三十五章 まさかの私も参加ですか!?(5)
マリアがヴァンレットと踊り始めた。
しかしそれは、ダンスとも言えない代物だった。ヴァンレットは、不思議そうにしつつも大変ゆっくり動いてやってくれているのだが、マリアはステップもぎこちない。
だが、ヴァンレットを見上げているその表情だけは、めっちゃ真剣だった。
つまり本人は、至極真面目に女性パートをやっている――つもりなのだ。
「ひっでぇ……ッ」
社交のダンスに馴染みのないニールも、思わずそう声をあげるほど、マリアのダンスはぐだぐだだった。
その一言をきっかけに、レイモンド達も次から次へと感想をあげて、場がどよっとする。
「まさか想像以上のリズム感のなさ……!」
「マリアちゃん!? ちょ、え、嘘だろ、というかヴァンレットの足踏んでるからっ」
「うわー親友よ、さすがに百歩譲ってもダンスに見えないぜ、悪目立ちがすぎる……戦う時リズムあるだろう、そもそもなんでそうなるんだ?」
分からん。昔っから、とにかくだめなのだ。
ヴァンレットが終了してくれたマリアは、目を向けないままそう思った。そもそも戦うリズムだとかなんだとか、そんなことを頭で考えたことがない。
「これは、想像以上にひどいな」
そんな声が聞こえて、マリアはようやくロイドの存在を認識した。
目を向けてみると、顎を撫でてこっちを見ている彼がいた。友人らの中で唯一涼しげな表情だが、その分析しているっぽい感じも嫌だ。
「お前、リリーナ嬢のメイドなのにダンスの一つもできないのか?」
続けて、ロイドが不思議そうに口にした思案気な言葉。
それを耳にした途端、マリアはプチーンッときた。
おのれロイドめ、と、先日の任務で黒い軍服で男装した件が蘇って思う。結局のところ、軍服を送り付けてきた意図を訊きかねていたが、もうどうでもいい。
ダンスが苦手なのは認めている。
だがオブライト時代、まだ少年だった彼の口から「一つも出来ないのか」という点に関しては、是非訂正させて頂きたい。
実のところ、オブライトだった頃に腹黒令嬢に付き合わされて、一つだけ完璧に踊れるものがあるのだ。持ち前の負けず嫌いに火が付いた。
「言ったな」
マリアが、ギロッと睨みつけて口にした途端、ロイドが口をつぐむ。
その直後、マリアは彼に向かって歩き出していた。友人達が「え、え?」と戸惑い見比べる中、ずんずん進んでいくと、ロイドの手をガシリと取った。
引っ張られたロイドが、目を丸くする。
「な、なんだよ」
珍しくロイドが言葉を詰まらせたが、マリアはそれを察する冷静さはない。
こいつを、ぎゃふんと言わせる。
「ロイド様、私と踊ってくださいませ」
「はっ?」
僅かに彼の手に力が入る。それでも、いつもの馬鹿力さえ込められていなくて、マリアは部屋の空いたスペースにどんどん引っ張っていく。
ヴァンレットが退いたところで立ち止まると、マリアは不意にロイドを振り返る。
「私だって、踊れますわ」
毅然として見上げた途端、マリアの強い眼差しに真っ直ぐ射ぬかれたロイドが、動きを止めた。
ぴたりと抵抗もしなくなった彼の手を、マリアはそっと握った。腰に手を回せば、視線で促されたロイドが同じように姿勢を返してくる。
先程の、両手を取っていたものとは違うきちんとしたダンスだ。
続いてされた開始のポーズを見て、気付いたグイードが止める。
「おいおいマリアちゃん、さすがにその上級者のやつは無理――」
だが、呼び止める声も間に合わず、マリアは動き出していた。
それは、グイードがぽかんとして言葉を切る見事なダンスだった。キレがあり、ステップは正確で、くるくると回りながらも〝しっかりロイドをリード〟している。
――うん、確かにうまいけど、そうじゃない。
その完成度の高さに対して、場にはより神妙な空気が漂っていた。無心で相手役をしているロイド、マリアは優雅で華麗なダンスを職人顔でやっている。
ロマンチック感は、ゼロだ。
先程のけったいなダンス以上に、ジーン達の顔は引き攣りっぱなしだった。
そうしている間にも、マリアがダンスの披露を終えた。ロイドを解放した彼女は、「ふっ、どうよ」と言わんばかりの得意気な表情で、ダークブラウンの髪を手で払う。
だが、それを見ている友人達は、やはり掛ける言葉が見つからない表情だった。
と、そこで、ロイドの表情に感情が戻る。
「――おい、待て。なんで俺が女性パートなんだよ」
あ?と喧嘩を売るような低い声が発せられた。
途端にジーンが、硬直状態を解いてぼりぼりと頭をかく。
「まぁ、そりゃそうなるよなぁ」
マリアが披露したのは男性パートだった。オブライトだった頃、ダンスの練習の相手役を頼まれただけなのに、腹黒令嬢に完璧を求められ猛特訓させられたものだ。
事情を知らないグイードが、マリアを見ながら吐息交じりに言う。
「マリアちゃん、特技が偏ってんなぁ。基本ができないのに応用がバッチリって……俺、まさかロイドが女性パートを踊らされるとは思わなかったわ」
「あいつ、少年時代にも、任務の提案でも絶対にやりたがらなかったのにな」
レイモンドが、小さく震えながら怖々と独り言をした。
マリアは、そこでロイドの方を、同じく顰め面で「あ?」と声を上げて見つめ返していた。
「なんですか、私ちゃんと踊れたでしょっ」
「なんでそこでムキになるんだ。違う、俺が言いたいのはそこじゃない」
ぴしゃりととロイドが指摘する。
ヴァンレットの後ろに隠れたニールが、初めて見たロイドの女性パートのダンス披露に、大笑いをこらえていた。
「お前は、基本くらいできるように授業を受けろ。リリーナ嬢のダンスの授業の時間、お前は別室で受講だ」
「いつそんなのが決まったんですか」
「さっきだ」
睨み返すマリアに、ロイドが似たような調子の声で言い返した。
けれどマリアは、普段のようにそこで引いたりしなかった。売り言葉に買い言葉のごとく言い合っていたところ、ずいっと寄ってこられて彼がたじろぐ。
が、もちろんマリアは引かない。
「リリーナ様のためにも受けますけど、私がダンス一つできないという評価は、訂正して頂きます!」
「お前、そんなことで怒っているのか?」
「怒ってはいませんよ。ロイド様に言われたかと思うとイラッとしたんです!」
「おい待て、それはどういう意味だ」
正直になるタイミングを間違えた。直後、ロイドにガシリと顎を掴まれてしまい、マリアはハッと我に返る。
ロイドが高い背を屈めて、ずいっとマリアを覗き込んだ。
「俺が言ったからイラッとしたってなんだ、あ?」
「すみませんうっかり口が滑りました」
「つまりは本音なんだな。なぜそう思ったのか、白状してもらおうか」
ロイドが余っていた手を、脅すようにバキリと鳴らす。
と、ハタとしたレイモンドが、慌てて駆け寄った。大きな事になる前にと、マリアとロイドを引き離す。
「もうなんでマリアも正直に言うんだよっ」
結局のところ、ダンスはロイドを大変怒らせなかったようだ。ようやくジーンが、ならまぁいっかという様子でカラカラ笑いだしたのだった。