている。
とんとんと進められていたパーティーの準備は、本格的なものに入ったのか王宮の見える位置でも各々にわかに忙しない。
といっても、あとは参加を待つばかりの面々は、楽しみしかないらしい。王宮勤めの貴族らは、どこか明るい面持ちであったし、所々の休憩所での談笑は二割増しに賑やかだ。
本日も約二時間のダンスの授業を経て、マリアは別室をあとにした。
「正午まで、あと一時間か。先にコーヒーと菓子のストックを……あ」
薬学研究棟に戻るまでのスケジュールを組み立てていたら、向こうから歩いてくるレイモンドが気付いて手を振ってきた。
「マリアがここ歩いているの珍しい気が――あ、ダンスか」
向こうから足元軽く駆け寄ってきた彼が、言いながら察した。
自己解決した彼に、マリアも頷いて相槌を打ってやる。
「そうです。ダンスです」
「うっ、思い至るのが遅かったのをつつかれている感じがする……まぁせっかく久しぶりに顔見られたし、よれば少し立ち話での一休憩でもとらないか? 俺も、ちょうど次の場所へ移動するところだったんだ」
オブライトだった頃みたいに、親指で後ろの方を指しながら普通に誘われて、マリアはちょっと首を傾げる。
メイドを誘うのはどうなんだろうなと思ったが、王宮での任務を一部共有している同士だ。まぁ休憩案だって悪くはないと、了承して少しばかり寄り道した。
「まさか、マリアがダンスがだめだったとはなぁ」
人の行き来がある中、隣のわたり廊下に出て、塀にもたれかかり一階の風景眺める。そこからは屋内と、そこに続く外庭が見えた。
「始まってしばらくは、よれよれっぽかったって聞いたな」
「皆さんお忙しくて、お会いしていないはずなんですけど、一体誰に聞いたんです?」
「ん? ジーンから」
答えたレイモンドが、隣のマリアを見下ろす。
「向かおうとしたら、道中ポルペオに見られて、全力で説教されて仕事場に戻されたって言ってた」
……あまりポルペオの仕事を増やしてやるなよ。
マリアは、先日にあった出張任務で、大臣が王宮不在だったのを思い起こした。他のメンバーの誰よりも、彼の方の重要な仕事が溜まっているのだ。
「少しは、苦手感も減ったか?」
「まぁ、ほどほどには踊れそうですわ」
マリアが肩をすくめると、そうかそうかとレイモンドが労うような苦笑を軽くもらす。
「まっ、花嫁修行だと思えば悪くないじゃないか」
「それ、同じ事を言われました」
間髪入れずマリアはぴしゃりと指摘した。
レイモンドの目が、彼女へと向いた。しばし、二人はじっと真顔で見つめ合った。けれど不意に、互いに合図したわけでもなく唐突に軽く笑っていた。
「ルクシア様の方は大丈夫そうか?」
少し風にあたって風景を眺めたのち、レイモンドが尋ねた。
「実は、ルクシア様はすごく忙しくされているんです。あまり普段と違った動きを見せるのもと用心して、昼食はいつも通り公共食堂で食べていますけど。ルクシア様としては、かかりっきりでいたいみたいです」
「研究者魂だなぁ」
「引っ張り出すのが本当に大変ですよ。でも休憩だって必要ですから、日程を一緒に立てた際に、ちゃんと休憩時間も入れさせて頂きました」
朝一番にライラック博士が来ていたあの日、四人でスケジュール立てた。
ライラック博士の方は、当初はルクシアと違って賛成していた。しかし、取りかかり出した翌日からは、全くルクシアと同じで「あともう少し」と、弱い姿勢ながら続き部屋に居座りたがった。
「アーシュと一緒に、毎回ルクシア様を引っ張り出してコーヒー休憩させています」
ライラック博士の事は、外では一切話さないとしていた。彼は王族であるルクシアと違って、一般の方でもある。身の安全確保が優先された。
人の耳がない事を確認された上で、情報共有はされている。
レイモンドが「なるほどなぁ」と、二人の医学・薬学・そして博士の肩書きを持った専門家を、続き部屋から引っ張り出す光景を思い浮かべて呟いた。
「マリアは、強いなぁ」
「メイドですから。世話と、健康管理を任されていますからね。しっかりやらせて頂きます」
「おぉ、頼もしいな。アーシュの方も、だいぶたくましくなったというか――ちなみに、女性恐怖症は少しよくなったか?」
年上の妻子持ちとしては、少し心配していた部分をレイモンドは遠慮がちに確認する。
マリアは、そこで初めて言葉を詰まらせた。一階の風景を見つめていたのだが、ややあってから、その視線が明後日の方向にそらされる。
「……それは、まぁ、残念ながら」
「……そうか」
それで全てを察したらしい。レイモンドが「そういえば救護班が走ってたな」と、ぼそりと呟いた。
しばし、二人の間に沈黙が流れた。
ふと、一階の方を流れていく人の波に、ただ一つの黒一色、という目立つ人物を見付けて目を留めた。モルツを連れたロイドだ。
「中央軍部の人間と歩いてるな。何か進展でもあったのかなぁ」
レイモンドから、頬杖をつきつつ言葉を投げられた。
「さぁ、どうですかね」
それをメイドの自分に振られてもな、と思いながらマリアは答える。相変わらず、この友人はちょっと鈍いところがあるというか、なんというか。
と、銀色騎士団の軍服の男が、ロイドに声を掛けるのが見えた。
ロイドが、モルツや他の中央軍部の男達と足を止める。王宮では見られない中央軍部の上官軍服を着込んだいかつい中年男が、軍服の帽子を一度取って額の汗を拭っていた。
――直後、マリアとレイモンドは、揃って「あ」と声を上げた。
手渡された書類を確認していたロイドが、脇を全力疾走で駆け抜けた騎士の一人を、目も向けないまま持っていた書類鞄を振って、壁に吹き飛ばしていた。
「…………『走るな』とでも、注意したんだろうな」
レイモンドが、半ば頬杖も止めて引き攣り顔で言った。
ああ見えてロイドは、仕事や規則に真面目なところがある。一階のそこは『走るの禁止』という貼り紙がされた場所でもあった。
でも、かなり無情な仕打ちである。
可愛いレベルの規則違反なのに、容赦がな――あ。そういや、こいつってそういう奴だったわ。
最近は少し忘れていたところもあったが、やつはドSの破壊神で魔王だった。マリアとレイモンドは思い出して、互いに「ははは……」と乾いた笑いを浮かべた。
やがて、ロイドが何事もなかったかのように連れている者達と歩き去る。
「あいつ、今日は一層機嫌が悪そうだなぁ。そういや最近はピリピリしてるって、グイードが言ってたっけな?」
「へぇ。何かあったんですかね」
事情を知らない二人は、十六年前と全く同じ感じで揃って首を捻った。
その並んだ騎馬総帥と、小さなメイドの組み合わせほ、わたり廊下を進んでいく人々がちらちらと気になって見てもいた。