三十三章 王宮にて~愛と擦れ違いと騒がしき…~(7)上
マリアが、リリーナのもとから走り出した頃。
王宮の一角にて、騎馬隊の若い男たちが苦戦を強いられていた。見る限りは面白いかもしれないバレッド将軍の未調教の軍馬は、世話をするとなると、かなり大変だ。
「ひぃっ、ちょ、待て待て建物に上がるのは駄目――――っ!」
「頼むから暴れるな向かうな一旦止まれ!」
「あああああフランソワそっちの手綱しっかり引っ張れ!」
「引っ張ってるけど全っ然無理!」
数人掛かりで縄を掴んでいる騎馬隊の男たちを、たった一頭の馬がぐんぐん引きずって、王宮の建物へと向かっていく。
念のために始業前の朝の時間を見計らっていて、今のところ人様への実被害はどうにか出していない。しかし、馬の適度な運動をさせるたび、彼らは死にそうになっていた。
そのバレッド将軍の連れ帰った馬は、黄金の鬣に純白の立派な身体をした、通常の軍馬よりも一回り大きな立派な馬だった。しかし、その顔はかなり個性的で、性格もちょっとばかし歪んでいる気があり、それでいて誰の言う事も聞かない暴れ馬なのである。
「やばいやばい建物に絶対に上げるなよッ」
「もうヤだレイモンド騎馬総帥、早く任務終わらせてくれぇっ!」
「ぺっぷちぃ!」
「ぶっ、あはははははダメだ俺ツボった!」
「ぶはッ、こんなところでやめろよバカ馬――あああああああ!?」
馬に個性的なくしゃみをされたタイミングで、男たちの手から一気に力が抜けた。そのタイミングを目敏くも察したブサ馬が、途端にピーンッと凛々しい表情をして駆け出す。
「いやブサイクなのにその表情やめろよ!」
「余計に腹がねじれそうになるだろッ」
「こいつ分かっててやってんじゃねぇの!?」
「そんなこと言ってる場合かよッ、とりあえず押さえ込め!」
直後、男たちは、王宮の建物の廊下に軍馬が上がったのが見えて「ぎゃああああああ!」と、揃って色気皆無の悲鳴を上げた。
その声に反応して、少ない通行人がギョッと目を向ける。
「ひぃ! なんだこの無駄にゴージャスで、ブサイクな軍馬は!?」
王宮に勤めている貴族たちが、上がり込んできた馬を見てワッと逃げ出す。
居合わせた別所属の軍人たちが、同じく退避に入りながらもわーわー言い返した。
「ちょ、騎馬隊てめぇら馬鹿じゃねぇのソレ連れてくんなよっ!」
「うるせー俺らだって大変なんだよ馬鹿!」
「涙目で言うなよ! うっかり同情しちまうわッ」
「つか、これバレッド将軍様の例の馬だろ!?」
「ブサイクなのにめっちゃ豪華な馬だな! 正面からバカに出来ねぇ存在感ッ」
「鬣が、なんかポルー師団長様っぽい――ぐぇっ」
ポルペオの名を口にした近衛騎士が、何故か軍馬に「ふんっ」と突進されて飛んだ。ついでにもう一人が尻でどかされて、普段は温厚な近衛騎士がブチ切れ顔で騎馬隊を見る。
「クソ騎馬隊! しっかり馬の手綱くらい握っとけよぶちのめすぞマジで!」
「お前どこでその言葉覚えて来たの!?」
「うるっせぇ! こちとら昨日も、ウチのヴァンレット隊長で大変だったんだ!」
「あ。なるほどな、ストレスか」
朝一番だというのに、廊下がかなり騒がしい。
暴れ馬は止まらず、どうにかここで留まっている状態だった。しまいには騎馬隊だけではなく、他の若い軍人たちも協力にあたって、一緒になって押さえ込みにかかっていた。
その時、通行も止まった廊下の中、すたすたと平気で歩いてくる一人の軍人に男たちは気付いた。目を向けた途端、彼らの表情は更なる恐怖で強張る。
「総、隊長……!」
これ、騎馬隊死んだのでは、という他部署の軍人の呻きが上がる。
歩いてくるのは国王軍のトップにして、銀色騎士団総隊長のロイド・ファウストだった。ただ一人の黒の軍服。黒に近い前髪の下で、美しい切れ長の目が、絶対零度で彼らを見据えている。
「――煩いぞ。貴様ら死にたいのか?」
そう静かに問い掛けられて、男たちは震え上がった。
何故か、総隊長はめちゃくちゃ機嫌が悪かった。男たちは、一昨日に間接的にニールに邪魔をされて、ロイドの気が立っているのを知らないため、より慄いた。
不意に、ぐんっと方向を変えて、暴れ軍馬がそちらへと向かった。
騎馬隊の男たちが「ひぃ!?」「やめろ馬っ」と声を上げるも、駆け出した逞しい馬を止めるのには間に合わなかった。
この数日間、またしてもマリアの顔を見ていない。
おかげで超絶不機嫌だったロイドは、向かってくる軍馬に対して一歩も引かずに、怨念じみた八つ当たりのドス黒いオーラをこめて、バキリと手を鳴らした。
「馬に用はない」
ロイドは突進してきた馬を、持ち前の馬鹿力で止めた。目撃者となった軍人たちが「うっそおおお!?」と叫びを上げる中、至近距離で目が合った馬に、全八つ当たりの殺気を放った。
直後、軍馬が白眼を剥いて失神した。
途端に静かになった場で、呆気に取られている男たちを見もせずに、ロイドがついでと言わんばかりに怪力を発揮して、馬をぞんざいに建物の外へ放り投げた。
「建物内に馬をあげるな、規律違反だ」
手をぱんぱんと払って、馬鹿か貴様らは、という表情でロイドが告げる。
ここにきて軍区のルールを示された部下たちは、やや間を置いて、ハタと我に返った。騎馬隊の男たちを筆頭に、いやちょっと待てと言わんばかりに質問する。
「なんで失神させるんですか!?」
「もっと他に平和的なやり方があったかと思いますッ」
「総隊長の殺気で意識飛ばしたら、なかなか目覚めませんよ!?」
「その方が手っ取り早いからだ」
ロイドは、苛々してそう言ってのけた。
そのまま睨見下ろされた男たちが、「ひぇ」と声を飲み込んだ。彼らは自分たちの事に戻るべく、あっという間に動き出して散っていった。
残された貴族たちが、廊下の塀を飛び越えて軍馬へ駆け寄った騎馬隊を目で追った。それに協力するように「どうやって運ぶんだ?」と合流した騎士たちの様子を、怖々と眺める。
ちょうどその時、ロイドを苛々させている張本人が、この廊下から続く曲がり角の向こうに突入した事を、彼自身は知らないでいた。
※※※
マリアはリリーナ達のもとを飛び出した後、薬草茶を預けているという場所へ向かって全速力で走っていた。幼い彼女たちの愛らしさに、やる気に充ち溢れて笑顔も浮かぶ。
「ほんと、可愛いよなぁ」
思わず素の言葉が口からこぼれた。膝丈のスカートから白い太腿が覗く全力疾走に、居合わせ男たちが「ごほっ」と目をそらしたのにも全く気付いていなかった。
擦れ違った身綺麗な勤め人の中年男たちが、「馬は大変だったな」と話していく。
その声を拾ったマリアは、後ろへと遠くなっていく彼らの背をチラリと目に留めた。騎馬隊の区は反対側だ。散歩で近くを通ったのを、建物の上からでも見掛けたのだろうか。
不意に、オブライトだった頃の光景が脳裏を過ぎっていった。
友人のレイモンドを訪ねながら、そんな風景を見るのも自分は好きだったのだ。
それを思い出して、つい、前方へ気を配るのを忘れてしまっていた。そろそろ次の曲がり角だと気付いて、ようやく走る方向へ目を戻したマリアは「よっしゃ」とスピードを上げる。
きゅっと靴を踏み締め、飛んで身体の向きを変えた。
方向転換し、飛び上がったまま次の廊下に突入したマリアは、現われた廊下の光景にギョッとした。ちょうど間がる直前のタイミングの場所を、ロイドが歩いていたのだ。
「あ?」
気付いた彼が、黒に近い紺色の目を向けてくる。
近くから見てみると、黒というよりも深く澄んだ青の色合いだ。ほぼ高さが揃った目線から、パチリと目が合った拍子に、マリアとロイドの瞳が互いに小さく見開かれる。
「ッ、やべ」
そうマリアが後悔を口にした直後、彼女は派手にロイドと衝突してしまっていた。