三十四章 大司教邸と王国軍(1)
王宮を出発して、数日。
密かに現地入りしていく他の部隊団と同じくして、マリア達も大聖堂ベネディクトがあるステラの町に到着した。
現地で協力を受けた商人、施設、事業によって、王国軍へ各待機場所が提供されていた。マリア達が一晩過ごす事になったのは、初訪問した際に協力してくれた宿泊施設である。
明日の作戦決行前までの潜伏や準備については、この町で唯一の聖職機関の上位協力者、ジョナサンも協力にあてってくれたようだ。先に接触があった部隊から、夜に宿入りしたマリア達の部屋に報告が届けられていた。
――そして、一眠りした数時間後。
まだ夜も明けない時刻から、密かに突入準備のための動きが始まった。念入りに包囲網の配置も整えられていく中、今回、部隊を与えられた男達もいる宿で――。
そこに唯一少女として混ざっているマリアが、引き攣った表情を晒していた。
これ、めっちゃ嫌だなぁ……。
あとは着替えのみ、という段階にきたところで、彼女の手はすっかり止まってしまっていた。特注サイズの黒い軍服を持ち上げ、空色の目でげんなりと見つめている。
それは例の、ロイドが送ってきた軍服である。
前世の友人たちの意見で決まった〝男装用〟の、今回の衣装だ。
「まさか、これを使う事になろうとは……」
というか、あいつはなんで特注の軍服を送ってきたのか?
つい、最近口にした台詞が再び出た。多分、嫌がらせだ。絶対そうに違いない。そんな事を考えているマリアを、気付いたレイモンドが「ん?」と見やった。
「なんだ、マリアはまた眺めているのか?」
シャツのボタンをとめながら声をかける。すると、そばでズボンを引っ張り上げたグイードも、そんな彼女へと目を向けるなり「ははっ」と笑った。
「マリアちゃん、諦めろ。ロイド特注だし、着心地は抜群だろうさ」
「面白がってますわね、グイードさん」
「昨日の夜の、ニールの内ジャケットの胸当ての下りがウケた。でもさ、ロイドも男装を意識して作ってくれているわけだし、着たらすっきりして動きやすいと思う――おっと」
グイードが、投げられた椅子用クッションをひょいと避ける。ずっと見ていたレイモンドも、自分を狙ったわけではないそれを慣れたように避けた。
『隠すほど胸の形も出てないでしょ』
と、そう昨夜マリアに言い放っていたニールが、後頭部にクッションを受けて「ふげっ」と床に崩れ落ちた。
レイモンドとグイードは、ジーンと最終打ち合わせのついでにこちらで寝泊まっていた。これからレイモンドは、先に、率いる部隊へ合流する予定だ。
カツラをばっちりセットしたポルペオが、度の入っていない黒縁眼鏡をかけて仕上げたところで、黄金色の目をじろりと向ける。
「馬鹿者が、一体何をやっているのだ?」
それを見ていたジーンが、「やっぱりそのスタイルなんだ……」と生温かい微笑みで呟いた。一番大きなヴァンレットが、その横で軍服に袖を通しながら観察している。
レイモンドが、椅子に引っ掛けていた軍服のジャケットを取りながら、マリアに言った。
「まぁ女の子としては嫌かもしれないけど、さすがに今回は、男装になっても我慢して着てもらうしかないな。グイードと馬に乗るんだし」
「別に、中から短パン履けば平気だと思うんですよ」
「おいおい、それ肌着だろ……女の子が見せちゃだめなもんだぞ……何がそんなに嫌なんだ? 家の人に怒られでもしたのか?」
舌打ちするような顔をされ、レイモンドが困惑ぎみながら尋ねる。
マリアは、じろりと自分サイズに作られた黒の軍服に目を戻した。しばし黙り込み、じっと思い返す。
「旦那様に、めっちゃ見たいって言われた」
やがて不意にキパッと答えられたレイモンド達が、なんとなく想像して、マリアの感情を察した表情を浮かべた。
先日、軍服衣装での参加が決定した時、マリアは帰宅したあとにアーバンド侯爵に報告した。そういう事なら作ってあげたのにと言われて、いや自分が希望したわけじゃないんですよと答えたのは、まだ記憶に新しい。
――あのあと、同僚である庭師マークやギースや衛兵組に「似合いそう!(※貧乳の意味合いで)」大笑いされたので、やつらに関しては一通り沈めておいた。
その時、クッションを投げたのがマリアである事に気付いたニールが、後頭部を撫でながら「んもー」とぼやいて振り返った。
「つかお嬢ちゃん、俺らの着替え、普通に見てなかった?」
そういえばと、思った事が口から出るニールが、今更のように言った。しかしながら、ここにいる誰もが疑問を覚えていなかった。
――ポルペオを除いて、だが。
「はぁ、馬鹿者め」
もう叱り続けるのも疲れてしまったかのように、ポルペオが額を押さえて呻いた。彼の苦労は、昨夜から全く報われていない。
すると、今回、各部隊をとりしきる者に与えられたマントを付けながら、ジーンが遅れてこう声を投げた。
「しんゆ――っと、マリアはさすがにカーテンを仕切って着換えろよ~」
「んなの分かってますわよ」
ここで『親友』なんて口を滑らせたら、確実にシメられるのを想定しての声掛けだった。むぅっとした顔を軍服を眺めていた彼女が、渋々立ち上がる。
一同が目で追う中、部屋に用意されていた仕切りのカーテンの向こうに、マリアの姿が消える。
「あ。マリア、着方は分かるか?」
レイモンドが、あっと思い出してカーテンの向こうへ言った。
「分かりますわ、レイモンドさん。ご心配ありがとうございます」
「うわぁ……言い方に棘があるなぁ……」
「そのピリピリとしている原因が、この状況にあれば良かったんだがな」
「ははっ、ポルペオもポルペオでしつこいな~。だって俺ら、別に覗かないし、いいじゃん。もう娘息子もいる立派な大人よ?」
「ジーン。貴様らは、淑女への礼儀が出てこない時点でアウトだ」
怒気をまとったポルペオの声がする。マリアはそれを聞きながら、別に誰も見るわけでもないのに何をピリピリしているんだろうなと、やっぱり彼がよく分からなかった。
上着を脱ぎ捨て、スカートもぱさりと落とす。
「おいニール、私の前で『覗き』なんて行為をしようものなら、貴様を放り出すからな」
「え~、ヅラ師団長、俺への信用なさすぎない? 俺、お嬢ちゃんに超信頼されてるんですよ!」
そんな要素、これまでにあったか?
声だけ聞いていても、ニールが得意気にきらーんっとした顔で決めポーズをしたのが想像されて、マリアは思った。交わされる声を聞きながら、リボンを解いて、たっぷりのダークブラウンの髪を高い位置でひとまとめにしていく。
「かっこよく決められても全く信用ならんし、そもそも私はポルペオ! ポルー師団長! である!」
「ここで叫ぶなよ、無駄に肺活量あるし耳がきーんってするから」
ジーンが答えると、ポルペオのイラッとした声が続く。
「軟弱な耳だな」
「何言ってんの、大臣として日々多くの者の声を聞いている耳だぜ、ははは」
「マリア、なんか黒いゴムが落ちてる。これ、いるか?」
「あ、ヴァンレットありがとう。忘れてた。上から入れてくれる?」
「うむ」
王宮一の大男、ヴァンレットがカーテンの上から手を覗かせ、髪用のゴムを入れた。マリアはパシッと受け取ると、口にくわえて再び髪をまとめる。
ポルペオが、再び顔を手で押さえて呻いていた。
「覗かれる心配を、少しもしていないのか……」
「ヅラ師団長、さっきからなんなんすか? なら聞いてみればいいじゃないっスか。ねぇお嬢ちゃん、着替え進んでるーっ?」
「おいこら、馬鹿――」
「下はまだパンツですわ」
「お前も答えるな! 馬鹿者! しかも『パンツ』と堂々と口にする淑女がいるか!」
ポルペオの発言のそばから、レイモンドが「ごほっ」と咽る声がした。高く結んだ髪にリボンをしたマリアは、続いてシャツを拾い上げる。
うーんとグイードが思案しつつ呟いた。
「女の子が、パンツって言うのは、さすがになぁ……」
「ちゃんと上は肌着で隠してます」
「あ、そうなんだ?」
「『そうなんだ』じゃねぇよバカッ。マリアも、キリッとした感じで言うなよっ。それも下着の一つだからな!」
「あはははっ、お前ら相変わらずでめっちゃウケるわ!」
カラカラと、愉快そうなジーンの笑い声が続く。
これからの任決行への緊張感もなく、友人達が喋っていく。そんな中、マリアはぶすっとした顔で、テキパキと慣れたように軍服を着ていった。
――そして、身支度が完成した。
賑やかな部屋で、不意にカーテンが開く音が上がった。ジーン達が、ぴたっと雑談をやめててそちらを見る。
マリアは、ポニーテールに大きなリボンをしていた。不服そうな目付きもあって、黒い軍服は違和感なく華奢な体にすっきりと似合っている。
直後、ジーンとグイードの「ぶふっ」という揃った吐息を合図に、一同が大爆笑した。ヴァンレットも「雰囲気まんまだ」と悪意なく指を差す。
「ぶわっははははは親友よやべぇクオリティ!」
「ちっこいロイドだ!」
とくに、そう言い放ったグイードあたりが大笑いしていた。
「これ、ロイドに見せてそう言ってやったら、怒りそうだよなぁ。是非やってみたい!」
面白い事が好きな彼らしい意見だ。
そういう反応すると思っていたんだよ。だから、余計に着たくなかったんだよ、と、マリアは静かに怒気をまとって冷やかに見やっていた。
王宮で、ロイドだけが唯一黒い軍服を着ている。すっかり定着したそのイメージから、恐らくそう取られるだろうとは、彼女も着替えながら思ったのだ。
ポルペオは、顎に手をやって「ふむ」と真面目に考察する。
「なかなか似合っていると思うぞ」
「そこ、褒めなくてよろしいんですのよ、ヅラ師団長様」
ヅラ消し飛べ、と、マリアは極寒の眼差しで思った。
親友のマックスの切れ具合を察知したのか、ジーンが途端にぴたっと笑い声を止める。元部下のヴァンレットが首を捻っている視線の先で、真っ先に反応したニールが条件反射で忙しなく周囲を見やっていた。
「誰が『ヅラ師団長』だ馬鹿者! いつものように名前で呼ばんかっ」
「ん? そもそもさ、ポルペオが名前で呼ばせるのも珍しいよな」
ふと、呑気な空気をまとって、レイモンドが横から言った。
ポルペオが、途端に何か言いたそうに彼を見た。確かに色々と思うところはある、けれどやっぱり面倒だから、ひとまず今は何も話したくないような表情で見つめ合う。
やがてニールが、緊張でどくどくした胸を押さえてマリアを見た。
「まさに『チビな女の子バージョンのロイド』」
多分、そのせいかと勘違いして口にした。それを耳にしたヴァンレットが、子供みたいな目で彼を見下ろして「何が?」と言った。
その時、ドアのノック音がした。
まだ小さく笑っていたグイードも含めて、一同の目がそちらへと向いた。お時間ですという声がして、現場の指揮筆頭になっている臨時班の代表、ジーンが応える。
途端、いつもの様子ながらもマリア達の気が引き締まった。
これからとりかかる任務に不安はない。全員が、最後の仕上げと言わんばかりに王国軍の剣を手に取った。自分達は、自分達ができる事をするまでだ。マリア達は、各々がそれを知っていた。
「んじゃ、互いに健闘を祈る」
ジーンが、ニッとしてそう告げた。最後に全員で見つめ合ったマリア達は、それぞれ言葉短く応えると――行動を開始し部屋をあとにした。