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三十六章 メイドはダンスを練習中(5)

 テーブルには、三人分の紅茶。それから量は控えめながら、客人用にと一緒に菓子のセットも合わせて出された。


「わー。このクッキー、ロイドのところにあったやつだ」


 メイド達が退出してすぐ、言いながら、ニールが早速口に放り込んだ。


 ティーカップに手を付けないままでいるポルペオが、じろっと小さく睨む。ソファに背を預けて腕を抱えて座っていると、その端整な顔立ちは凛々しさ二割増しで――。


 ――やっぱりアレだ。ヅラがひどく似合わない。


 なるほどと納得して、マリアは紅茶を少し口にした。


「ニールよ。貴様は、ほんっとうに落ち着かんな。なんだ、またロイドのところに勝手に入って、食べでもしたのか?」

「ポルペオ様、この前のは違うのです」

「ん? ……この前とは、つい最近か?」

「はい。実はニールさんは、ロイド様の部屋で多く用意されていた菓子のセットを見て、きちんと考えたんです。その結果、グイードさんに尋ねて『いいんじゃね?』と答えられ、それで結局のところ薬学研究棟まで持って帰ってきた阿呆なのです」

「待て、何故そこでグイードが出てくるのだ。そして何故、この馬鹿はルクシア殿下の方へお運びした?」


 マリアも、覚えがある高級菓子を一つもぐもぐと口にして回想していた。何やらポルペオが疑問の声を上げている気もしたが、やっぱり甘いなという感想に意識が向く。


 そもそも、あの菓子のせいで、マリアはロイドに説教されそうになったのだ。


 呼び出されて報告した後、これまでになくめちゃくちゃ睨まれた。あの後、ニールはロイドにきっちりシメられたのだろう。


「ったく、なんなのだ」


 そう口にしたポルペオが、諦めて一息つくようにティーカップを手に取った。少し飲んだところで、落ち着いてきたのか、ふと手を止める。


「――先に言っておくが、別に体調が悪いわけではないからな」


 悩み込んだ後、ポルペオが素直じゃない感じで言ってきた。


 マリアとニールは、唐突な切り出しできょとんとして目を向けた。どちらも、次の大きめの菓子を口に押し込んだところだった。


 もぐもぐとしている間、三人の間に沈黙が流れていった。


 食べている最中に話すなとは、礼儀やら品やらでポルペオがいつも煩く言っていた。マリアとニールが、一生懸命もぐもぐして口の中をなくそうと真剣になる。


 だが、その静かさが、かえってポルペオを気まずくさせた。


「…………それから、部下には、心配させないようそう伝えておく。手間をかけたな」


 来訪の目的にも配慮したのか、彼がそう続けて答えてきた。


 ポルペオにしては、少し珍しい感じだ。マリアは、まさか菓子を咀嚼していたせいもあるとは思い至らないまま、紅茶でいったん喉を潤した。


「じゃあ、元気がないだけですか?」


 さらりと、マリアの口から発せられた問いを聞いた途端、ポルペオがピクリと反応した。しかし彼は、すぐにいつもの感じで冷静にティーカップを置く。


「少し、仕事が続いていたのだ。……そのせいだろう」


 否定はしないんだな。


 真っ直ぐ騎士道をいくポルペオらしい返答だ。どうやら、本調子でないのは本当であるらしい。ニールが紅茶も飲まず菓子を食べ続けているのに、説教もないし。


「お、お嬢ちゃん。もしかして今なら、ヅラ師団長の菓子も少し食べても平気、とか……?」

「そこは調子に乗らない方がいいと思いますわよ」


 お前、この前ロイドとクッキーを食べた時、腕をへし折るぞ宣言されたのを忘れたのか?


 マリアは、テーブルの方を見ているポルペオへ目を戻した。じっと観察してすぐ、その目元がいつもと違っていると気付く。


 あれ? もしかして寝不足もあるのか?


 少し仕事が続いていた、という彼の先程の返答が脳裏に蘇る。そうすると、睡眠があまり取れないくらい考えることが多かったのかもしれない。


 ――部下には任せられない事も、彼は全部やらなければならないから。


「ニールさん、ポルペオ様、もしかしたら本当に寝不足かも」


 マリアは、こそっと囁きかけた。

 すると、腕でも軽くこづかれたニールが、マリアへと少し身を傾けながら言う。


「実は、俺も今そう思ったとこ。それにヅラ師団長、こうやって俺らが喋ってると普段なら怒るもんね」

「そうですわね」


 マリアは、少し考えた。


「ニールさん、私がこれからやる事に、もう少し付き合ってくれません?」

「ん? 何かやるの?」

「まだ書類作業でやる事があるのかないのか分かりませんけれど、こう言う時は、一休みするのが一番ですわ」


 唇の前に人差し指を立てて、悪戯を思い付いた顔でマリアは笑った。ちょっと懐かしい感覚に包まれたみたいに、直後ニールが「うん」と楽しげに頷いた。


 さてと、とマリアは小振りのクッキーを一つ、つまみ持った。


 気配を消すと、立ち上がり、どこかぼんやりとしているポルペオの方へ歩み寄る。


「ポルペオ様」


 不意にそう声を掛けられた彼が、ふっと顔を上げた。


 その時には、マリアは彼のすぐ目の前にいた。気付いた彼がびっくりする中、にっこりと笑い掛ける。


 ――直後、マリアは彼の口に小さいクッキーを押し込んだ。


「んな!?」


 ポルペオが驚いたのも束の間、マリアが額を押し、やや強引な仕草ながら、もう片腕で彼の背を支えてふわっとソファに倒した。


「疲れている時には、甘いのが一番いいですよ」

「な、なんだいきなり。というか甘いっ」

「はい。ポルペオ様が避けそうな、とびっきり甘そうなやつをチョイスさせて頂きました。ははは、成功だったようで何よりです」

「お前は涼しい顔で何を言っとるんだッ、嫌がらせか馬鹿者が!」


 ポルペオが、もごもごする口を手で押さえ、中のクッキーを噛み砕く。眺めているニールが、ちょっと笑いをこらえつつ次の菓子に手を伸ばした。


 マリアは怒られる前に、詫びるような笑顔で説明した。


「少し寝たら、結構変わると思いますよ。元気も戻ります」


 そう言ったら、クッキーを食べ終えたと同時だったポルペオが静かになった。


 寝不足であるのを見抜かれたと、ここでようやく気付いたようだった。変なところで頑固になるんだよなぁと、マリアは思いながら続ける。


「大丈夫です、ちゃんと私達が起こします。だから、二十分くらいでも寝てください。ティータイムを過ごす少しの時間だと思えば、一休憩も心おきなくできるかと」


 ポルペオが胡乱げに目を眇める。しかし怒っている気配はなく、続いて彼が目を向ければ、ニールが呑気に「付き合うよー」と言って、ひらひら手を振った。


 やや間を置いて、ポルペオが腕を顔にやった。


「…………たとえばの話だ。悪夢を見ると分かっているとして、お前なら眠れるのか」


 妙な質問だった。でも囁く声は、呻くように掠れていた。


 夢見でも悪いのだろうか?


 これまでポルペオから、夢の話など聞いた覚えはない。いつもぐっすり熟睡、長時間睡眠の男だ。珍しいなと思ったマリアは、けれど自分の事より目の前を優先した。


「きっと悪夢なんて見ませんよ、保証します」


 ポルペオの顔の上にある彼の腕を、額にやるつもりでポンポンとやった。


 すると彼が、腕をどかしてきた。相変わらずの顰め面で、黄金色の目を眇めにこっと笑ったマリアを見つめ返す。


「その自信は、どこからくるんだ」

「うーんと、……勘?」


 問われたマリアは、少し考え、答えたところで困ったように笑った。


「その顔は、まるで考えていなかったな?」

「そんな事を言われても。あ、ポルペオ様、ニールに残った菓子をあげてもいいですか?」


 マリアが、寝るのを見届けるように頭の上のスペースにぼすんっと腰下ろすと、ポルペオが観念したような溜息をもらした。


「はぁ……構わん」

「マジで? やったー! ありがとうヅラ師団長!」

「…………私は『ポルペオ師団長』だ、が、はぁ……もう怒りも通り越して呆れるぞ。なんて自由なやつなんだ」

「ポルペオ様、もう一つ食べます?」


 そばからマリアが、菓子の一つを持って見せる。


 ポルペオが、だんだん元の調子でも戻ってきたみたいに、説教数秒前のあの眼差しをゆっくりと向けてきた。


 と、マリアは可笑しくなって、素の表情で笑った。


「あはは、冗談です、冗談。少しは気もほぐれました? さて、ゆっくり眠ってください」

「貴様、分かっていてやっているとは、いい度胸だな」

「はいはい。いったん、おやすみなさいませ、ポルペオ様」


 マリアは、その菓子をポリッと口にしながら、片手でポルペオの胸元をポンポンと叩いた。


 ポルペオが「ここは自由人の集まりか」と愚痴ったが、マリアの呑気な横顔を見ていた彼の目元から、少し力が抜ける。


「――ちゃんと起こしてくれるんだろうな」


 次第にうつらうつらした彼が、やや愚痴るように言った。


「起こしますよ。安心してください、私が眠ったらニールさんが活躍します」

「何が安心だ。お前も寝たら、本末転倒だろうが」

「いやぁ、私も慣れないダンスの練習で、気を抜くと寝そうな予感もするんですよねぇ」

「仕事をしろ」

「この一休憩が終わったら、仕事しますよ」


 テンポのいい言い合いの中、完全に緊張が解けたのか、ふとポルペオが欠伸をもらした。寝る体制を整えるように腕を組んで目を閉じる。


「コーヒーの匂いがするな」

「ルクシア様のところでは、いつもコーヒーですからね」

「そうか。私も仕事では、コーヒー派だ。昔、やけに淹れるのがうまい奴がいた」


 彼が、そう思い出し口にするのは珍しい。


 誰だろうな?と思いながらも、マリアは寝そうな彼に質問はせず相槌を打つ。


「そうですか。グイードさん達は、最近コーヒーを飲みによく来ますね」

「何をしとるんだあいつらは」

「さぁ。勝手に休憩所にされている感じがあります」

「そういうお前は、勝手にいなくなるなよ」

「私はいなくなったりしませんよ。ポルペオ様が夢から覚めて、起きたあとも、私はここにいます」

「そうか――」


 と、不意にそこで会話が終了した。


 言葉が途切れた直後には、ポルペオはぐっすり寝入ってしまっていた。マリアとニールは、のんびり菓子をもぐもぐしながら呟く。


「ヅラ師団長、相変わらず早いなぁ」

「ほんと、寝るとぐっすりですよね」

 

 言いながら、マリアはふと、悪戯心がうずいた。


 動き出して、ポルペオの顔に片方の手を伸ばす彼女に気付き、ニールが次の菓子をボリッと噛んだところで「ん?」と目を向ける。


「お嬢ちゃん、何してんの?」

「眉間の皺、今なら消えそうだ、と思って」

「ぶはっ、それよく見る光景。でもやめた方がいいかも、ぶふっ、起きられてグイードさんが説教くらいそうになってた」

「ふふふ、でもニールさんもとめないでしょ?」

「もちろん! だってお嬢ちゃん、めっちゃ楽しそうだし、俺も楽しい」


 お前は菓子が美味いんだろ~、と心の中でマリアは呟いておく。


 ポルペオの眉間の皺を、こうやって寝かしていた当時と同じく、ぐりぐりと押して揉み解してやった。――そうしたらやっぱり、ちょっと眉を寄せたのち、ポルペオが静かな寝息に戻って。


 安心したみたいに眉間の皺を消して、次にマリアが起こすまでぐっすりだった。

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[良い点] >「そういうお前は、勝手にいなくなるなよ」 ここ、ポルペオ様の本音なんだろうなぁ
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