三十六章 メイドはダンスを練習中(2)
モルツがマリアと別れて少し経った頃、公共食堂がざわっとなった。
マリアが到着した途端、その姿を認めた者達が囁きながら思わず一斉に声をあげ、そして食事の手もすっかり止めて戸惑ったせいである。
頭には大きなリボン。十二、三歳ほどと思われる華奢な体には、膝丈のメイド衣装。
――入口で仁王立ちした彼女は、持った鉄パイプを肩にのせていた。
公共食堂の入口近くに座っていたニールを目に留めるなり、マリアが歩み寄った。
「おい、面貸せ」
鉄パイプを肩にとんとんとしながら、ニールを見下ろしてそう告げた。空色の目は、瞳孔が開いて極寒な温度である。
近くにいた若い軍人達が、気圧された様子でそそくさと席を変えていく。
最後のプリンを口に運んだところだったニールが、唖然としてごっくんと飲み込む。
「……ここまで鉄パイプが似合う女の子、俺、お嬢ちゃん以外に知らないよ」
なんだかやけに緊張を強いられたニールが、おぉぅ……と固唾を呑む。
マリアは、にこりともしない。
「えーっと……よく俺がここにいるの分かったね?」
沈黙に耐えかねて、ニールがとりあえず尋ねた。
「目撃情報があったんです」
「それ怖い、まるで俺のストーカーみたいじゃん」
そのやりとりを注目していた周りの者達が、赤毛、結構目立つけどな、と表情と視線で交わし合う。
マリアは、ぶちのめす必要があるのか否かを確かめるため、早速来た理由を話した。こちとら初級ダンスの授業が終わって、これから薬学研究棟に戻る前の事だったのだ。
するとニールが、聞き終わった途端に、顔の前でぶんぶんと手を振って笑った。
「あははは、それ俺じゃないよ。俺だったら、スリルを求めて堂々とその廊下に突入して倒れ込むね! ――いったぁ!」
直後、鉄パイプではなく、マリアは反射的に自分の肘をニールの頭に落としていた。
じゃあ、一体なんだ?
ふむとマリアは思案する。その間もニールの頭を肘でぐりぐりし続けていて、公共食堂の料理長とコック一同も、カウンターから「何アレ……」と見ていた。
メイド達が覚えたという視線は、ニールではなかった。
かなり感じたというから、確かに誰か見ていたのだろう。でもそれは、本当にチカン目的の視線だったのか?
初っ端にニールの存在を出されて、少し冷静さを欠いてしまったらしい。マリアは思案を終えると、確かめるべくくるりと踵を返した。
「あれ? お嬢ちゃん、もう帰っちゃうの?」
気付いたニールが、ルクシアのところに戻るのだろうかと見越して尋ねた。
マリアは、結局使い道のなかった鉄パイプを肩に置くと、持っていない方の手をひらひらと振って彼に応える。
「ちょっと、その現場を見てきますわ」
「はいはいはい! 俺も行く!」
ニールが、食べたプリンの食器を、猛スピードでカウンターの返却口に戻す。それから「置いてかないでーっ」と、マリアに続いて公共食堂を出ていった。
十三歳くらいのメイド少女に〝青年〟が慕っているか、懐いているような姿である。それを見送った公共食堂内の者達が、かなり不思議がった顔をした。
※※※
王宮メイドから聞いた場所へと向かった。王宮に努めている関係者が利用する建物側で、繋がった回廊を抜けた先に現場はある。
建物内からでは意味がないと、マリアは途中から外へと降りた。
到着してみると、鑑賞用の何かなどは設置されていなかった。建物沿いのスペースは芝生で、その後ろには茂った木々があった。
「ここ、ギリギリ軍区なんですね」
外へと降りた際、柱に刻まれているマークで気付いた。そういえば、何組かの師団長に与えられている部屋もこの近くだったと思い出す。
いつも正面から来ていたから、マリアは裏手であるこちらの方から渡った経験はない。
「裏口みたいなもんだよ。軍区関係だと一番閑静かも」
隣から、ニールが建物を眺めながらマリアに相槌を打った。
二人の視線の先には、二階建ての建物の裏が見えていた。上下の階に別れて、小さな格子窓が均等に並んだだけの側面だった。
メイド達の更衣室方向だという、向こうの繋がっている建物の一階部分を目視で確認する。換気目的かと思われるような、小さな突き出し窓が数か所付いているくらいで、ガラス版は少し離れると中が確認できない。
その二階部分は、ロッジアになっていて、歩いていく人影がぽつぽつと見られた。
そちらまでぐるっと見たところで、マリアとニールは目の前の建物の一階部分へ目を戻す。
「ねぇお嬢ちゃん、そのメイドさん達の気のせいだと思うんだけどなぁ。ここ、全然覗きに的していない場所だと思うよ」
「私もそう思えてきましたわ。ここからだと、ロッジアからよく見えますし、そもそもどの窓も小さめですわよね」
マリアは、そこで鉄パイプを抱き込むように腕を組んで、首を捻る。
「じゃあ、一体なんなんでしょうね」
ふと、ニールが今更のようにマリアを見下ろした。
「それさ、お嬢ちゃんが持つと、シャレにならないくらい危険度が増すと思うんだよね。むしろ素手の時点でめちゃくちゃ痛いし凶器だから、そもそもお嬢ちゃんに全く必要ない武器っていうか――いてっ」
マリアは引き続き考えていたくて、思ったことをまんま口にしたニールを、ひとまず足を踏んで黙らせた。
「日中の時間、不規則とメイドさん達はおっしゃっていましたから……私、まだ時間は使えますし、少し張ってみますわ」
「え、マジ?」
「いる間に、何か分かる事があれば、それで良し。分からなければ、その時はまたあとで考えます。ニールさんは、先に帰っていいですわよ」
「お嬢ちゃんがいるんだったら、俺も当然付き合うに決まってるじゃん! 俺の覗きだって誤解されたし、汚名はしっかり返上するぜ!」
親指を立てて、ニールがバチッと決めたいい笑顔で言った。
マリアは、そこでふと落ち着いて一つの心配が込み上げた。
「ニールさん、滞っていた大臣のお仕事の方は、大丈夫なんですか?」
「大丈夫! 俺はプリン食べる余裕はあるけど、ジーンさんのスケジュールが真っ黒なだけ!」
……ジーン、全く気遣われてないな。
そんなことを思っていると、木々のある茂みの方へ背を押された。そして二人で、しばし現場の様子を見る事になった。
身を潜めて、二十分ほど経った。
その間、わざわざ誰かが向こうの廊下から降りてきて、回ってくるというのもなかった。この外側は、外通路があるわけでも休憩所でもない。
ニールが鉄パイプを土の中に埋めて、見た感じでは分からないよう完全封印した。何が面白いのか「じゃーん、手品!」と得意気に言ってきた。
そろそろ彼の集中力も切れるだろう。彼の無駄に器用な指先を眺めていたマリアは、「おー」と感心しつつ思う。
「ニールさん、雑草の再現も見事ですわね」
「へへー、でしょー」
「手を貸してくださいな。拭きますわ」
「えぇ、いいよ別に、服でぱんぱんっとやっちゃうから」
それでも拒絶はなかったので、マリアはそのまま彼の手を取ってハンカチで拭った。
細いがしっかりした手は、やっぱり十六年前とちっとも変わらないようだった。ニールはしゃがみ込んだ姿勢で、大人しく両手を差し出している。
「お嬢ちゃんの手って、とっても小さいねぇ」
そりゃあ、華奢でも男のお前と比べたらな。
マリアはそんなことを思った。すると拭い終わったニールの手が、ふとマリアの手を、遠慮がちながらきゅっと握り締めてきた。
「うん、ちょー小さい」
そこに目を落とした彼が、なんだからしくない苦笑いを浮かべた。
その時、人の気配がした。ふと二人は顔を向ける。何者かが向かってくる足音が複数していて、マリアとニールは茂みギリギリまで寄った。
覗き込んでしばらく待った。
すると、少しもしないうちに、こそこそと男達がやってきた。
それは、ポルペオお墨付きの、あの第六師団の若手が集められた精鋭メンバーだった。予想外の登場に驚いた。彼らはチラチラと、窓の方をチェックまでしているではないか。
それは、やっぱりどう見てもあやしい動きだ。
やや遅れて思考が回ったマリアは、その途端「おいいいい!」と叫んで立ち上がった。
「まさかの『覗き』の犯人って、お前らかよ!」
オブライトだった頃、何度かこういう現場は見たし、実際に他の隊長クラスの友人らと教育的指導をした事もあったが、まさかのポルペオのところの若手だとは。
あんなに頑張ってるのにポルペオが可哀そう。
ひとまず沈めよう、話はそれからだ。あのポルペオの指導受けてるのに?とちょっと混乱してしまったマリアは、そうコンマ二秒で判断し終えると飛び出した。
「うげっ、なんで『凶暴メイド』がここに!?」
第六師団の若い騎士達が、唐突なマリアの登場に目を剥いた。
と、その一瞬後には、ニールも「とう!」と高くジャンプし、マリアに続いて彼らの方へと迫っていた。
「見損なったぞ第六師団の若造共! このニール〝先輩〟が成敗してくれる!」
「はぁ!? 一体なんだ――ぐぇっ」
「覗きなんておやめなさいな! 最低ですわよ!」
「ぐはっ。待て待て待て、取って付けたみたいな敬語で見事な飛び蹴り決めてくんなよ!」
「どんだけ凶暴なんだお前!」
いきなりで全くわけが分からん、というように半ば逆切れの青筋を浮かべて、第六師団とマリアとニールの取っ組み合いが始まった。
だが、体術戦は圧倒的にマリア達が上だった。
次から次へと攻撃を繰り出して、手やら足やらでどんどんぶん投げていく。加減はされているので、派手に宙を飛ぶくらいで第六師団はすぐに復活する余裕はあった。
その時、地面に転がった一人が叫んだ。
「一体『覗き』ってなんだよ! 俺らはっ、移動するポルペオ師団長を追ってただけだ!」
そう発せられた怒声に、マリアとニールはぴたりと止まった。
……ん? それ、どういうこと?
やっぱりポルペオの師団の騎士だ。チカン行為の目的があって、やってきたのではないらしい。そう思って拳を引っ込める。
「一体どういうわけか、説明してくださいます?」
殴ったあとで申し訳ないなと反省して、マリアは教えてくれた彼の前でしゃがみ込んだ。手を差し出したら、彼がちょっと顔を顰める。
「そもそも、女がそうやって男の目の前でしゃがむなよ。スカート押さえてりゃ、いいって問題じゃないからな」
そうしっかり注意しつつ、彼がマリアの手を借りて立ち上がった。